ランチア。イタリアの名門ですが、今消滅の危機に瀕しております。
ランチアが産声をあげるのは1906年
裕福な家庭に生まれ、フィアットのレーシングドライバーでもあった
ヴィンチェンゾ ランチアによって創業。
初期の名車はあの小林 彰太郎御大も愛用しておりました
ランチア ラムダ
1922年に世に出されたこの車。なんとすでにモノコックボディー
前輪独立サス。OHC、狭角V4エンジンという。
先進的なモデルでした。
小林御大生涯このラムダを愛用しており
「現代の交通状況でも難なく使える車だ」とおっしゃっていたとか。
このコンパクトな狭角V4エンジンは1937年発表された
アプリリア、そして1960年代のフルビアなどにも継承されていきました。
どうも、ランチアは先進的で高度な車を出すという点では優れていたのですが
コストは度外視という、技術優先の会社であったようで、
1950年代に一度倒産してしまいます。
その後カルロ ペゼンティという実業家に買収され、フルミニア、フラビア、フルビアなどの
名車を世に送り出したのですが、収益性の改善は進まず、とうとう
1969年にフィアット傘下となります。
70年代のランチアをストラトス抜きには語れないでしょう。
当時ランチアのラリー部門を率いていたのは後にフェラーリのF1チームマネージャーと
なるチェザーレ フィオリオ
当時30代の若さではありましたが「ルールブックの神」と呼ばれていた彼は
FIAのレース規則を熟読し、
グループ3の量産GTカーの改造版であるグループ4は
グループ3のパワートレーンさえ使っていれば、たとえどんな車でも
400台生産すれば、グループ4の公認が得られる。
という結論に至ったといいます。
これがラリーの申し子ともいうべきストラトス誕生の発端でした。
ワールドチャンピオン3連覇を果たしたストラトスですが、売れ行きは
さっぱりで、総生産台数は500台余りとされていますが、
1975年に生産が完了したものの1978年でも新車が売れ残っていた
との話です。
少々長くなりました。次回は80年代、90年代のランチア
そして、あのメーカーとの経営統合など
いま消えゆくランチアブランドについてお話ししたいと思います。








