カーライフ小話10 バブルの申し子 レイトンハウス

こんにちは

 

レイトンハウスってご記憶でしょうか?

1980年代後半

レースシーンを彩った

あの水色というか緑というか

 

独特のカラーリングのマシーンで

レースに出場していたレイトンハウスです。

 

レイトンハウスのカラーリングの

アパレルを展開していたので

私は、ファッション関係の会社なのか

と思っておりましたが、

 

実はそうではなかったようです。

 

レイトンハウスは

丸晶興産という不動産会社が作ったのですね。

同社は、オフィスビルをはじめゴルフ場の経営

などで、成長している企業でした。

照明器具落下事故で一躍有名になった

ディスコ「トゥーリア」も経営していたんです。

 

丸晶興産は1984年から

レーシングチームのスポンサーになっていたのですが、

その当時は丸晶興産、もしくは子会社のメーベル商会

名義でスポンサーしていました。

 

しかし、レースという華やか世界に

不動産業者丸出しの

「丸晶興産」という名前はダサい。

と同社の女子社員がいいだしたとかで

イギリスのロンドンの地名「レイトン」を

拝借し、それにハウスをくっつけて

「レイトンハウス」というブランド名を

考案したそうです。(結局子会社の社名を変更)

この「レイトンハウス」でスポンサーをする

ということになったとき

トムスの舘 信秀社長は

「レイトンハウス」ってなんすか?

と尋ねたらしいですがそのときの

丸晶興産の代表赤城明は。

「いやまだ実体はないんですよ、これから作りますから」

といったというんだから、すごい話です。

ついでに申し上げますと、このレイトンハウスを

象徴するようなこの緑とも水色ともつかぬ

鮮やかなカラーは

ホンダシティーカブリオレの

「マイアミブルー」を拝借して

レイトンブルーと称していたというんだから

、言ってみればまあ、みんな借り物みたい

な状態だったわけですね。

 

しかし、時は日本経済絶好調。

「これから作るんですよ」の言葉のとおり、

レイトンハウスはレース活動とあわせて

アパレル事業を着実に展開。

一時は年商20億までいったし

かの高級ブランド

HUGO BOSSまで買収

したってんだから、たいしたもんですよね。

国内でもF3、F2 F3000とステップアップして

 

1987年にはイギリスの名門

マーチと組み、レイトンハウス・マーチレーシングチーム

としてF1に進出。

1989年についにマーチを買収して、

レイトンハウスレーシングチームを結成するまでになりました。

 

不動産のほうも、このレイトンハウスの

ブランドを生かして、「レイトン」を冠した、

高級マンション、ホテルなどを展開。

アパレルブランドが、レースのスポンサーを

して、商品展開するならわかりますが、

もともと何もない(不動産で儲かっていたとはいえ)

状況から、レースとともにアパレル部門を成長させ、

そしてレーシングチームとしてもステップアップ

していくという、まれに見る組織だったのですね。

 

飛ぶ鳥を落とす勢いでしたが、

代表者の赤城氏が、

富士銀行の不正融資事件で逮捕

バブルの崩壊とともにF1からも撤退。

その後もレイトンハウスは事業を

継続したものの、ついに1998年破産宣告を受けて

破綻します。

 

その後レイトンハウスのブランドは

某企業に買収され、

2015年より、アパレルブランドとして

あのレイトンブルーの商品を展開

しているようです。

 

あの、バブルを彩った、レイトンブルに

包まれて、

あの時代の空気を再び

感じてみるのも一興かも知れませんね。

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スーパーカー列伝83 イタルデザイン AZTEC

こんにちは

 

イタルデザインは、イタリアはトリノに

本拠を置く企業。

かのジョルジュ・ジウジアーロが興した企業です。

 

1960年代から、1980年代にかけて

天才的手腕を発揮した同氏のこの会社も、

その後息子に代替わりしたりして

とうとう今はフォルクスワーゲンの軍門に下って

しまいました。

その1988年の問題作

AZTEC(アステカと読む)です。

イタルデザインには

BMWに提供した似たようなモチーフの

ナスカというのもありますので、

このころは南米系ネーミングだったのでしょうか。

 

ジウジアーロは生涯を通じて、

航空機のような「キャノピー」

のようなコックピットをデザインテーマとしてまいりました。

古くはマセラティーブーメラン。

そして日本においては

ご存知SVXです。

 

このAZTECでは、キャノピーのような屋根を持った

ツインコックピットをテーマとしております。

 

実際にはツインコックピットで

両側から操作をすることはできませんが、

片側の座席にも、

あたかもステアリングのようなデザインの

ような物体が鎮座しています。

 

キャノピーがかぶさりますと

当然、それぞれ、個別の空間になりますので、

会話はインカムを介してということになります。

このキャノピーは屋根はなく、常時オープンエアです。

そして車体後半部分。

空力を意識してか、

すっぽりとタイヤがカバーされ、

そのカバーにはなにやら

車とは思えぬような、デザインが施されています。

このボディーはカーボンケブラーや、アルミなど

当時の新素材が惜しげもなく投入されていました。

 

まったく未来を目指したような外観なのですが、

一方で車としてのパフォーマンスは割合

平凡でして、

アウディークワトロの直列5気筒エンジンに

ターボを装着。ミッションはランチアインテグラーレを

流用。

最高出力は250馬力というものでした。

空力的には優れているように思えますが

あくまでオープンエアですので、

パワーはこの程度で十分と判断されたのでしょう。

 

このAZTECは1988年にイタルデザインの

ショーカーとして発表されたのですが、

イタルデザインの創業メンバーである

宮川 英之氏が、量産化(ったってそんなたいした台数ではないのですが)

を検討。ドイツで生産を委託します。

当時景気絶好調だった日本を中心に

50台を売りさばこうという

プロジェクトだったようです。

実際に生産されたのは1990年代に

入ってからだったようですが、

 

なんとそのお値段1億円ですからね。

いくらスタイリングが斬新だとはいえ

アウディークワトロの直5を積んだ

パフォーマンスが強烈でもない

スーパーカーはなかなか売れなかったようで

 

実際には25台が売れた(それでも25億ですが)

に過ぎなかったようです。

 

しかしこのAZTEC

ツインコックピット、キャノピーという革新的モチーフと

後半の未来を感じさせるつくりには非凡なところ

を感じさせるのですが、

かつての折り紙細工といわれた

ジウジアーロの煌きはあまりないような気がします。

1990年代に入って

ガラス加工や、ボディーパネルの整形も

高度な加工が容易になり局面を多用した

思い切ったデザインができるようになったのですが、

かならずしも、そのような技術が

美しいスタイリングを生み出すとは限らないのですね。

 

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スーパーカー列伝82 日産フェアディ240Z

こんにちは

 

そろそろ自動車税の季節になりました。

私のような古い車を持つ人間には憂鬱な時期です。

しかも今年度から、13年超の車齢の車は

自動車税15パーセント付加ですからね。

13年経った車なんて今日、まだまだ使えるんですから、

何とかしてもらいたいもんです。

 

さて、本日のお題の240Zです。

日本車のなかでも、とりわけ海外を

意識して作られた、フェアレディーですが、

それはその生い立ちが影響しています。

 

当時アメリカ日産社長の

片山豊

彼は本国に,アメリカ人のライフスタイルに合った

スポーツカーを作ってくれと依頼するのです。

片山は「ジャガーEタイプ」のような車を

作ってほしいと依頼したそうですが、

当時の国産車としては高度な前後ストラットに

よる4輪独立のサスペンション。

ハッチゲートを備えた

スポーツカーとしては望外に広いラゲッジなど

きわめて進歩的な設計が施されました。

 

一方で、エンジンは日産の実用エンジンである

L型をチョイス。

パワーはそこそこですが、そのタフネスさは

定評があるところで、ともすれば繊細な

メンテナンスが必要となるヨーロッパのライバルたちに

明確なアドバンテージを持っていました。

アメリカでは、この種のスポーツカーは

セカンドカーとして、若者や、ご夫人たち

に使われるというアメリカの事情を考慮したものでした。

 

さて、海外では、L24エンジン、2.4リッターが基本となった

フェアレディーZでしたが、国内ではやはり

2リッターモデルが基本となりました。

L20を搭載したモデルはその本格的な内容にもかかわらず

80万円台の安価な価格で販売され、人気を博します。

またスカイラインGT-R譲りのS20エンジンを搭載した

432Z(4バルブ、3キャブ、2カムシャフト)は

160馬力という国内最高峰のパワーを発生しました。

一方で価格も最高峰で180万円台でしたが。

 

さて、1969年の登場から2年後

ついにアメリカ仕様の里帰りとも言うべき

240Zが日本で発売されます。

240は最高出力は150馬力と、432より控えめでしたが

価格は432より安く150万円と抑えられました。

 

じつは、当時のフェアレディーのイメージリーダーは

432ではあったのですが、最速なのは

この240でした。何せパワーは150馬力と10馬力

劣るもの、最大トルクが21キロと太っていました。

いちおうカタログデーターでは、

432のほうが若干早いことになっているのですが

なにせS20はレーシングエンジンで低速トルクがなくて

その上気難しく、

また、調子のいいエンジンはGT-Rに

優先して搭載されたとの逸話もあるほどで

調子の良い432は少なかったようです。

 

まあ、買う側からすれば、240のほうが30万近く安く

そして、気楽に高性能が享受できるのですが

これで良いと思うところですが、

 

1つ問題があるんですね。

 

冒頭の自動車税ですよ。

 

当時の税制は

2リッター超の車には禁止的な額の高額税

を課しておりました。

 

1.5リッター超は

39500円

2リッター超は

81500円!

現行では

4.5リッター超で88000円ですからね。

しかも40数年前の話ですから、

物価も違うでしょう。

ということで、いくら安くて高性能でも

アメリカと同じ仕様の240はなかなか売りにくかったのでは

ないかと思います。

ともあれ、240はシリーズ最高ではないけど

影の実力者というようなポジションで

若者の憧れの的となるのです。

 

私はどうもこのフェアレディーは

240Z-Gのイメージが強いですね。

鼻先をストレッチしていかにも空力が

よさそうなグランドノーズ(通称Gノーズ)

そしてオーバーフェンダー。

 

色はマルーンですね。マルーン

それにつけても、もともとファンが多く

コレクターが多いとはいえ、

最近の高値高騰は、もはや

手の届かない存在になりつつありますね。

 

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スーパーカー列伝81 ポルシェ912

こんにちは

ポルシェ912という存在を知ったのは

大学生ぐらいのころだったでしょうか

中古車情報誌を紐解いておりますと

 

200万円ぐらいで古いポルシェが

売られております。

ポルシェ912と書いてあります。

 

912ってなんだ、そんな車あったのか

 

と当時の私は思っておりました。

 

ポルシェ912はポルシェ911のボディーに

先代のポルシェ356のエンジンを

搭載したものでした。

こちらもフォルクスワーゲンのエンジンを

ベースとした空冷水平対抗OHV

1600CCでした。

 

前にも申し上げましたが、

ポルシェ356から911にモデルチェンジする際に

4気筒の小ぶりなスポーツカーであった

356から、水平対向6気筒の本格的な

スポーツカーとなった911は

価格が高くなりました。

356は16000マルクあまりだったのに対し

911は22000マルクもしたのです。

日本での価格は356か200万円台だったのに対し

911はなんと400万円台でした。

1964年ごろの話ですからね。

1967年デビューのトヨタ2000GTが

238万円で販売されて「高嶺の花」といわれていた時代です。

 

ポルシェもさすがにこれじゃまずかろうと

思ったのでしょう。

4気筒の「廉価版」として912を3販売することにしたのです。

なんとそのお値段は315万円だったそうです。

ポルシェってのは本当に高級車だったんですね。

現在の価格で換算すると3000万ぐらいに

なるのではとのことです。

この912ですが、日本への輸入台数が100台あまり

とのことで、亜流のように思われておりますが

実のところ、911の登場から、914が登場する

1969年までなんと3万台あまりが生産され

当初は911を凌ぐ販売台数が売れたのだそうです。

ナローボディーだけと思われている912ですが
じつは914が生産中止をされた一時期
アメリカ市場だけで930のビックバンパーの
ボディーで復活したことがあります。
924登場までのつなぎだったのですが
こちらのモデルは912Eと呼ばれています。

 

小さなエンジンで、パワーも限られたものではあったものの

新開発の6気筒エンジンよりずっと軽量で、

どうしてもリヤヘビーになりがちなRRのポルシェとしては

かなり重量配分も良好で、

むしろ操縦性は優れていたとも言われています。

 

この912は、日本国内でパトロールカーとして

使用されたことが知られております。

なかでも神奈川県警に配備された車は

なんと当時のディーラーであった

三和自動車が寄付したもので、

何度か三和自動車も広告に登場させていました。

当時は、主に高速道路のパトロールに

使われており、開通したばかりの

東名高速では、追いつけない車は

なかったという話です。

 

大分昔の話になりますが

私この912を買おうと思いまして

遠路はるばる東京の車屋まだ出向いて

912に乗せていただいたことがあります。

わたくしの初めてのポルシェ体験は912

だったのですが、

濃紺のきれいなモデルで、リヤのライトが

911Rのような丸型に改造されている

車だったと記憶しています。

当然空冷4気筒なんで、

バタバタという長閑な音を奏でるのですが

あのビートルのような音ではなく

もう少し心地よいエクゾーストだったと思います。

運転席のダッシュボードの下には

後年のポルシェのようにコンソールボックスも

なにも装備されていませんでしたから

足元が以外に広いことも驚いた記憶があります。

 

たしかお値段230万ぐらいではなかったかと

値引きをおねがいしてみましたが、応じてはいただけず

結局断念したのです。

 

その後現在まで乗り継ぐカレラ3.0に出会うのですが、

あの時買っていたらいま、どうしているかな

とたまに思うことがあります。

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スーパーカー列伝80 ホンダシティーターボⅡ

こんにちは

ついに80回を数えました本シリーズ

なんとか100本ぐらいは書けるのではと

思いつつ始めましたが、だんだん近づいてまいりました。

 

さて、本日は、わが国のコンパクトスーパーカーをご紹介

 

ホンダシティーターボⅡです。

 

ホンダシティは、かの有名な

マッドネスの奇抜なCMにより、一躍人気を得ました。

なにせ、今でこそ当たり前ですが

居住性確保のために、めちゃくちゃ車高を

上げたのです。

その高さなんと1470mm

当時としては考えられない高さ。

全長は3.4メーター足らずと

軽自動車なみですから、

なんとも漫画チックなスタイリングな

車が出来上がったのですが、これを

逆手にとってこれまでにないユニークな

車として売り出したのです。

トランクルームに折りたたんで搭載される

ゼロハンバイク「モトコンポ」もその

ユニークさを強調するのに一役買いました。

車そのものは、シビックが上級移行したことによる

穴をうめる「まじめな」ベーシックカーで、

1.2リッターの高圧縮エンジンを搭載して

良好な燃費を得ることに成功していました。

漫画チックな外観は、あくまでまじめに

居住性を追及した結果だったのだと思います。

 

さて、若者にも人気を得たシティーは

登場から1年もたたぬうち早くもスポーツモデルを

発表します。シティーターボの登場です。

1.2リッターからなんと100馬力(当時のグロスでの出力表示ですが)

を発生したターボは、走りはどっちかというと眠かった、

シティーに新たな魅力を加えたのですが、

その1年後には、なんともびっくりの車が用意

されていました。

 

これがターボⅡ 通称ブルドックです。

シティーのボディーに、なんと、ブリスターフェンダーを

着せ横幅をアップ。

そしてターボエンジンにはインタークーラーを装着し、

ターボから10馬力アップの

110馬力を発生させました。

ターボⅡの車両重量は735キロと

かなり軽量でしたので

パワーウエィトレシオは6.7kg/psと

スポーツカー並みの値を示したのでありました。

さらにこれをなんとレギュラーガソリンで達成し、

加えてターボでもリッター17.6km/L(10モード)

を達成していました。

当時高性能車として名をはせていた

トヨタソアラ2800GT(1305kg、170PS)ですらパワーウエィトレシオは

7.6kg/psぐらいでしたので

いかに驚異的だったかお分かりいただけるかと

思います。

加えてこの車にはホンダらしいギミックがあり

4000回転以下でアクセル前回にすると

10秒間ターボの加給圧を10パーセントアップ

するという心憎い装備(スクランブルブースト)

がありました。

 

ヨーロッパでは、この種のハッチバック車の

高性能モデルをホットハッチと呼びましたが

シテイターボⅡはそれを超え、一種のホモロゲ

モデルのような雰囲気をかもし出していました。

 

 

その後シティーには、ターボⅡのワイドボディーから

屋根を取ったカブリオレや、

超低燃費仕様のEⅢなどさまざまなモデルが投入

されるのですが、

日本が次第にバブルに向かっていくにつれ、

人々が、ベーシックカーからより

上級の車への憧れが強くなるにつれて、

シティーは次第に人気を失い。

次期モデルは、トールボーイスタイルを捨て去った

お安いパーソナルカーのようなペッタンコもでるに

なってしまうのでした。

 

それにしても、

こんな面白い車が当時新車でわずか

120万円代で購入できたのです。

財布の軽い若者にとっては、

手の届く夢だったでしょうね。

 

シティーターボⅡは、カブリオレなどと

ともに、たまに中古車も流通することが

あるようですが、新しいモデルでも

車齢30年を数えますから

程度の良い個体を見つけるのは

至難の業でしょうね。

日本がいまより元気だったころの

魅力あふれるコンパクトカーでした

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カーライフ小話9 テスラモーターズ

こんにちは
次々と電気自動車の常識を
打ち破るモデルを世に送り出している
テスラモーターズですが、
ニューモデル モデル3の予約販売をはじめております。
15万円の予約金が必要にも
かかわらず好評だという話です。
現在のレートで400万円ほどで
手に入る手ごろな価格設定も功を
奏しているようです。

今度のモデルは、追々自動運転も視野
に入れているそうで、
プログラムのアップロードにより、
実現するのだそうです。

テスラモーターズは、一番最初
のモデルはロードスターの
スポーツタイプでした。

こやつはなんとシャシーは
ロータスに頼んでいたのですね。

バッテリーやモーターも他社から
の供給ですので、

テスラは企画だけ見たいな状態では
ありましたが、このロードスターは
「電気自動車=遅い」のイメージを
打ち破ることに成功しました。

なんせ、モーターは内燃機関と違いまして
最低回転から、猛烈なトルクを
発生しますから、
これまでの内燃機関の車の加速とは
わけが違いました。

このロードスターの成功で、
本格的な乗用車モデルSと
クロスオーバータイプモデルXを自社開発
することになります。

当時の自動車業界はどん底の大不況で、
ビッグスリーから優秀な技術者が流出
したのも幸いしました。

このタイプSも同様に
「電気自動車=遅い」のイメージをうちやぶることに
命を懸けていたようで、
一番パワーのないモデルでも
5リッターV8なみのパワーを
有しているそうです。

今回出されたモデル3についても
「電気自動車=遅い」のイメージをうちやぶることに
は意を注いでおり、

なんと0-100キロ加速は6秒を切るそうです。

卑近な例で恐縮ですが、

私所有のポルシェ911カレラ3.0は
0-100キロ加速は6.3秒とのデーターがあります。

テスラモデル3は車齢40年近いポルシェなど
ものともせず、シュルシュルシュルと
抜いていくのです。

さて、一方で、
このような大パワーの弊害として、
ドデカイモーターと
ドデカイバッテリーを搭載した、
テスラは

実は「相当重い」

そうでして、非公表ながら、

現行モデルのタイプSは
車両重量が2.2トンを超える
との話もあるようです。

車格がぜんぜん違いますが
日産のリーフは1.4トン程度
ですので、かなり重いということが
お分かりいただけるかと思います。

今回の「スピードフェチ」のタイプ3は
果たしてどのぐらいの重量で出てくるか
非常に興味深いところです。

ところで
昨日聞いた話なのですが、
このテスラの代表者である
イーロンマスクという人物は
スペースXの代表者でもあるのですね。

テスラのことは知っておりましたが
不勉強にもどういう人が経営しているのか
知りませんでした。

このスペースXですが、
ロケットによる商用輸送サービスを
手がける企業でして、
つい先ごろ、なんとロケットの
垂直着陸に成功した企業です。
SFのように逆噴射しながら
着陸することに成功したわけでしょうか。

なんで電気自動車の会社と
宇宙への商用輸送の会社を経営しているのかと
いうと、

地球上の人口増加は避けられない

地球上の人間を宇宙に移送しなければならない時がくる(スペースX)

それまでは、地球上のモビリティーを持続可能性あるものにしなければならない

とりあえず内燃機関の車は排除しなければならない

まずは可能性のある電気自動車(テスラ)

という図式だというのですね。

いやはや。

日本は大企業、国をあげて、
日本の重要産業である、自動車産業を
守るべく、

自動運転だ、燃料電池車だ
と次のデファクトスタンダードを
とるのに躍起になっておりますが、

こういうでかいことを考える経営者に

本当に勝てるのだろうかと
一瞬不安になる話でありました。

 

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スーパーカー列伝79 ランボルギーニシルエット・ジャルパ

こんにちは

私の知る限り、
スーパーカーを買うという人には、いろんな
種類の方がおられまして、

ランボルギーニ命といったように
特定のメイクス(場合によっては車種まで)
にこだわって選ぶ(あるいはそれに乗り続ける)

という方と。

ランボもいいけど、フェラーリもポルシェもいいよね。

と次々乗り換える。(あるいは増車する9

というタイプの方がいらっしゃるように
思います。

前者の方は、車に大変お詳しい傾向があり、レストアとか
整備も自分でやる、という方が多いでしょうか

後者の方はめちゃくちゃ詳しくはないけど
ドライビングがお上手で、サーキットなどにも繰り出し
車を走らせるのがお好きという感じでしょうか
整備も信頼あるお店に任せてるから
と、じぶんでは手は下さない
という感じでしょうか。

前者の方にとっては、どうでもいいことかもしれませんけど
後者の方にとっては
メイクス間のライバル関係ってのは
重要かもしれませんね。

たとえば、ポルシェの911とフェラーリのV8とどっちにするかとか。
(うらやましい悩みですが)

まあ、そういうかたがたのために、この、
シルエット、ジャルパも生まれてきたというところでしょうか。

シルエットは、ランボルギーニのV8、4座の
ウラッコをベースとしています。

ウラッコは本シリーズでも取り上げましたが
V8横置きミドシップというレイアウトで
4座を実現し、ポルシェ911の市場を狙った
車でありました。ランボとしては量産して
市場拡大を図ろうとしたのですが、

ランボの生産技術の問題か、
トラブルが続出。
市場にはあまり受け入れられませんでした。

一方フェラーリはディーノ308GT4で同じようなことを
狙いましたが、いまいち成功しませんでしたが、
これをベースに308GTB/Sを発表
V12でなくてもフェラーリという
掟破りの方法で、
フェラーリの拡販に成功したのでした。

ランボルギーニも。
「その手があったか」
とこのシルエットを出したのでしょう。

ウラッコのどことなく抑制的で
洗練されたたたずまいを一変。
当時はやった「シルエットフォーミュラー」ばりの
レーシングカー風デザインを着せ

エンジンもチューンして、

ウラッコベースの2座スポーツ
を仕立て上げたのでした。

ところが、
当時のランボルギーニはオイルショックやらなにやらで
倒産寸前。

もともと信頼性が高くなかったウラッコベースですし
ウラッコは4座を確保するためにかなり
構造的に無理をしていましたから、
整備性が極めて低かったようです。

そして1978年にランボルギーニは
あのBMW M1の委託生産をキャンセル
され(作れないんだからしょうがない)

とうとう命運がつき、イタリア政府
管理下となります。
シルエットも1979年には生産を中止します。

そして1981年パトリックミムラン率いる投資
グループに売り飛ばされ、新体制となります。

そのとき、このシルエットのエンジンの
排気量を拡大(ストロークアップ)
概観をちょいと手直し。
そしてカウンタック風のエアロパーツを
引っ付けて、

ジャルパが登場するのです。

とりあえず、数が見込める
価格の安いモデルを手っ取り早く
出すというのが当時の新体制の
考えだったのではないでしょうか。

このジャルパですが、なんと排気量は500CCアップ
(3500CC)しているのですが、最高出力は3000CCの
シルエットより低下しているという前代未聞のスペックです。
車両重量も1200キロ台のシルエットから
ジャルパでは300キロほど増加しています。

まあ、おそらく
新体制のほうが正直だったのかと思われますが(笑)

増産を目指した、ジャルパでしたが
またもやオーナーが変わってクライスラー体制化となっても
1989年まで生産が続けられましたが、
50台あまりしか生産されなかった
シルエットの3倍ほどの生産台数
を数えることしかできませんでした。

いくらなんでも、元の信頼性が低すぎたのでしょう。

初代のシルエットは、多くが故障し
力尽きたものも大く
現在では、30台ほどが残っている
に過ぎないといわれています。

 

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スーパーカー列伝78 フェラーリ400シリーズ

こんにちは

いまでこそ、スーパーカーメーカーが
セダンタイプと申しますか
実用的な後席をもつスーパーカーを
つくることはそうめずらしいことではなくなってきました

(例、マセのクワトロポルテ、ポルシェのパナメーラ等)

しかし、そのパイオニアはこのフェラーリ400だと思うのです。

フェラーリは、この400シリーズを出す前にフェラーリデイトナ
(365GTB)のシャシーを流用して365GTC/4を発表しました。

このGTC/4ですが、デイトナ的曲線と
その後のBBのようなテイストを混ぜ合わせたような
フロントマスクでなかなかかっこ良いのですが、
デイトナベースということで、後席が物置に
しか使えないと不評でした。

そこで、もう少しまともな後席がついた
クーペのような車として、400が改めて発表
されたのです(デビュー当時の名称は365GT4/2+2)

その後エンジンが拡大されて、
400となり、その後インジェクション化されて
400i,さらにエンジンを拡大されて
5リッターエンジンを搭載された際には
412と呼ばれるようになりました。

私が子供のころの記憶をたどりますと
本車は400ATと呼ばれていたように思います。

この車にはなんと、フェラーリとしては初の
採用となるGM製の3段オートマチック
トランスミッションが用意されていたのです。
日本仕様にはこのオートマチック仕様のみ
正規輸入されていたので、
400ATと呼んでいたのだと思います。

さて、フェラーリの最高峰
4,4リッター12気筒を搭載した
400は最高出力は340馬力と
公称されておりましたが、
フェラーリ一流の理想的
条件に基づく
希望的出力だと思われますので
ここまでは出ていないと
おもわれますが、最高速度は
時速250キロとアナウンスされておりました。

クリーンでシャープなイメージの
400シリーズは、
その美しさとも相まって、長寿モデルとなり
1972年から1989年まで
17年の長きにわたって生産されました。
スーパーカー的要素を持つ実用的
スポーツカーとして長く唯一無二の存在だった
400はその後も456というニューモデルに
引き継がれたのです。

さて、この車、
子供のころは、スーパーカーの中では
地味な存在で、
スピードも大して速くはなかったので
あまり興味のない存在だったのですが
いま、改めて見直してみると
実に魅力的だと思います。

いわゆるスーパーカーファンのみなさんも
いつもシャカリキになって飛ばすのではなく
ゆったりと流してみたいという
気分になることがあるのでは
ないでしょうか

そんなとき、その相棒が
フェラーリのエンジンを積んだ
エレガントなクーペだったら
というのは
だれでも夢想することなのでは
ないでしょうか。

それから、私が思っているだけかもしれませんが
日本車でこのイメージを拝借
した車も結構あったのではと思います。
後ろから眺めるとN社のS(通称日本というやつ)
前の方から眺めると一連のH社のリトラクタブルセダンシリーズ

皆さんどう思われますか?

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スーパーカー列伝77 ポルシェ914

ワーゲンとポルシェの話
続きます。

ポルシェってのは正式な社名を和訳すると

フェルディナンドポルシェ名誉工学博士 株式会社

となるんですが、

いってみれば、この会社はナチスにうまいこと利用された
ポルシェ博士の名誉を回復し、その知的財産を
活用していこうというような存在意義を
あらわした社名ですね。

当初はベンチャー企業のようなもんで、

一番最初に出したポルシェ356だって

ポルシェが手を加えるものの、
基本的にはワーゲン(ビートル)のコンポーネンツを
うまいこと利用して、
軽量コンパクトなスポーツカーを生み出そう
というコンセプトでした。

手持ちのコンポーネンツがRRの
ビートルだったので、356もいきおい
RR(本当はミドシップにしたかったみたいですが)
だったのでポルシェはRRになったわけですが
356が名声を得たため、
次のポルシェ911もRRにする
というのは規定路線となり、
この911が名声を得たため、
ポルシェ=RRという図式ができてしまいました。

まあ、昨日のエピソードでもお話したとおり
ポルシェのワーゲンはなんとも関係が深い
企業でして、この両者が組んだプロジェクト
がこの914だったわけです。

914はその昔の356と同じような
成り立ちです。

エンジンはビートルのエンジンをベースとして
ワーゲンが製造

そしてボディーの設計、製造は
ポルシェが受け持つ。

そしてブランドはワーゲンとポルシェの
ダブルネームでした。

これには両者の思惑がありました。
ワーゲンにはビートルのコンポーネンツ
を利用した新しい車の製造。

そしてポルシェは356に比べて豪華
で本格的になった911が結果的に
価格が高くなってしまったため、
もっと安価で量産が見込める車の開発です。

この両者が組んでできたのがこの914です。

356、911が4座にこだわったため
実現できなかったMRレイアウトを
この914では初めて採用。

そして、商品力を高めるデダッチャブルトップ
でオープンエアードライブも可能としました。

そして、ポルシェらしいのが居住性の確保

2座のスポーツカーですが
914はキャビンスペースもかなり
広く取っており、ラゲッジスペースも
かなり実用的でした。

もちろんMRですから走りも妥協していません。
また重心の低い水平対向エンジンですからね
素性はかなりいいでしょう。

このワーゲン・ポルシェのジョイントプロジェクトは
一定の成果を上げ、
914が登場した1970年には16000台
その後は20000台以上を生産して
ポルシェの「増産」という目標は達成します。

一方で、「本物のポルシェではない」という
評判もありました。
その後、それらの批判をかわすためか
ポルシェ製のフラット6を搭載した914/6も併売
されたのですが、そのワ-ゲンのマークを
忌々しく思っているエンスージアストも少なく
なかったでしょう。

またポルシェがまじめに設計した弊害か
スタイリングがあまりエキサイティングで
なかったことも批判の的となりました。

スポーツカーってのはイタリアンスポーツのように
「居住性なんか知るか。かっこいいんだから我慢せい」(例カウンタック)
のような気合でスタイリングせねばならんのですが、
なまじまじめなワーゲンとポルシェが組むと
「走行性能と居住性の高度な妥協点」
を見出そうとして、あまり面白みのない
スタイリングになってしまうのかもしれません。
そのせいか、おせっかいな社外デザイナーが
914をベースとしたデザインスタディーを
種々発表します。(写真はジウジアーロ先生作)

ともあれ、914ポルシェとワーゲンという
会社の成り立ちを考えれば、914というのは
ポルシェの祖となる356と同様な
成り立ちであるわけで、

オープン、水平対向、ミドシップという
コンセプトは後にボクスターという
ヒットにつながるわけですから
このワーゲンポルシェプロジェクトは
もう少し評価されるべきではないかと
思うのです。

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カーライフ小話8 幻のゴルフ開発計画

こんにちは

私のような
エキセントリックなカーマニアというのは
どうも斬新な機構とかメカニズムに
目を奪われるのですが
往々にして、自動車ってのは
「枯れた」技術、いわゆる
信頼性の高い、オーソドックスな技術で
作られるほうが、安くて信頼性が高く
良い車であったりするものです。
そういうわけで、革新的な技術は
引き継がれず終わってしまうものです。

たとえばトヨタの天才卵のキャッチフレーズで
有名であった初代エスティマ。

こちらはアンダーフロア横倒し縦置き
ミドシップという革新的なレイアウト

そのためにエンジン開発に膨大な
費用を要したといいます。
社内では
「エンジンを倒すのはいいが、
会社を倒さないでくれ」と揶揄されていたとか。

膨大な開発費をまかなうためか、
初代エスティマは延年と作られ続けましたが、
結局直4しか搭載できないことが仇となり
そのあとのモデルは普通のFFになってしまいました。

久々に前置きが長くなりました

本日のお題はフォルクスワーゲンゴルフが
このアンダーフロアミッドシップのポルシェ
設計で出たかもしれないというお話です。

1960年代フォルクスワーゲンは
そのベストセラービートルをどうするのか
いい加減考えねばならない時期に来ておりました。

そりゃそうですよね。
基本設計はなんせ戦前ですから。

そしてこのビートルには
1台あたりポルシェにライセンス料を
支払いするという、ポルシェに
とっても大問題があったんです。

当時の社長
ハインリヒ・ノルトホフは、この
ポルシェ・ワーゲンの蜜月関係を
維持すべく、

ビートルの後継車を、再び
ポルシェに委託することを決定します。

当時のフォルクスワーゲンは戦後の
焼け野原からスタートしたとき
とはわけが違います。

自社開発能力があるにもかかわらす
ポルシェとの関係を維持しようとしたのです。

設計の取りまとめをしたのは
ご存知 フェルディナンド・ピエヒ
ポルシェ博士の孫です。
おじいちゃんの名前をもらってるぐらいですから
天才技術者なのです。

ピエヒはワーゲンにあっと驚く提案をしました。

小型車にとって一番邪魔になるエンジンを
なんと、リヤシートの真下に横倒しにして収め、
フロントとリヤにトランクルームがあるという
画期的な試作車EA266を提案したのです。

ミドシップ、エンジンを横倒しにしたことに
よって、低重心、そして操縦性の向上も図ろうという
野心的なモデルでした。

フォルクスワーゲンは、このモデルを
本気で生産使用としていたようで
量産寸前まで、テストを繰り返し
ほぼゴーを出す寸前だったようです。

しかし、フォルクスワーゲンのノルトホフは
1968年に急死。

後を引き継いだ社長は、
EA266が生産性が低く、
整備にも手間がかかるという事実をつかみます。

そこで新社長は、
関連会社アウディーのパワートレインを流用した
安く作れる車の開発を進め、
ポルシェのEA266の契約を破棄するのです。

その後、ポルシェは同属経営の弊害を廃すると
いうことで、ピエヒも追い出され、

ワーゲンから入ってきた莫大なライセンス料も
手に入らなくなって、
苦悩の70年代を迎えるのです。

それにしても、1960年代この車が
世に出ていたら、どうなっていたでしょうかね。
フロントにエンジンが無いため、衝突安全に優れ、
ハンドリングもすばらしかったと言われています。

これが小型車の標準になっていたら
なんて夢想しますが、
整備はどう考えても
大変そうですから
そうはならなかったような気もします。

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EA 266.4

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