名車列伝4 焼き鳥と天皇とVTEC ホンダインテグラ

こんばんわ

 

1985年にホンダは、それまでクイントと呼ばれていました、アコードとシビックの中間車種を

フルモデルチェンジいたしました。

クイントインテグラと銘打ったこの車。

当時のホンダdesignのアイデンティティーともいうべき、

リトラクタブルライトのフロントマスク。

 

このインテグラってサブネームも

インテグレート【統合する・完全なものにする)という言葉から

作られた造語でありまして、

言ってみれば、スポーツカーとセダンをインテグレートする

ぐらいの意味あいではなかったでしょうか。

それが証拠に、このクイントインテグラには、

全車DOHCという、スポーツムードを盛り上げる

スペックが盛り込まれていたのでありました。

シビックよりインテグラ、

いわゆるスペシャリティーなベーシックカー

こんな位置づけが成立したのもバブルならではなのか。

当時のCMは見目麗しい、外国人モデルに

山下達郎「風の回廊」  というきわめて金のかかった感のある

おしゃれなCMでございました。

さて、バブル絶頂から、日経平均も下降して行こうとしていたころ、

ホンダはこのクイントインテグラをフルモデルチェンジ、

ついに、クイントの名前を取っ払い、

インテグラの名前のみを残しました。

 

そして、当時をときめく

マイケルJフォックスに

「カッコ・インテグラ」と言わしめ、

山下達郎のおしゃれ路線から、

ベタな一般受け路線に転向。

そして、全車DOHCのスポーツ路線をさらに強化。

世界で初めての、バルブリフト量とバルブタイミングを可変

することに成功した

VTECを導入したB16Aエンジン。なんとノンターボでありながら

リッター100馬力を達成したエンジンを載せていたのでありました。

この機構は、高回転側と低回転側の二つのカムの駒を持ちながら

ロッカーアームによって高回転、低回転によって

バルブをそれぞれ制御させるという画期的なものでして、

それまで、可変バルブタイミングってのは結構考え

られていたのですが、リフト量まで可変というのは

世界初だったようです。

なんでも、これを開発した技術者は

焼き鳥やでネギ間を焼いているさまを

見たときに、肉はまわってるけど

ネギは回ってないというのを見てひらめいたとか、

まあ、つまるところ、焼き鳥屋としては均等に

焼けてないわけですから

下手くそなんですが、これが幸いしたのかどうか、

低回転でもぐずらない、超高回転エンジンができたわけ

ですね。

 

ところで、この「カッコ・インテグラ」

どういうわけだか知りませんが

平成天皇の、皇居内の愛車のようであります。

皇室の広報Vにも天皇自ら、皇后とともに

皇居内の散策に出掛ける際にお使いだとか

いう話が紹介されているのであります。

ご高齢ではありますが、いまだ1991年に

買われたこの車(どうやらMTの1600らしい)

最近免許も更新され、いまだお使いのようです。今上天皇

この車の何に感銘を受けたのかわかりませんが、(F1の中継でも見てたのか?)

焼き鳥やのエピソードとともに

この車の特異な成り立ちを示しているような

気がいたします。

 

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名車列伝3 インフィニティ―Q45

自動車ってのは、基本ヨーロッパで生れたもんですから

自動車文化ってのはヨーロッパ―風なんですね。

もちろん自動車大国アメリカってのもありますので

アメリカの自動車文化ってのもありますけどね。

ですので、高級車ってのも基本ヨーロッパ文化なんですね。

例えば、

みなさん大好きなレザーとウッドの世界。

これは、ヨーロッパの馬車の世界から来ている。

馬車は基本木製ですからね。

調度も当然ウッドになるわけで、

レザーのシートってのは本当は御者用で、

お客様は布シートってのが当時の定番

本当は布のほうが高級だったらしいですけど

レザーのソファーってのもありますからね

そのへんからレザーとウッド=高級。

高級車の文化も、ヨーロッパ風なんですね。

さて

翻ってわが国では

和風な高級車ってもありましたね。

例えば前回のクラウン、そして、センチュリー

セドリック、グロリア、そしてプレジデント

まあ、この辺は和風って言ってもですね、

どっちかといえば、アメリカ風ですね。

アメリカのフルサイズ高級車を

日本版に縮小して、和テイストをちょっと

加えた、箱庭アメ車といってもいいようなものでは

なかったかと思います。

こうした状況のなか 80年代後半、ジャパンアズナンバーワンというような

調子こいた世間の空気の中、

自動車評論家の先生方はご自身は海外高級車を所有しておきながら、

日本らしい高級車という話をされるわけでして

かつては(今でも一部あるようですが)

西陣織のシートなんてトライアルもあったのですが、

例えば日本的な表現として七宝焼とか

漆塗りなんていう、いわゆる工芸品ですね、

こういうもんで和を演出してはどうかと、

とりわけ、今は亡き徳大寺有恒先生はこうした主張を

よく自書のなかで主張されていたような気がいたします。

さて、時はバブル絶頂(からちょっと下りはじめ)の1989

期せずしてなのか、思惑通りなのか、シーマ現象と呼ばれた

シーマのバカ売れに気をよくしたのか、

「きっと新しいビックカーの時代が来る」のスローガンを掲げた日産は、

ライバルトヨタが、レクサスブランドの立ち上げに際して、

新たなビックセダンを開発しているのを5年ほど前に察知。

レクサスLSは(セルシオですね)は8年をかけて、高級車の本質を追及、

驚くべき静粛性、乗り心地の良さ、燃費の向上、そしてライバルに比して

比較的お安い価格を掲げ、

欧米の高級車を震え上がらせたのでしたが、こいつに

真っ向勝負を挑んだのがこのインフィニティ―Q45でした。

そのコンセプトは日本文化を感じさせる高級と、シーマで受けた

日産らしい走行性能の追及。

走行性能は、日産が誇るマルチリンクサスとアクティブサスで

乗り心地と操縦性の両立を図ります。この辺は走りの高級車として名をはせた

シーマを踏襲。

そしてエクステリア。

和テイストを感じさせる七宝焼きのエンブレム。

インフィニティ―のエンブレムは和を感じさせる

唐草模様と、富士山と、永遠に続く道をイメージしたもの。

そしてインテリアでは、

漆塗りのインスツルメンツパネル。

KOKONインストと名付けられた、蒔絵のインスツルメンツパネルは、

工業製品への漆塗り技術で、世界に名をはせていた

福島県の坂本乙造商店の手によるもの。

釈迦に説法だとは思いますが、

自動車の車内は信じられないほど過酷な環境です。

夏場、車の中にペットや子供を放置すれば

死んじゃうぐらいの環境です。

そんなところに漆のような工芸品を置いといて

ある程度の耐久性を持たせる。

信じられないような努力が必要でしょう。

坂本乙造商店は、世界のブランドに対して

漆塗りの製品を提案しており、

漆塗りの手作りの製造方法による、一点ごとの

ばらつきを工業製品並みの品質管理をする方法を確立

していました。

なんと漆をスプレーで塗る方法を確立していたのです。

加えて高温になる自動車室内の環境を考え

漆塗りの上にチタンコーティングを施すことに成功。

その上から金蒔絵を施すという手法でした。

チタンによって漆を補強するという効果があったようです。

このインパネ。

エッグシェルと言われる白いレザーシートとセットでオプションとなり、

なんとこのインパネだけで50万円近い価格だったとのことです。

インフィニティ―Q45のジャパンオリジナルと称した

これらの和テイストな高級は、多くの顧客の心をつかむ

ことはできず、バブルのあだ花のように扱われてますが

車そのものは、グリルレスのデザインを改め、グリルを設けたり

ロングホイールベースの真面目なスタイリングを与えた

プレジデントが兄弟車として登場したりと

結構長生きしたモデルとなりましたが、

到底日産が期待したような売上ものにはならなかった

でしょうね。

いかんせん、開発期間も短く、

コンセプトも煮詰めきれなかったのが敗因だったの

かもしれません。

しかしながら、その後、メルセデスベンツのマイバッハ等

では、障子をモチーフとしたような、ルーフシェードが

採用されたり(デザイナーが日本人らしですが)

と「お・も・て・な・し」の和の雰囲気というのも認められつつ

あるわけですので、今後こういうコンセプトも

ありではないかと思ったりもします。

さて、余談ですが、

私このKOKONインストを手掛けた

坂本乙造商店さんを訪問したことがありますが、

その会社のガレージには、

程度極上のインフィニティ―Q45が鎮座していたことを

申し添えて、本稿終了とさせていただきます。

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名車列伝2 トヨタクラウン

こんばんわ

 

第二段はなににしようか

迷っておりましたが、スバルの回でクラウンの話が出ましたので

クラウンで行こうと思ったのですが、

観音開きのトヨペットクラウンでは

あまり芸がないんで、

ちょっと捻って

4代目のトヨタ クラウンにしてみようかと思いました。

 

トヨタクラウン、それまでトヨペットクラウンと呼ばれておりました

この車。

正式名称をトヨタクラウンにしただけではなく、

きわめて野心的なデザインを取り入れたのでした。

 

今でこそ、ピンクのクラウンとか、青のクラウンとか

いろいろ印象的なマーケティングをやっているクラウンですが

80年代にはすっかり保守的なおじさまの車というイメージで

固まってしまった感がありますが、

 

もともとは、トヨタの中でも最新技術を投入していく

野心的な車であったのです。

 

80年代の保守の権化見たいになったのは、

この4代目の失敗がトラウマになってしまったのかもしれません。

 

さて、この4代目が出るまえ、3代目は、

もっぱら法人需要が主であった、クラウンに

オーナードライバー層の購買意欲をそそるため

「白いクラウン」というキャッチフレーズの下販売されたのです。

このクラス初の2ドアクーペもイメージリーダーとして投入されました。

 

このキャンぺーンは、成功をおさめ、オーナードライバーの需要を取り込むことに成功ししました。

もっと後に出てくるキャッチフレーズですが、

オーナードライバー(特にトヨタ一筋の方に)「いつかはクラウン」という感覚を持っていただく

ことになったわけです。

 

さて、3代目の成功に気をよくしたのかどうなのか、

4代目はもっと革新的なことをやりだします。

 

いわゆるスピンドルシェープってやつです。

スピンドルってのっは、糸巻きのことですね。

もともと、トヨタってのはかつては

豊田自動織機 が親会社だったように、織機の会社でしたから

糸巻きってのは会社のアイデンティーでもあったわけでして

フラッグシップのこの空力を意識したような

ラウンドシェープにこの名をつけたわけです。

 

まあ、このアイディアは先に生産されて成功したモデルが

あったんですね。

 

あれです。

 

初代セリカ いわゆるダルマ

 

バンパーボディーとインテグレートしたようなデザイン。

しかし、クラウンはさらに進んで

セリカではメッキだったバンパーを

ボディー同色塗装として、

視覚的にもバンパーを消してしまいます。

 

さて、この革新的かつ野心的なクラウンでしたが、

 

当初スタイリングに対する評判はまずまず

だったとの話も聞きました。

 

ところが、一つ問題が、

 

バンパーをボディーとインテグレートしたもんだから、

通常空いているはずボディー下部に開口部が少ない。

2段ボンネットみたいにして、エアインテークは設けていたものの

やっぱちょっと流量が少なかったのか

 

オーバーヒートする車が続出。

 

次第に、前をこすりやすい

2段ボンネットが見切りが悪い、

車が小さく見える

 

などなど、悪評が立つようになってしまいました。

トヨタも手をこまねいていたわけではなく、

 

ボディー同色のバンパーを廃して、

メッキを施した大型バンパーを導入して

見た目の立派さを強調するなど、

オリジナルデザインを描いた人からすれば

改悪にちかいようなマイナーチェンジもやったのですが

失地回復は難しく、

史上最悪の失敗作とみなされるようになりました。

クジラは敗れてダルマ残る。

 

カーデザインってのは、ほとほとターゲットに受け入れられる

ものを作り上げるのは難しいもんです。

 

それにしても、このスピンドルシェイプのクラウン

今見てもなかなか面白いデザインだと思うのですが

 

みなさんはどうお感じでしょう。

 

さて、冒頭ににピンクのクラウン、青のクラウンなんてのは

昔の白いクラウンの2番煎じであることをお伝えいたしました。

 

このスピンドルにも2番煎じがありまして、

 

かのレクサスのグリルにこのスピンドルのモチーフがあるのです。

 

なんとこれはデザイン優先ではなくボディー下部からの空気の取り入れを

効率的にするという効果も持っているとのこと。

 

スピンドシェープでオーバーヒートさせて、スピンドルグリルで

オーバーヒート防止か?

トヨタってのは、失敗してもなかなか諦めないところに

その凄さがあるのかもしれませんね。

 

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名車列伝 1 スバル360

名車列伝と題しまして、国内海外の名車、、珍車、迷車などについて語って行きたいと思います。

 

皆様の絶大なるご支援をお願いいたします。(笑)

 

さて第一回は、やっぱこれしかないという感じでスバル360です。

この車ですが、実に、「子供のころうちにあった」という同世代の方が多い。

まさに日本のモータリゼーションの幕開けを告げた車と言っても
過言ではないでしょう。

 

スバル360の開発が開始されたのは1950年代

 

富士重工はこのスバル360を開発する前

スバルP1という小型車の構想を持っておりました。

実際試作車も作っていたのですが、これに先んじて

トヨタがクラウンを発売。

 

当時のメインバンク、の反対があったとか、関係が深かった石橋氏が反対した、

役所からやめろと言われた

等、諸説ありますが、なぜか生産を断念します。

 

戦後の混乱期から、朝鮮戦争の特需という幸運に恵まれ、

再興に向け努力していた新生富士重工は、バスの車体製造と

ラビットスクーターという2本柱に加えて、新たな収益の

柱を必要としていました。

 

1954年には新たな軽自動車の規格が固まり

全長×全幅×全高(mm)=3,000×1,300×2,000という寸法はそのままに排気量が360ccに統一

されます。

 

これまで軽自動車はあくまで、キャビンスクーターの延長線上にあるもので

排気量も小さく、中小零細のメーカーが手掛けていたものでしたが

にわかに注目を浴びるようになっていきます。

 

これにさらに拍車をかけるのが通産省の国民車構想(国民車育成要綱案)です

その内容は

・乗車定員4人または2人と100kg(キログラム)以上の貨物が積めること
・最高時速100km(キロメートル)以上
・平地で時速60km走行時、1l(リットル)あたり30kmの走行が可能なこと
・エンジンの排気量は350cc(シーシー)から500cc
・車重400kg
・月産2000台で生産価格は15万円以下

というので、この要件を満たす車には、国が生産に対し補助を与える

というものでした。

 

富士重工もこれに呼応して、軽自動車の開発を開始。

プロジェクトリーダーは、戦前は優秀な航空機技術者で

戦後は主にバスの設計を手掛けていた、エンドレス(残業が終わらないことから命名されたようです)

こと百瀬晋六でした。

 

スパルP1の開発が頓挫し、百瀬には期するものがありました。

富士重工には中島飛行機時代の航空機技術者が多数在籍して

いましたから、いかにも飛行機屋的な発想で、

軽量のモノコックボディーを開発。わずか0.6ミリの

薄鋼板を、曲面を多用することで強度を与えるという

手法が用いられました。

また、強度に影響を及ぼさない、屋根の部分は当時の新素材

ガラス強化プラスチックが用いられました。

そしてリアウインドーは、アクリル樹脂製です。

軽量化を徹底したのはいかにも飛行機屋の発送では

ありますが、それには、非力なエンジン性能を

補うという目的がありました。

 

また居住性も妥協はせず、わずかな空間の中に

居住スペースを巧みに配することで

なんとか4人が座れるスペースを稼いでいます。

 

驚くべきことに、前席のフットルームはフロントアクスルを超えて

トーボードが設置されているという、ミッドシップ

レーシングカー並みなのです。

スバル360は1958年に発売され、

わずか385キログラムで16馬力という出力ながら、

軽量を利して最高速度83キロという性能を誇りました。

販売価格は36万円ほどで、大卒初任給が14000円ほどの時代には

高嶺の花ではありましたが、1500CC級の乗用車が100万円前後

であった時代に、好意的に受け止められ、

初年度は380台余りが売れたにすぎません(それでも軽自動車としては

かなりの大商いだったようです)

がその後小さいながらも実用性を兼ね備えた

優れた車として評価され、日本の高度成長とも相まって、

1961年には17000台あまりが売れるというヒットとなり、

その語10年余りにわたって、軽自動車のリーダーとして

市場を席捲して、初期の日本のモータリゼーションを支えたので

ありました。

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カーライフ小話 18八戸クラシックカー博物館 ツカハラミュージアム

ご無沙汰しております。

先日八戸にあるクラシックカー博物館を見学してまいりました。

正直に申し上げますと、八戸にクラシックカー博物館があるとは

知りませんでした。

なんでも、こちらトヨタカローラ八戸さんが運営母体の

ようですが、なんとこちらは20年連続で、ベストディーラーと

して表彰されているのだとか。

お邪魔してみますと。

トヨタ系ディーラーの整備センターの一角にございまして、

どうもこのディーラーの創業者の方が、

コツコツと集めたクラシックカーを展示しているようです。

規模はかなり大きいですね。

特色としては、アメリカ車のコレクションが充実していること

それからなんといっても、トヨタディーラーという特性を

生かして、

トヨタ車が非常に多い、

しかも、いわゆるコレクターズアイテムとは言えないような

商用車等も展示されています。

この手の商用車というのは使い倒してなんぼのもんですから

いわゆる名車の類とは違って、後世に残ることは

きわめて稀なことです。

おそらく、お客様からの下取りなどで

程度の良いものをコレクションされているのでは

ないかと思われます。

また、大変素晴らしいことに、常にメカニックの方が

整備をされているということで、

ほぼすべての車がエンジンが始動できるという

ことでした。

(そのため、古い車ではオイル漏れも発生しており

あちこちにオイルパンが置かれております)

このような博物館で、ほぼすべての車が

動かせるというのは

トヨタ博物館ぐらいしか聞いたことがありません。

これまであまり、宣伝もしてこなかったとのことで

知る人ぞ知る博物館だったのかと思いますが、

私の知る限り、東北地方でこんなに立派な博物館は

なかなかないと思います。

お近くにお立ち寄りの際はぜひ

足を運ばれることをお勧めいたします。

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ツカハラミュージアム公式サイト

http://www.tsukahara-m.jp/