カーライフ小話21 最近気になる車

最近気になる車についてちょいと触れたいと思います。

 

1.ユーノスロードスターおよびマツダロードスター

これは1989年に登場して現代まで4代のモデルがあります

それぞれNA、NB、NC,NDの4モデルです。

この車は当初の開発コンセプトを折ることなく、

衝突安全性など現代の車としての、要件を満たすため

信じられないような努力が払われている車ですが、

初代の人気が著しく上がっており、程度の良いモデルに

なると非常に高い値段で取引されています。

ほぼNAとほぼキープコンセプトのNB型も高値で

安定しております。

一方でマツダがFRのボディのベースがなく

やむなくボディーが大型化し、

エンジンも大型化したNCは(ベースはRX8)

は若干人気がないようです。

大型化したとはいえ初代モデルが1トン切るぐらいだったのが

1100キロに収まっているわけで、

はっきり申し上げて相当努力しているのですけれども、

いかんせん新型のND型が1トンを切るボディ

そして排気量も初代並みの1.5リッターとダウンサイジング

しておりまして、NCだけが大型化しているという

印象があるのは否めないのかもしれません。

それにしても、ほかのモデルと比べると割安感があります。

排気量も大きいのでATで普段の足としても使えるのでは

と思っています。

できれば幌ではなくてリトラクタブルトップのRHTがいいですね。

何となくナローポルシェ、930ときて996が不人気で997は高い

ポルシェのような関係を思い浮かべてしまいます。

 

2.日産リーフ

ヨーロッパ、中国のEVシフトでにわかに注目を集める電気自動車ですが、

ハイブリットに比べると盛り上がりにかけ、いままでちょっとマイナーな

路線を歩んでいたように思います。

しかしながら日産は新型を投入しまして、このEVシフトのながれ

に乗ってメジャーになっていくような予感があります。

その一方で、先代モデルの中古は激しく安いです。

どうしても電池の劣化があるということで

中古車は敬遠されがちとの話です。

 

まあそれでも、電池交換が60万ということですから

まあそんなに心配しなくてもいいのではと

思っています。

 

ただ、初代モデルは暖房の方式が後期モデルと

違っているらしく、後期モデルのほうが

電池の持ちが良いそうです。

 

家に充電の設備をつくるのには

10万円程度あればOKのようです(ただし充電時間は相当掛かる)

 

意外と走行の少ない後期モデルでも

下手すると100万ちょっとで売っておりますので

中古が意外とねらい目、先代もでるでは電池の大きさが

2種類あるようですが容量が少ないモデルでも

240キロぐらいの航続距離があるとのことですから、

街乗りしかしないという方には十分では。

カッコがちょっとという気もしなくはないですが、

ランニングコストは軽自動車以下

というのは魅力的。

電池交換が控えてますのでそのコストも

考えなくてはならないですがね。

 

それにしても、EVシフトになったら日本の自動車産業

大丈夫かと心配になってしまいますが。。。。

カーライフ小話20 BBSその後、そして46になりました

今年の夏に誕生日を迎えまして、とうとう46になりまして、いよいよ五十路が近くなってまいりました。また、最近はすっかり投稿さぼっているのにもかかわらず多くの皆さまから、誕生日のお祝いのメッセージを頂戴しまして、感謝感激です。すべての皆さんに返信できてないのですが、明日にはすべて拝読し、返信したいと思っております。ご容赦ください。
気が付けば4か月も前に思わせぶりなBBSの投稿をして以来、さっぱりさぼっていたわけでございます。結局のところBBSのセンターキャップは、2個はまあ、健全、残りの2個は割れの部分を削り取り、上からプラリペアをぶっ掛けて修正してみたのですが、あまりにも割れが深いため、ちょっと修正は不可能と判断しまして、ヤフオクで新品購入してしまいました。結局工具や、ケミカルで結局高くついたような感じですけど、まあこういう経験が、後で生きると信じて前向きに。(笑)
思わせぶりな投稿でしたが、このホイールスバルの純正オプションSVX用ホイールです。多分。程度ははっきり言って悪いのですが、掃除から磨き、最後はクリア吹くとこまでやってみようとおもっていて、いろいろ準備進めてるのですが、なんせ片手間なので遅々として進んでおらぬのが実情です。
すでにポンコツを1台購入しまして、懇意の整備工場に入院させているのですが、25年も前の中古国産車に対する認識がはっきり言って甘かったと思っています。わたくしが最初にSVXを購入したのはたぶん平成11年ごろ、平成4年式を中古で購入して、家族の足(?)と自分の趣味に邁進しておりまして、この車で車趣味の醍醐味を知ったといっても過言ではありません。当時はWEB環境も脆弱で、情報交換たって、なんとメーリングリストとかでやってましたが、マイナー車ならではの連帯感と申しますか、打てば響く、って感じで答えが返ってきて、それを参考にいろいろいじってみたもんです。正月三が日丸まるかかって、中古のCDナビとかももつけてみたこともあります。

当時のSVXってのは、国産バブルカーのなかでは見た目は変わっておりましたが、どうも存在自体は地味な車であったように思います。ツインカムではありましたけどターボではない、国産リミットの280馬力でもない、装備は豪華ではありましたが、トヨタとかマツダみたいに派手でない。巨匠ジウジアーロ先生の斬新なデザインも一般受けしていたとは言えなかったと思います。
それでも価格は400万以上したわけですからねえ。これを買うとなるとどういう客なのか。ちょっと疑問符が付く車でした。
ですがね。 高速乗るとよかったんですよね。なんというのか、恐るべき安心感。雨の高速でぶっ飛ばしても、あれほど安心だった車って、あれ以外あったかなあ。と思うぐらいです。
最近海外製4WDスポーツカーに乗って高速走ってみたんですけど、確かに安定感ありますけど、はたしてあのころ乗ったSVXの感動と比べるとどうかなと思ったりするんです。それは私が年取ったせいなのかもしれませんけどね。

ということで、私の購入したSVXはズタボロのポンコツで外装ぼろぼろですし、まあこんなの、市場価値も大してありませんし、こういうのを復元しようとするのは、まあプロの仕事(私はプロじゃないけど)とは言えないのだと思います。

閑話休題
最近、日産のパイクカーを購入したといううら若き女子とお話する機会がありました。結構なお値段で購入されたそうですが、「みんなから購入を反対されたけど、買って良かったと思っている」とのことです。とはいえ、すでに様々故障しているとのことで、ご苦労されているようでした。私は、「まあいろいろ出ると思いますよ、一通り直せば何とかなると思うよ」とお伝えし、私も平年4年のポンコツを復活させるつもりだとお話ししたところ
「それは私の生まれた年の車です」と言われました。
ことほど左様に、人間若者の年でも、車ではすっかりロートルなんですよね。国産20年超もののパーツ調達は予想以上に困難です。
30代のころ、911のレストアしたころはパーツ取得も全く困難を感じなかったのですが、マイナー車、市場価値そんなに高くない、という国産車は再生はかなり困難ですね。
しかしながら、彼女や、私(いっしょにするなってか)のような好事家がいないと、いつでもあると思っていた、「あの車」がどこにもないってことにもなりかねないのではないかって自分に言い聞かせていたりするのですが。

カーライフ小話19 BBS

ご無沙汰しております。

最近あの、ドイツが誇る超一流ブランドであった

BBSのホイールをオークションサイトで発見いたしました

(現在は生産・ブランドとも日本の企業が保有しておるようです)

 

リム幅7.5インチ、PCD114.3、オフセット+55の16インチ

 

一見どこにでもありそうな小汚いホイール

装着タイヤの製造年月日が2005年が装着されている

のをみますと、最低でも10数余年が経過している品

と判断されます。

 

まあ、一般的にはゴミでしょう。

 

しかしこのスペックに私はピンときたのであります。

 

これは某車両の純正オプション品であるに違いないと。

 

早速この小汚ホイールを購入して

センタキャップのプレートを外し。

武蔵ホルト製コンパウンド、耐水ペーパーなどを駆使し

磨き倒すところから始めたのでありました。

しかし、表面の傷は、磨けばとれるでしょうが

中の割れはなんともはや

どうしたもんかと。

 

しかし、これはこれから続く、困難な道のりの

序章に過ぎないのでありました。

 

つづく。

 

 

名車列伝8 プジョー403

あけましておめでとうございます。

今年は本当に雪が少なくて暖かい冬でしたですね。

私の地元福島では全く雪がなく

せっかくスタッドレスに履き替えてみたものの

全然意味がないような状態でした。

 

さて,正月となりますと、正月特番とならんで

長時間でテレビ局が楽で、製作費もかからない

となれば、

 

古い映画を垂れ流すというのが定番ですね。

TBSのBSでは、箱根駅伝の裏番組で

刑事コロンボ駅伝という番組をやっておりましたが

コロンボを4本続けて放映するという企画をやっておりました。

 

私このコロンボシリーズ結構好きです。

コロンボと犯人のコミカルながら息詰まるやり取り。

 

そして、犯人が乗り回す往年の名車など。

登場する犯人はみんな結構金持ちですからね。

 

古くはフェラーリのスパイダー、デイトナもでてましたし、

ほかにもジャガーEタイプといったスポーツカー

その他ロールスロイス、ベントレー

アメリカならではのどでかいキャデラックなど

いかにも富の象徴といった車が登場するのですが

 

一方で、コロンボの愛車として登場するあの

グレーのポンコツ車はなんなのか、ご記憶

の方は少ないかもしれません。

 

およそスマートとは言えない、あの鈍重な車はなんと

プジョーです。

 

しかもかの名門ピニンファリナがデザインを

手掛けたといわれています。

 

戦後のプジョーは203という、昔ながらのフェンダーを

備えたモデルを生産しておりましたが、

この403では初めてフラッシュサイドスタイルという

フェンダーとボディーが一体化されたスタイルを

取ったモデルでした。

 

現代のプジョーのイメージとは違いプジョーは

もともとが、歯車やペッパーミル、自転車など様々な

金属を使った製品を作る企業であり、

フランスの他の自動車メーカー(シトロエン、ルノー)

等に比べ、デザインやメカニズムは、保守的なメーカー

でありました。

 

そんなプジョーが生み出した戦後の屋台骨を支える403

いかに、フラッシュサイドスタイルという最新デザインを

取っていたとはいえ、その中身は極めて保守的かつ、

経済性に優れた車であることが評価されていました。

エンジンは1500CC OHV58馬力。

また1800CCのディーゼルが用意されておりました。

 

ボディーバリエーションは4ドアのベルリーヌ

2ドアクーペ

そして、カブリオレの3種類がありました。

 

1960年には後継モデルの404が登場。

クーペとカブリオレは廃止され、ベルリーヌだけ

が404の下位モデルとして1966年まで生産されたということです。

 

さて、コロンボの愛車は、なぜからしからぬカブリオレです。

ということは一番新しくても1960年式ということになりますから

コロンボシリーズが製作された1970年代には10年以上が経過した

大古車だったわけです。映画で見てますと

シートはベージュのレザー、幌の色はブラック、ボディーはグレーと

いうなかなかシックなカラーリングなのですが

 

何分年数が経過しているため、もはやコロンボのレインコート

のようなヨレヨレ感が出ています。

 

なんでも、コロンボの車が映像上どうしても必要に

なった際に、多くの劇中用車の中から

片方のタイヤがパンクしていたこの車を

コロンボ役のピーターフォークが選んだ

という話です。

 

あまりにもコロンボのイメージが定着した

このぼろ車。

80年代の新シリーズが製作される際には

当初の車は当然廃棄されていたため、

なんとか、この403カブリオレのオーナーを

見つけて、この車を借りて映画を製作

したとのこと。(幌の色が白になっています)

 

私は、1990年代、ロサンゼルスのユニバーサルスタジオで

このコロンボの車(レプリカと思われますが)を見てから

この車の大ファンです。

 

 

 

 

 

 

カーライフ小話18 トヨタ博物館

何べんでも訪れたい場所ってのが、皆さんそれぞれあると思いますが、

私にとってはトヨタ博物館はその一つです。

 

最初に訪れたのは名古屋在住の友人の結婚式だったかと思います。

もうたぶん20年近く前。

トヨタ博物館は名古屋から車で30分ほどの距離にある

長久手市にあるのですが、この長久手はちょうど、愛・地球博の会場となった町。

 

20年前に行ったときは地下鉄の終点から、バスに乗っていかないと、

いけないとても不便な場所であったのですが

現在はリーモという浮上式の交通システムが地下鉄駅から

地球博が行われた、「モリコロパーク」まで伸びていまして、

この長久手は住みよさランキングが愛知県ナンバーワン、

全国でも2位という町になったのだそうです。

 

この長久手に地球博をもってきたのは、多分にトヨタの力が

働いていることは想像に難くありませんが。

 

さて、このトヨタ博物館。意外なことに歴史はそう古くはなく、

なんとトヨタ自動車の50周年記念事業として開館されたもので

開館は平成元年。そんでもって10周年の平成11年には新館が

オープンいたしました。

私はこの新館は初めて見たのですが、日本のモータリゼーションの

進展が描かれておりまして、なかなか興味深かったですよ。

 

わたしが特に興味あったのは初代のカリ∸ナ

 

なんでかと申しますとですね。

 

私が物心ついたときのうちの車だったんですよね。

色は黄色って言ってたけどからし色見たいな

色。母が黄色がすきだってんで、親父が選んだらしいです。

 

その後小学校の3,4年生ぐらいまで、うちにおりましたが、

あんまり乗ってなかったのか、たしか走行5万キロもいかず

下取りに出してしまいました。

 

一応屋根ありガレージでしたしね。

父もマメに手を入れていましたから、

程度は結構よかったような気もします。

 

ここで、フルレストア済みのカリ∸ナに会えるとは

思いませんでした。

 

それにしても、やはり圧倒されるのは、

クラシックカーや、60年代の名車たちですね。

そしてすごいことに。ほとんどすべての車が本物で

レプリカではなく(レプリカはビートルの初期型と

ベンツ3輪車のみ)で、すべてが現在も実働可能なことです。

そしてコンパニオンの皆さんの礼儀正しい接遇。

お辞儀の角度は寸分の狂いもありません。

 

いやはや、何度でも訪れたくなるところです。

写真とりまくりです。

 

さて何台ご存知ですか??

 

名車列伝7 スバルレガシィ

  • 先日インプレッサに乗る機会がありました新世代スバルエンジンは、なめらかで、走りも悪くなかったのですが、乗り心地は ごく普通のモデルにもかかわらず相当に固いのにはおどろかされました加えてシートがあんま良くない。ハンドリングはなかなかなもんでしたし、かつて悪評があったCVTも全く不自然ではなく300キロほど走りましたが、燃費もリッター15ぐらいいきましたのでこれなら、ハイブリットは要らないとまで思わせますけど走りとシートだけととったらうちのポンコツゴルフ4の方がいいですね。オートマのできと燃費以外。

    いずれにしても、かつてスバリストといわれたマニアの方々を生み出したような味の濃い車ではなかったです。

    さて、前置きが長いですね。本日は長くスバルのメイン車種として君臨してきたレガシィです。レガシィが登場するころスバルはかなり深刻な経営状況でありましたなんせ、このときの車種構成といえばレオーネ、ジャスティー、ドミンゴ、レックス、サンバーですんでね。ひょっとすると一番売れていたのはサンバーかもしれない。

    急場しのぎにスバルは提携先の日産の受託生産をやっていたぐらいでして、名門富士重工もついに身売りとかいう話がまことしやかにささやかれておりました。

    さて、こんな状況でしたが、折からのバブル景気で一息つけたスバル。社運をかけた新型車の開発をするのであります。これまで、スバルのフラッグシップを張ってきたレオーネ、いってみりゃ、こいつはさかのぼること1960年代に登場したスバル1000な訳で、これを改良に改良を重ねてきたわけです。それだけスバル1000が素晴らしかったともいえますし、それだけスバルに金っがなかったともいえます。これに変わる全く新設計のシャシーを作ろうってんですから、これは大決断です。

    しかし、そういう新世代の車であってもスバルが培ってきた技術的遺産
    乗用車用の4WD技術
    水平対向エンジン 等々
    今オリンピックで話題のレガシィですね
    こういったものを生かして行こうとまあ、こういうコンセプトだったのではないかと推察いたします。

    デザインは当初のスケッチの段階までは、日本大好き、御大ジウジアーロ先生がかかわっていたそうですけれども、純然たる社内デザインとのこと。デザインコンセプトはクサビ形で、これは先に出たアルシオーネのイメージです。初代モデルでは、今は珍しい6ライト(リヤクオーターに明り取りの窓がある)ウインドーですから、この辺はジウジアーロの名残が残っていたのかもしれません。(6ライト大好き)

    1989年のデビュー前にこのレガシィのテストモデルのRSがアメリカのアリゾナで平均速度223.345KM/hで10万キロの耐久走行を行い、国際記録(当時)を行い華々しい成果をあげます。これは19日間、燃料補給やトラブル対応などを含め達成したってことですから、まあ相当なもんですよね。たぶんオイル交換とかもあるでしょう。CMではこの記録を大々的に宣伝。どっちかといえばドン臭いイメージのスバルらしからぬ、走りのイメージで売り出したこのレガシィスバルの救世主となるのでした。

    最初はどっちかといえばこの、セダンタイプをメインで売っていた気がしますが、のちに登場するツーリングワゴンが、豪華な装備と、ツインカムターボとDOHCに4WD、ついでにワゴンだから荷車としても最適という、万能選手的な位置づけで、爆発的にヒット。このジャンルで他の追随を許さぬ存在となったのでした。
    長年スバルが大事にしてきたレガシィ(水平対向、4WD技術)が花開いた瞬間といってもよいでしょう。
    ところで私、この車は残念ながら、一度も所有したことがないのですが、一度貸していただいたことがあります。以前にも申し上げましたが、かつてアルシオーネSVXなどというバブルな車に乗っておりまして、珍しくスバルディーラーに修理をお願いしましたところ、代車で貸してくれたんです。
    たぶん1800の普通の4WD、ミッションは5速のこぎれいな2代目モデルではなかったかと思います。今考えてみれば、工場長のマイカーだったのかも。これがなかなかいい車でして、パワーは必要にして十分。ハンドリングは素直で、乗り心地もよく、加えてあの水平対向のバタバタとした音が味があり、こりゃいいわいと感心した覚えがあります。

    その後レガシィは拡大路線を取りまして、いまや当初モデルより2回りはデカくなって、どっちかといえばアメリカ市場向けモデルになってきており、国内はインプレッサとレボーグが受け持つというような感じです。
    かつて水平対向は燃費が悪いといわれておりましたが、スバルの真面目な技術をもってすれば、燃費の改善も行われており、レガシィもハイブリットでもないのにかなり燃費がいいらしいですけど、インプレッサ体験で、かつてのあの味の濃いスバルを懐かしいなと思ってしまいました。

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名車列伝6 カリーナED

こんにちは

かつての日本車ってのは本当にこんなにいろいろ作って

売れるんかいなと思うぐらいワイドバリエーション

だったのですが、そのワイドバリエーションが

ついに別の車になってしまったという話。

 

カリーナED

なんてったって エキサイティング・ドレッシーだかんね。

私の父は、こいつの2代目に乗っておりましたが、

零細  企業の社長だった父はこいつを買うときは

大分悩んでましたね。従業員の目もあり

 

最近の車ではすっかり死語なのかもしれませんが

当時はカッコつけ車の1ジャンルとして

ハードトップってのがありました。

ハードトップってのはソフトトップの反対でして

要するに幌(ソフトトップ)をかぶってるコンバーチブルに

取り付けする耐候性のある、固い屋根のことをハードトップと

言っていたわけですけど、このオープンカーに

ハードトップをつけたようなスタイリングを

真似した、なんちゃってなスタイルを

ハードトップと称しておりました。

アメリカあたりから輸入されたスタイリング

だったと思われます。

要するにツードアでセンターピラーのないスタイルの

車のことですね。

 

さて、これの変種で4ドアハードトップというのもございまして

このハードトップスタイルを4ドアでやるわけでして。

一つもんだいがあります。

後ろのドアはどこにつけるのか。

センタピラー、真ん中の支柱がないわけですから

後ろのドアをどこにつけるのか。

まあ単純に考えれば、床からにょきっとはやした

支柱にドアを括り付けるんでしょう。

これが4ドア(ピラーレス)ハードトップ。

もう一つ方法があります。

にょきっとはやした床からの支柱と

天井を目立たないようにつなぐ柱をつくって

そこにドアを括り付ける。

こいつを4ドア(ピラード)ハードトップ

と称します。

 

何だか知りませんが、日産はピラーレスで

トヨタはピラードがお好きでして、

セドリックは昔っからピラーレス。

クラウンはピラード(かなり太めの)でした。

 

まあハードトップの歴史的意義からすれば、

センターピラーがないのがハードトップで

ピラーがあったらハードトップでないような

気がしますが、そういう自己矛盾を抱えている

ことが嫌だったのか、あるいは似非ハードトップと

言われるのが嫌だったのかわかりませんが、

カリーナEDはトヨタ初の4ドア(ピラーレス)

ハードトップとして登場するのです。

 

まあ、本当のところはわかりませんが、

当時若者向けに売ってきた、カリーナの

顧客層も少々高齢化してきておりましたでしょうから

これまでのクーペ、リフトバック路線ではなく

一応4ドアがついて、後席アクセスも良く

かっこいいセダンという感じで作り上げられたのだと思います。

 

おそらく、着想のヒントとしてはジャガーあたり

なんでしょうね。

ただまあ、ジャガーはあのスタイリング圧倒的重視、居住性無視を

圧倒的にデカいサイズ(5メーターぐらいあります)

で実現し、そいつにイギリスの伝統の内装の美しさを

おまけに、「これぞブリティッシュネス」という雰囲気を

出しているので、先生方絶賛なわけですが、

こいつを、カリーナクラスで実現しようと致しますと、

いきおい後席は狭くて乗れないわけでして、

専門家筋からは、「インチキなセダン」

として酷評されましたが、足回りは定評のあった

FFセリカベース。走りはまずます。

そしてやっぱ、これまでにない背の低いスタイリッシュなボディー。

世間一般からは大いに受けて、トヨタも驚く(驚いてないのかも)

大ヒット作となるのでありました。

先生方は見誤っていたのかしれませんが、要するにこの車

のリアのドアはセダンである象徴ではなく、

お父さんが車を買うときの「エクスキューズ」であった

ということで、なんちゃってセダン、本質クーペであった

ということなのであります。

その後、この成功に目を付けた、各社から似たようなコンセプトの

背の低い4ドアハードトップが雨後のタケノコのように登場

するのですが、先行者利得だったのかどうなのかわかりませんが

カリーナEDほどの成功を収めることはなかったのでありました。

 

さあて、このカリーナEDそのごモデルチェンジを重ね

3代目まで登場しますが、

4ドアピラーレスハードトップの側突安全性の問題など

もあり最終型はピラードになるなど次第に迷走。

景気後退の影響もあり、売れ行きも不振となって、

3代目でピリオドをうちます。

 

自動車評論家の先生方は一様にこの手のセダンに

否定的ではありました。行ってみれば好景気時代のあだ花みたいな

感じで捉えられておりました。

21世紀。あのドイツからにたようなコンセプトの車が登場します

メルセデスベンツCLS

結局のところ、質実剛健真面目で実直みたいなドイツメーカーも

競争が激化して、さまざまなバリエーション展開すれば

つまるところ同じような、カッコつけセダンを作るということ

なのでしょう。

ジャガー大好きで、EDみたいなセダン大嫌いだった

徳大寺先生は、この車をどう評価するのか

聞いてみたい気がします。

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名車列伝5マツダR360クーペ

戦後、もっぱらオート3輪メーカーとして、その存在感を示していた

東洋工業(現マツダ)でありましたが、スバル360の成功を見て

1960年、4輪業界へ初の軽を投入いたしました。

プロジェクトリーダーはのちに

ロータリーエンジンの開発で、ミスターロータリーと呼ばれ

マツダの社長、会長を歴任。

あのトチ狂ったマツダ5チャン路線による破滅と

最初のロータリールマン制覇という栄光見届けることとなる

山本健一氏。

 

さて、スバルは軽量コンパクトでありながら、

4人が何とか座れるフル4座でありましたが、

このR360クーペでは、この点アプローチが違っておりまして

どうせこのサイズでは、4人フル乗車なんていうのは

そうそうあることではない、と割り切って、

後ろの席は+2の子供用に仕立てたのでした。

 

この車には実は日本発のことがありまして、

なんと国産車で初めて「クーペ」を名乗ったので

有りました。

 

いわば軽自動車のパーソナルな需要にいち早く目をつけた

と申しますか。

 

一方で走りの部分では妥協をしておりませんでした。

ライバルのスバルがリヤサスがスイングアクスルによって

キャンバー変化が大きくよく「転倒」するのに対し、

こちらは同じ4輪独立でもキャンバー変化の少ない

トレーリングアーム。ばねの代わりにトーションラバースプリング

というゴムをねじって弾性を得るという方式。

 

またミッションは、4速が標準。

ライバルのスバルが3速が標準だったですから

この点ではリードしていました。

 

加えてなんと軽自動車では初の採用となる

トルクコンバーター式の2段ATを選択することができたのです。

これによりイージードライブを可能にしたほか

体の不自由な方の足としても貢献することを

目指したのです。

 

またエンジンも妥協を許さず。

V型2気筒の強制空冷エンジンでしたが、

アルミ合金を多用し、一部にはマグネシウムを使うなど

軽量化を図っておりました。

スバルが2サイクルだったのに対しまして

こちらは4サイクルのOHVエンジン

レブリミットは5000回転と、当時としては

かなりの高回転ユニットだったそうです。

 

さて、このように、明快な割り切りをもって開発

された、R360クーペですが、この試みは成功し

価格面でも30万円、車両重量でも380キロと軽量化

することができました。

 

当初は、その安い価格から、当初はかなり人気を

得たとのことですが、次第にフル4座に近い

スバル360と比較されると不利ということになりことになり

マツダの主力は、フル4座に4気筒エンジンを搭載した

より乗用車らしい1962年登場のキャロルがマツダの主力となって

行きました。

生産は1966年まで続けられ、とりわけAT車は身障者の方向け

に1969年まで作られたとのことです。

総生産台数は65000台あまり。

 

今見るとなかなかキュートなスタイリングな車です。

ただ、スバル360に比べて、生産台数が少ないせいか

圧倒的に現在の生息数も少ないですね。

 

スバルはオーナズクラブが盛んに活動し

パーツもマニア向けに再生産されるなど

この種の活動が盛んですけどね。

 

R360はそこまでの活動はないですからね。

何とか長く生き残ってもらいたいものです。

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名車列伝4 焼き鳥と天皇とVTEC ホンダインテグラ

こんばんわ

 

1985年にホンダは、それまでクイントと呼ばれていました、アコードとシビックの中間車種を

フルモデルチェンジいたしました。

クイントインテグラと銘打ったこの車。

当時のホンダdesignのアイデンティティーともいうべき、

リトラクタブルライトのフロントマスク。

 

このインテグラってサブネームも

インテグレート【統合する・完全なものにする)という言葉から

作られた造語でありまして、

言ってみれば、スポーツカーとセダンをインテグレートする

ぐらいの意味あいではなかったでしょうか。

それが証拠に、このクイントインテグラには、

全車DOHCという、スポーツムードを盛り上げる

スペックが盛り込まれていたのでありました。

シビックよりインテグラ、

いわゆるスペシャリティーなベーシックカー

こんな位置づけが成立したのもバブルならではなのか。

当時のCMは見目麗しい、外国人モデルに

山下達郎「風の回廊」  というきわめて金のかかった感のある

おしゃれなCMでございました。

さて、バブル絶頂から、日経平均も下降して行こうとしていたころ、

ホンダはこのクイントインテグラをフルモデルチェンジ、

ついに、クイントの名前を取っ払い、

インテグラの名前のみを残しました。

 

そして、当時をときめく

マイケルJフォックスに

「カッコ・インテグラ」と言わしめ、

山下達郎のおしゃれ路線から、

ベタな一般受け路線に転向。

そして、全車DOHCのスポーツ路線をさらに強化。

世界で初めての、バルブリフト量とバルブタイミングを可変

することに成功した

VTECを導入したB16Aエンジン。なんとノンターボでありながら

リッター100馬力を達成したエンジンを載せていたのでありました。

この機構は、高回転側と低回転側の二つのカムの駒を持ちながら

ロッカーアームによって高回転、低回転によって

バルブをそれぞれ制御させるという画期的なものでして、

それまで、可変バルブタイミングってのは結構考え

られていたのですが、リフト量まで可変というのは

世界初だったようです。

なんでも、これを開発した技術者は

焼き鳥やでネギ間を焼いているさまを

見たときに、肉はまわってるけど

ネギは回ってないというのを見てひらめいたとか、

まあ、つまるところ、焼き鳥屋としては均等に

焼けてないわけですから

下手くそなんですが、これが幸いしたのかどうか、

低回転でもぐずらない、超高回転エンジンができたわけ

ですね。

 

ところで、この「カッコ・インテグラ」

どういうわけだか知りませんが

平成天皇の、皇居内の愛車のようであります。

皇室の広報Vにも天皇自ら、皇后とともに

皇居内の散策に出掛ける際にお使いだとか

いう話が紹介されているのであります。

ご高齢ではありますが、いまだ1991年に

買われたこの車(どうやらMTの1600らしい)

最近免許も更新され、いまだお使いのようです。今上天皇

この車の何に感銘を受けたのかわかりませんが、(F1の中継でも見てたのか?)

焼き鳥やのエピソードとともに

この車の特異な成り立ちを示しているような

気がいたします。

 

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名車列伝3 インフィニティ―Q45

自動車ってのは、基本ヨーロッパで生れたもんですから

自動車文化ってのはヨーロッパ―風なんですね。

もちろん自動車大国アメリカってのもありますので

アメリカの自動車文化ってのもありますけどね。

ですので、高級車ってのも基本ヨーロッパ文化なんですね。

例えば、

みなさん大好きなレザーとウッドの世界。

これは、ヨーロッパの馬車の世界から来ている。

馬車は基本木製ですからね。

調度も当然ウッドになるわけで、

レザーのシートってのは本当は御者用で、

お客様は布シートってのが当時の定番

本当は布のほうが高級だったらしいですけど

レザーのソファーってのもありますからね

そのへんからレザーとウッド=高級。

高級車の文化も、ヨーロッパ風なんですね。

さて

翻ってわが国では

和風な高級車ってもありましたね。

例えば前回のクラウン、そして、センチュリー

セドリック、グロリア、そしてプレジデント

まあ、この辺は和風って言ってもですね、

どっちかといえば、アメリカ風ですね。

アメリカのフルサイズ高級車を

日本版に縮小して、和テイストをちょっと

加えた、箱庭アメ車といってもいいようなものでは

なかったかと思います。

こうした状況のなか 80年代後半、ジャパンアズナンバーワンというような

調子こいた世間の空気の中、

自動車評論家の先生方はご自身は海外高級車を所有しておきながら、

日本らしい高級車という話をされるわけでして

かつては(今でも一部あるようですが)

西陣織のシートなんてトライアルもあったのですが、

例えば日本的な表現として七宝焼とか

漆塗りなんていう、いわゆる工芸品ですね、

こういうもんで和を演出してはどうかと、

とりわけ、今は亡き徳大寺有恒先生はこうした主張を

よく自書のなかで主張されていたような気がいたします。

さて、時はバブル絶頂(からちょっと下りはじめ)の1989

期せずしてなのか、思惑通りなのか、シーマ現象と呼ばれた

シーマのバカ売れに気をよくしたのか、

「きっと新しいビックカーの時代が来る」のスローガンを掲げた日産は、

ライバルトヨタが、レクサスブランドの立ち上げに際して、

新たなビックセダンを開発しているのを5年ほど前に察知。

レクサスLSは(セルシオですね)は8年をかけて、高級車の本質を追及、

驚くべき静粛性、乗り心地の良さ、燃費の向上、そしてライバルに比して

比較的お安い価格を掲げ、

欧米の高級車を震え上がらせたのでしたが、こいつに

真っ向勝負を挑んだのがこのインフィニティ―Q45でした。

そのコンセプトは日本文化を感じさせる高級と、シーマで受けた

日産らしい走行性能の追及。

走行性能は、日産が誇るマルチリンクサスとアクティブサスで

乗り心地と操縦性の両立を図ります。この辺は走りの高級車として名をはせた

シーマを踏襲。

そしてエクステリア。

和テイストを感じさせる七宝焼きのエンブレム。

インフィニティ―のエンブレムは和を感じさせる

唐草模様と、富士山と、永遠に続く道をイメージしたもの。

そしてインテリアでは、

漆塗りのインスツルメンツパネル。

KOKONインストと名付けられた、蒔絵のインスツルメンツパネルは、

工業製品への漆塗り技術で、世界に名をはせていた

福島県の坂本乙造商店の手によるもの。

釈迦に説法だとは思いますが、

自動車の車内は信じられないほど過酷な環境です。

夏場、車の中にペットや子供を放置すれば

死んじゃうぐらいの環境です。

そんなところに漆のような工芸品を置いといて

ある程度の耐久性を持たせる。

信じられないような努力が必要でしょう。

坂本乙造商店は、世界のブランドに対して

漆塗りの製品を提案しており、

漆塗りの手作りの製造方法による、一点ごとの

ばらつきを工業製品並みの品質管理をする方法を確立

していました。

なんと漆をスプレーで塗る方法を確立していたのです。

加えて高温になる自動車室内の環境を考え

漆塗りの上にチタンコーティングを施すことに成功。

その上から金蒔絵を施すという手法でした。

チタンによって漆を補強するという効果があったようです。

このインパネ。

エッグシェルと言われる白いレザーシートとセットでオプションとなり、

なんとこのインパネだけで50万円近い価格だったとのことです。

インフィニティ―Q45のジャパンオリジナルと称した

これらの和テイストな高級は、多くの顧客の心をつかむ

ことはできず、バブルのあだ花のように扱われてますが

車そのものは、グリルレスのデザインを改め、グリルを設けたり

ロングホイールベースの真面目なスタイリングを与えた

プレジデントが兄弟車として登場したりと

結構長生きしたモデルとなりましたが、

到底日産が期待したような売上ものにはならなかった

でしょうね。

いかんせん、開発期間も短く、

コンセプトも煮詰めきれなかったのが敗因だったの

かもしれません。

しかしながら、その後、メルセデスベンツのマイバッハ等

では、障子をモチーフとしたような、ルーフシェードが

採用されたり(デザイナーが日本人らしですが)

と「お・も・て・な・し」の和の雰囲気というのも認められつつ

あるわけですので、今後こういうコンセプトも

ありではないかと思ったりもします。

さて、余談ですが、

私このKOKONインストを手掛けた

坂本乙造商店さんを訪問したことがありますが、

その会社のガレージには、

程度極上のインフィニティ―Q45が鎮座していたことを

申し添えて、本稿終了とさせていただきます。

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