カーライフ小話16 近所の英車マニアな店

こんにちは

青森に転進しましてから

なかなか更新ができておりませんが、

ようやく居も落ち着きましたので、これから頑張っていきたい

と思っております。

 

さて、引っ越した先に、どうも気になる店が存在しています。

いちおうタイヤ屋さんのようなのですが

店頭には中古車もおいてあります。

また置いてあるのもかなりマニアな車種です。

当地は雪国ということもあり

結構古いランドローバーが走っているのですが

(それもディーゼルだったりします)

また、ミニも新しいミニはほとんどみませんが

なぜか、古いオリジナルのミニが

颯爽と走ったりもしています。

 

ひょっとして震源地はここなんでしょうか

 

先日は白いMGFの程度の良いものが

ピットに入っていたりして、

わたくしもかつてMGFを新車で購入したこともあって

懐かしく眺めていたりしたのですが。

 

考えてみますと私の社歴に結構

英国車は存在していたような気がします。

最初に自分で買った車もMGFでしたし、その後ローバー800

なんてのも乗りました、その後はジャガーも(どっちもポンコツでした9

そして現在鎮座する、ディスカバリー。

 

英国車って、ラテン車ほどいい加減ではなく

ドイツ車ほど固くなく

 

なんとも良い感じがいたしますね。

 

ジャガーは壊れませんでしたが、今のディスカバリーは

どうもいろいろありそうで、

ちょっと手を入れてやらねばならぬのですが

 

ちょっとお向かいに相談

というのもありかもしれません。

IMG_20160728_120333 IMG_20160728_120403

IMG_20160728_120351  IMG_20160728_120427

IMG_20160728_120442

スーパーカー列伝99 いすゞべレットMX1600

1969年

前年あのいすゞ117を発売し、

ジウジアーロの理想のスタイリングを

手作りという形でコツコツ具現化していた

いすゞから、また新しいショーモデルが

発表されました。

 

いすゞべレットMX1600

 

1967年にべレットにGTを追加して

べレットにはスポーティーなセダンというイメージが

定着していましたが、このMX1600はベレットとは似ても

に似付かない車でありました。

 

ベースとなったのはいすゞが初めて製作した

レーシングカーべレットR6

 

エンジンは117に搭載された、1600DOHCエンジンを強化して

ミドシップに搭載。

シャーシは鋼板製のモノコック、カウルは当初アルミでしたが

後半はFRPに改められました。

 

この車をベースとして、

117開発で関係を深めた、カロッェリアギアが

手がけ、日本車とは思えぬようなウエッジシェープの流麗なFRP製ボディーを

架装しました。

 

1969年の東京モーターショーに出品したところ

大変な反響を得たMX1600。

いすゞも当初はショーモデルとして、モーターショーの

賑やかしぐらいに考えていたのか、

このMX1600は実際に走らせるには

大きな問題を抱えていました。

 

全く冷却のことを考えていなかったのです。

 

確かに当時の写真を見ると冷却のための空気

取り入れ口のようなものが見当たりません。

 

次第に量産という方向に変わってきたMX1600

翌年の1970年の東京モーターショーには

改良されたMX1600Ⅱが発表されます。

 

流麗なフロントのリトラクタブルライトは廃され

ヘッドライトは117クーペのような丸目4灯に変更され、

フロントグリルが装備されます。

またボンネットにもエア抜きのグリルが設けられました。

ミラーも当時の法規に沿ったフェンダーミラーに

MX1600よりも現実的なデザインに改められました。

 

どう見ても数が見込めるモデルとは考えにくいものでしたが

いすゞは117クーペで少量生産のノウハウの

蓄積も十分だったと思います。

いよいよ量産化に向けて秒読みかと

思われていた1600MXⅡでしたが結局のところ

量産されることはなく、ショーモデルとして、数台が

製作されただけで終わりました。

 

量産化がキャンセルされた理由としては、

営業サイドの反対が大きかったと言われています。

 

当時117クーペは手作りに近い生産体制をとり

日産僅か50台。

 

いすゞには高性能エンジンの手持ちは1600のG160 DOHCしか

手持ちがなく、117も1600で出さざるを得なかったのですが

 

この手作りに近い生産体制が災いしてか、

なんと172万円のプライスタグを掲げておりました。

 

クラウンが90万円台、あの名車ハコスカのGT-Rですら

高いといわれても150万円だった時代です。

 

これに加えてもっと日産台数は少なく、

価格も高い車をラインナップに加えたところで

営業的にはさっぱり貢献しないだろう

という判断だったのかと推察いたします。

 

MX1600を諦めた、いすゞはその後117の生産性を向上させ

手作りに近い生産体制を改め、

エンジンを1800に拡大して、価格も下げ

他の量産メーカーに伍して拡販を図ろうとします。

 

しかし、いすゞがいかに頑張ろうとも

トヨタ、日産、ホンダ、三菱などとの

経営体力の差は明らかでした。

 

いすゞは一部に熱狂的なファンを抱えながら、

経営体力の差から、モデルチェンジ時期が

長くなり、やや陳腐化した車を長く生産する

というメーカーになっていきました。

 

そしてバブル崩壊後の1993年には

乗用車の生産、開発をストップするのです。

 

当時MX1600の量産を断念した経営の判断が

正しかったのか正しくなかったのは私もよく

わかりませんが、小メーカーが生き残るために

いすゞ117で培った「少量生産のノウハウを

生かしていたら、いすゞももっと長く残り

日本唯一のプレミアムブランドになっていたかも

知れないと思うのです。

img_0 img_3 1c5d84aa86d9edfc2da2a4230ce5ca750740ba92_m

 

 

 

 

 

スーパーカー列伝98 ロータス・エリート・エクセル

70年代

ロータスの屋台骨を支えた、エスプリ。

しかしそれ以外の車はぱっとしませんでした。

ポルシェ911がある程度実用性を兼ね備えた

スポーツカーという独自のジャンルを確立して、

スポーツカーがビジネスマンズエクスプレス的に使われる

という、想定外の事態が起こり、

スーパーカー専業メーカーは盛んに2+2モデルを

出したのですが、ロータスもそれに追従し

4シーターモデルを投入しました。

 

かつての名車エリートの名前を復活させた

エリートⅡです。

 

エリートは初代モデルとは全く違う、どちらかといえば、

実用性を高めた2+2のイギリス伝統のシューティングブレーク

のような形の車でした。

(実際はワゴンのように中が貫通しておらず、仕切られていたため

ガラスハッチ付きの2ドアセダンという形式だったようです

4座のシートは意外なほど居住性が良かったのですが

70年代イギリスの自動車業界はストライキの嵐が吹き荒れ

車のクオリティーが低く、高い評価を得られなかったようです。

 

また、このカッコもあまり評判がよくありませんでした。

写真を見ていただけるとわかると思いますが、

スポーツカーというより、バンという感じの、

リヤデザインでした。

ロータスもこれを受けてエリートⅡの発売の1年後に

リヤデザインをやり直してファーストバックにした

エクラを発表します。エリートとエクラは兄弟だったのですが

リヤデザインの関係で、エクラのリヤシートはやや狭く+2の

レベルではありましたが、エリートよりはスタイリッシュで

受けが良かったのでしょう。

エリート、エクラは1980年にシリーズ2に移行、エンジンは2.2リッターに

改められます。

 

その後1982年に創業者コーリンチャップマンが死去

ロータスは一気に経営難に陥ります。

 

そんななか、なぜか当時同社と蜜月であった日本のメーカーが

救いの手を差し伸べます。

 

トヨタです。

 

本シリーズでも取り上げましたが

トヨタセリカXXのCMにコーリンチャップマンを起用。

XXのサスはロータスチューンという話がまことしやかに

語られるなど(どうも本当のようです。トヨタHPにロータスに開発委託と書いてあります)

関係を深めていたのです。

 

ロータスはエリート、エクラの2モデルをエクラのみに絞り

トヨタ製ミッションなどのパーツ供給を受けて

エクラをマイナーチェンジ、エクラ・エクセルと名付けて

販売します。

1983年にはいつの間にかエクラが取れて単にエクセルと

呼ばれるようになります。

その後1992年までロータスのエントリーモデルとして

長く生産されました。

 

さてこのエクセル。

バブルのころは結構流通していたのですが、最近は全く

と言っていいほど見かけません。

当時の写真を見ますと、外装はやや古臭いもの

内装は、イギリスの伝統とも言うべきウッドとレザーを

多様した高級感のあるもので、

スポーツカーは欲しいけど、4座じゃなきゃだめ

でもポルシェはいやという向きには結構

受けたのではと思いますが、いかにトヨタ製パーツ

が一部使用されているとはいえ、その信頼性には

疑問符が付くような状況でした、勢い

中古車価格もかなり低迷していましたから、

その後壊れても直して乗る、というふうには

ならなかったのかもしれません。

 

エクセル。どこにいるのでしょうか?

 

lotus_excel_1982-92_1 ダウンロード (1) ダウンロード (2)

 

スーパーカー列伝 97 ランチアデルタインテグラーレ

70年代、あのストラトスでラリー界でその名をほしいままにした

ランチアですが、ストラトスとは似ても似つかない

割と実用的で先進的なサルーンを作るメーカでした。

デルタをさかのぼること、ベータ、フルビアなどで

すでに前輪駆動を導入。

フルビアでは特徴的な狭角V4で

カムシャフト2本なのに実質DOHCという

凝ったメカニズムを採用していました。

 

さて、デルタは、当時画期的なFF大衆車であった

あのゴルフを意識したモデルと言われました。

 

なんせ、スタイリストはあのジウジアーロ

ゴルフと同じです。

 

レイアウトもベータの時代から採用した、

ジアコーザ式(エンジンとミッションが平行に並べられるレイアウト)

をとり、現代の標準的なFFパワートレーンを採用します。

内装には、人造スエードで、ランチアの代名詞ともいえる

アルカンタラを採用するなど、小型でありながら

高級な雰囲気を兼ね備えていた、デルタは

きわめてランチアらしい車でありました。

 

しかし、フィアットグループ傘下となっていた

ランチアは、またあのラリーでの活躍を

義務付けられた、スペシャルモデルの開発

が必要となりました。

 

当初はWRCはグループBという、

見た目は市販車に似ているが、中身は似ても似つかない

専用設計のスーパースポーツで争われました

デルタもこのレギュレーションに沿った

ホモロゲもでるデルタS4を投入したのですが

軽量なボディーにラリーモデルでは600馬力を

発生するミドシップモデルは、いかに4輪駆動であるとは

いえ、常人には扱いかねる、モンスターとなってしまいました

86年には、このデルタS4はドライバーとコドライバーの二人

とともに谷底に落ち、二人とも帰らぬ人となる

大事故を起こしてしまいます。

その他の車も観客を巻き込むなどの事故が相次ぎ

86年限りでグループBによるラリーは終了となってしまいます。

 

そうした中、今度は市販車をベースとしたエボリューションモデル

によるラリーが開催されるようになります。グループA時代の幕開けです。

デルタはこのレギュレーションに合わせ、エンジンの排気量を

拡大、ターボをドッキングして出力を向上。

駆動方式は4輪駆動に改める。

ヘッドライトも角形から丸型4灯に改められました。

HF4WDと名づけられました。

そのごブリスターフェンダーを備えてトレッドを拡大した

HFインテグレーレ

エンジンを16Vにした

HFインテグラーレ16V

さらにボディーを強化した

HFインテグラーレ16Vエボルツィオーネ

そして、最後の記念モデルともいうべき

HFインテグラーレ16VエボルツィオーネⅡ

と毎年のように、進化したモデルが投入されて

行きました。

ランチアが天下を取っていたのは

80年代後半から90年代諸島まで、

その後、この手があったとばかりに参戦してきた

トヨタ、スバル、三菱の4WDスポーツ群に

次第にその座を明け渡していくようになっていきます。

 

そもそも4WDの高性能スポーツなんて、そんなに

売れるもんではなかったのですが、バブル弾けたとはいえ

いまだ世界に冠たる経済大国であった日本では

この手の4WDスポーツが結構売れるという

世界にも稀な市場であったことも幸いしました。

 

このデルタ、当時はハイパワーなスーパーカーと

いうイメージがありましたが、実際のところは

2リッターで200馬力と、現代の感覚でいえば

極常識的なパワーであることも事実ではありますが

どちらかといえば地味な2ボックスカーであった

デルタを改造して、ブリスターフェンダーや

エンジン冷却や、ターボチャージのための

あちこちに開けられたエアスクープなど

そのエヴォリューション感が何とも言えない

スーパーな雰囲気を醸し出し、

それが車の魅力となっていたように思います。

 

90年代半ばごろまでは結構見かけたランチアでしたが

最近はあまり見なくなりました、パワフルなターボプラス

4WDのイタリア車維持はなかなか大変なのかも

しれませんね。

 

 

スーパーカー列伝 96 トヨタソアラ

こんにちは

セリカXXの回でも申し上げましたが、

80年代、オイルショックや、排気ガス規制という

悪夢のような、社会的事象を、何とか乗り越えた

日本の自動車業界は、新たな道を模索していました。

 

この二つの嵐をのり超えた日本車は、いままでのような

安くてお買い得な車ではなく、

アメリカの自動車業界にとっても脅威になってきたのです。

日本に対して、さまざまな圧力をかけてくるようになって

来たのです。

 

こんな空気を感じたのか、日本の業界リーダートヨタも

これまでのバリューを追及した車ではなく、

高級感と、これまでにない新しい価値を付加した

車を開発しようとしていたのかもしれません。

 

1980年に大阪モーターショーに地味なショーカーを

出品します。

EX-8

初代トヨタセリカのショーモデルとして出されたEX-1の続き番号で

出されたこの車は、かつての若者にアピールするようなモデルでは

ありませんでした。

 

その前に登場した、日産のレパードの革新的なデザインと

比較して、コンサバなデザインだった、EX-8は

玄人筋からはあまり高い評価を得られなかったと

言います。

 

このモデルが、しかし市販化されるや否や、

大変な人気モデルに化けるのです。

 

エンジンは、2.8リッターという大排気量のツインカム。

しかし、そのツインカムはかつて高性能エンジンとは

全く違う世界を醸し出す、実用性を高めた

エンジン。油圧ラッシュアジャスターなど、メンテナンスについても

まったく気難しいところがないこのエンジンは

トヨタがめざす、高性能と高級の要求を満たすものでした。

 

80年代のトヨタではデジタルスピードメーター

そして、エンジンのトルクカーブを表すような

デジタルタコメーターが装備される車がありましたが

この嚆矢はこのソアラだったのです。

 

また80年代はありとあらゆる車で白が流行った時代

でした。これもソアラに採用された

従来の白から大幅に明度を上げた、当初は

ソアラ専用色の「スーパーホワイト」が

関西ペイントの提案を生かして採用されたものでした。

 

その後エンジンは3000CCに拡大、

ブラウン管を活用したエレクトロマルチヴィジョンは

今でこそ、カーナビをメインとしながら

ありとあらゆる情報を映像として、

表示するという、現代では当たり前になって

しまった機能ではありますが、当時これを

ある程度実現していたことは驚くべきことでした

 

いわば車のハイテク化を前倒しにして実現していた

ソアラですが、車そのものも、当時としては

大変先進的なものでした。

最高速度は200キロに届こうとしていましたが、

 

排ガス規制前の 200キロカーといえば

スパルタンそのものでしたが、

ソアラはエアコンの効いた室内で、

オートマ、パワステ、というイージードライブ

を駆使しながらいわば易々と200キロを

出せるという、ヨーロッパの高級GTに

大幅に迫る性能を発揮したのでした。

 

80年代、ソアラの登場は、90年代のバブル期に

多くの優れた車を登場させた日本の自動車業界の

ベースとなるものであり、また、90年代には

かのセルシオを出して、大いにヨーロッパ、アメリカの

高級車業界を驚かせる起点となるものであったのでは

ないかと思うのです。

 

しかしながら

このソアラも3代目登場するころには日本の景気が後退

4代目はレクサスとして、生きながらえますが、残念ながら

生産中止、後継モデルらしいものは

登場していません。

80年代、憧れを抱くような国産車のなかでも

もっとも注目を集めたソアラ

こういう車はもう登場しないのでしょうか

ty_soarer01b

ty_soarer01k

p11