こんばんわ
90年代「音速の貴公子」とよばれた
アイルトン・セナの、本日は命日だそうです。
昨日音速の彼方へ アイルトン・セナという
ムービーを見ました。
彼の命日が翌日というのは全く、記憶していなかったのですが、
80年代末から90年代半ばまで、
主にフジテレビの功績かもしれませんが、
これまで一部のマニアのものであった
F1が爆発的な人気を得るように
なりました。
テーマソングはスクエアのトゥルースでしたね。
その真実という意味があらわしていたのは
ドライバーの実力、そして車の出来不出来、
それらをすべて総合して、
優劣を競う、それこそが真実のレース
だったのかもしれませんけど、
昨日見た、ムービーの内容からは
そうした真の実力ではない、
政治の世界が垣間見られました。
アイルトンと当時実力を競い合った
アラン・プロスト。
かれはフランス人。
ヨーロッパの勢力が強い
F1の世界で、着実なドライビングで
確実にポイントを重ねていく彼と、
毎回ポールポジションをとって
常に優勝を狙うアイルトンは
新興国ブラジル出身のレーサーでした。
アランには、卓越したドライビングテクニックと
年間を通して、チャンピオンになるための
ポイントを重ねていくというクレバーな
選択ができるドライバーでした。
しかし、それには、FIA会長である
ジャン・マリー・バレストルとの親密な
関係という政治力がバックにあったのですね。
わたくしはF1人気絶頂のころ、
その当時、ホンダとも親密な関係であった
アイルトンへの、絶大な人気に
違和感を覚え、
安定したレースで着実にポイントを重ねる
「プロフェッサー」プロスト
のドライビングに共感を覚えた
ものでしたが、
今にして思えば、
新興勢力にして、天才アイルトンは、
その政治力のなさを鑑みれば
プロフェッサーのような
勝ち方はできなかったのかも
知れない、
そして、勝ち続け、頂点を極めるためには
多少ドライビングが乱暴だとか
いろいろ揶揄されても
常に、チャンスを見つけてチャレンジする
という姿勢が必要だったのかもしれません。
その点で、当時、恐るべき勢いを持つ
日本の新興勢力、ホンダとの
コラボレーションは必須だったのかも
しれませんね。
3度のワールドチャンピオンを獲得し、
名声をほしいままにしたアイルトンでしたが、
自分のキャリア絶頂の時期を
よりよく過ごすことには
きわめて貪欲でした。
その旬の時期は短いことを
知っていたのですね。
切望していた、最高のチーム
ウイリアムスに待望の移籍を
果たすのですが、
そのときウィリアムスには
前年までの優位を確立していた
トラクションコントロールも
電子制御サスも奪われた
ナーバスなマシンしか残っていませんでした。
いまだなぜ彼がサーキットで命を
落としたのかは諸説ありますが、
偉大なレーサーが、
安全でないマシーンに乗り込んで
亡くなってしまったのは
本当に残念なことだと思います。




