スーパーカー列伝39 メルセデスベンツ300SL
こんにちは
本日は、あの300SLです。
メルセデスベンツは、あくまでブランド名ーでございまして
本当は当時ダイムラー・ベンツという会社名です。
(現在はダイムラークライスラーを経てダイムラーになってしまいました)
ダイムラーとベンツは、ドイツの程近いところで、
ガソリン自動車を研究していて、この二人の会社が
一緒になってできたのがはじまり。
ということで、世界最初のガソリン自動車メーカー
という自負もあり、
戦後は、手堅い設計の真面目なセダンを販売していた
ダイムラーベンツですが、
かつてサーキットでの名声をほしいままにした、
レースの世界に戻るため、
SLを開発しました。
SLはSport Leichtの略
軽量スポーツの意味だったんですね。
SLは1950年代の車としては
画期的な車でした。
まずエンジン。
なんと機械式インジェクションンが装備されています。
3リッターから215馬力を発生
最高速度は260キロを誇る
当時最速の車でした。
そしてボディー
マルチチューブラフレームを使った
高剛性ボディーだったのですが、
サイドシルのところに、フレームが通っておりまして
構造上ドアの下部を低く出来なかったんですね。
そのため屋根から開くようなドアを考案。
いわゆるガルウィイング。
レースに参戦すると他チームから、苦情が
しかしメルセデスベンツの監督
かつての名レーサーノイバウアーは
「ドアは横向きに開かなければならないとは
どこにも書いていない」とこれを一蹴
承認を得ます。
しかしながら、メルセデスベンツが
長くこだわり続けた、リヤのスイングアクスルの
サスペンションが、
癖のある操縦性をもたらし、
多くのドライバーが命を落としたことから
widow maker(未亡人製造機)
のありがたくないニックネームを頂戴
することになりました。
レースではその軽量さと、パワフルなエンジン
そしてドイツ人らしい水も漏らさぬ、鉄壁のピットワーク
があいまって、好成績を収め
市販車としては6,820ドルという高額にも関わらず人気車種なりました。
1957年5月にガルウイングをもつクーペモデルは生産終了となり、
以後はロードスターモデルに移行した。
生産台数はクーペが1,400台、
ロードスターが1,858台といわれております。
日本でも石原裕次郎の愛車として有名でした。
たしか小樽の記念館に飾ってあるはずです。
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