こんにちは
またあの人の話
デトマソの創始者
アレッサンドロデトマソはなんとも
破天荒な男でした。
故郷のアルゼンチンを追われ、
イタリアではレーサーとして活躍し、
大金持ちのアメリカ人女性レーサー エリザベス(イザベル)・ハスケス
と結婚。
イタリアに亡命してわずか2年のこと。
このハスケスの実家のバックアップの元
スーパーカービジネスに参入していくのです。
最初に出したロードカーは
ヴァレルンガ。
フォードの1500CCの4気筒OHVエンジンを
搭載したこの小型のミドシップカーはレーシングカー
並のメカニズムを備えていましたが、
いかんせん完成度はまだまだでした。
もっとパワーのあるエンジンをと考えた
デトマソは、また妻の実家の力を利用して
フォードに接近するのです。
そして、新しい車にはフォードのV8エンジンの
供給を受けることに成功。
となれば、最初の生産モデル
ヴァレルンガのシャーシーを改良して、
これを美しいスタイルで包む
スタイリストを調達すればよい。
うってつけの男が登場します。
鬼才、ジウジアーロ。
ベルトーネに在籍していた彼は
あのランボルギーニミウラの基本デザインを
置き土産に同社を退社。
今度はギアのチーフデザイナーとして
迎えられたのです。
当時のギアはチーフデザイナーの
ルイジ・セグレの死後不安定な
経営が続いていましたが
ジウジアーロは、、マセラティー・ギブリ、イソ・リフォルタ・フィディア
そして日本には、あの117クーペを送り出すなど
のりにのっていた時期でした。
デトマソマングスタは、ジウジアーロと
カロッツエリア・ギアの手によって
生産されることになったのです。
マングスタは、いわゆるスーパーカーの
定番とも言うべき、リトラクタブルライトは
採用されていませんが、丸目4灯ヘッドライトを備えた
フロントグリル周りはいかにもジウジアーロ
という雰囲気をかもし出します。
この雰囲気は、あの117クーペや
アルファロメオアルフェッタGTなどと
共通のものを感じます。
要するにフロントグリルの庇が長めで
どことなく不敵な表情を見せるのです。
また、なんといってもユニークなのは
エンジンフードが左右2分割になっている点でしょう
このリヤビューは、どの車にもない
斬新なものです。
エンジンはフォードの4700(289cui)で
最高出力は305馬力を発生
車両重量は1トン足らずで
ZFの5段ギアボックスを介して
最高速度は250キロと公表されていました。
デトマソはフォード製のエンジンを搭載することで
主たる市場であるアメリカで、エンジンのメンテナンス
などに手間のかからない車を目指していたようですが
実際は、小さなヴァレルンガのシャシーを流用して
大きく重いV8を搭載したことで、
重量配分が悪化。
また最低地上高さもこの種の車としては
非常に低いため、
町乗りには苦労する車であったようです。
しかしながら、このマングスタにより関係ができた
デトマソはフォードとのジョイントベンチャーを
企画。それが後のパンテーラープロジェクトに
つながっていくのです。
さて、この車のマングスタ、ご想像いただけるかも
しれませんが、「マングース」のことです。
なぜマングスタなのかと申しますと
コブラの天敵だからです。
コブラといえばあの名車
ACコブラ。
デトマソはACコブラを生産する
キャロルシェルビーとなんらかの
フォードエンジンの供給をめぐる
トラブルがあったとも言われています。
コブラを食うマングスタ。
そのイメージは、創業者
デトマソのイメージにもつながるところが
あるように思います。




