スーパーカー列伝69 いすゞピアッツァ

こんにちは

70年代末期
いすゞは長寿を誇った
117の後継を検討し始めます。

いかにデザインが優れているとはいえ
ベースは60年代のフローリアン。(当時まだ現役)
古さは隠せません。

いすゞの開発コンセプトは
以下の6点ようなものだったといいます

1.持つことに誇りを、使うことに満足感を覚える高品質でスタイルの良いロングライフなスペシャルティ・カーであること
2.一家4人で週末旅行が可能な実用性、 居住性を有すること
3.先進技術を積極的に取り入れ、実用燃費も高いこと
4.対米輸出を含む海外市場に対し、商品力、安全性等に十分なポテンシャルを有すること
5.いすゞ既存の装置、部品及び組立工程をできるだけ活用し、新規設備投資を極力少なくすること
6.最短期間で開発すること

1.3.5はいかにもいすゞらしいですね。
そして、2の点は明らかに
117の正統進化だったということが
伺えます。

5を達成するため、ジェミニ
(要するにオペルカデットですが)
をベースに新たなフラッグシップを作ろうとします。

お願いしたのは、またまた御大ジウジアーロ。

ジウジアーロは、この種のスポーツクーペの連作として

「アッソ」シリーズを世に出しておりました

アッソっていうのは
エースのことね。

アッソデ クワドリ (ダイヤのエース) BMW
アッソ デ ビッケ (スペードのエース) アウディ

そしていすゞに提供されたのが

アッソ デ フィオーり(クラブのエース)

です。

これはいすゞのジェミニの
もっともホットなモデル
ツインカムエンジンを搭載した
ZZをベースに開発したと言われています
80年のジュネーブショーには
突貫工事で出品され
インパネの一部などは
ダミーだったようですが

「1980年代のボディライン」
をテーマにジウジアーロが
出したスポーツクーペは
高い評価を得て

いすゞは市販化を検討し始めます。

前にも申し上げたように思いますが

ジウジアーロは、2座のス-パーカーより
4座のクーペーを作らせるほうが
うまいスタイリストだと思いますね。

ピアッツァも
マヨネーズと揶揄されるように
よく見るとかなりキャビンがデッカイ
クーペであることがわかります。

これはコンセプトの2を満たすために必要不可欠
だったのでしょうが、
ジウジアーロの手にかかると
まったくそのような感じを受けない。

むしろ、当時としては相当徹底されていた
フラッシュサーフェスの処理により
まったく新しい時代の車という
イメージをかもし出していました。

さて、市販化にあたって
アッソ デ フィオーりのデザインテースト
そして、インテリアデザインはほぼほぼ
そのまま生かされ、

レザーによる豪華な内装(最高級グレード)、
そして、手元ですべての操作が
できるサテライトスイッチ
デジパネ
ウインドウオッシャーノズルが
仕込まれた一本ブレードのワイパー
等々

きわめて革新的な車に仕上げっていました。

いすゞは
この車を
若者向けではなく
少しゆとりのある大人の車
「シニア感覚」
というキャッチフレーズで売り出しました。
CMソングも
当時ネクタイ族のアイドルと言われた
阿川泰子の「シニアドリーム」

べたな他の国産車のCMとは
一線を画した、都会的なCMで
われわれ子供らにはわからない
大人の世界を展開しておりました。

さて、当初ツインカムのNAエンジンで
スタートしたピアッツァでしたが
モアパワーを望む声から、
SOHCのターボエンジンを搭載

その後も、いすゞ+GMのネットワーク
を生かした、数々のチューナーの手が
はいります(イルムシャー、ロータス)

しかしベースはジェミニ
70年代のFRセダン、
りヤサスはコイルリジットアクスルでしたから

次第に古さは否めなくなり、
1990年代に入り
惜しまれつつ生産中止と相成りました。

それにしても、10年近いロングライフを全う
したのです。

惜しむらくは、もう少し最新のシャーシ
が与えられていればというところでしょうか

小規模メーカーの悲しさですね。

2代目のピアッツァは
FF化され
シニア向けのGTという感じとは
似ても似つかないような車
になっていきました。

そして、その命運が尽きるとき
いすゞは静かに乗用車生産から
撤退していったのでした。
参考
http://isuzupiazza.fc2web.com/history.htm

piazza

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