名車列伝8 プジョー403

あけましておめでとうございます。

今年は本当に雪が少なくて暖かい冬でしたですね。

私の地元福島では全く雪がなく

せっかくスタッドレスに履き替えてみたものの

全然意味がないような状態でした。

 

さて,正月となりますと、正月特番とならんで

長時間でテレビ局が楽で、製作費もかからない

となれば、

 

古い映画を垂れ流すというのが定番ですね。

TBSのBSでは、箱根駅伝の裏番組で

刑事コロンボ駅伝という番組をやっておりましたが

コロンボを4本続けて放映するという企画をやっておりました。

 

私このコロンボシリーズ結構好きです。

コロンボと犯人のコミカルながら息詰まるやり取り。

 

そして、犯人が乗り回す往年の名車など。

登場する犯人はみんな結構金持ちですからね。

 

古くはフェラーリのスパイダー、デイトナもでてましたし、

ほかにもジャガーEタイプといったスポーツカー

その他ロールスロイス、ベントレー

アメリカならではのどでかいキャデラックなど

いかにも富の象徴といった車が登場するのですが

 

一方で、コロンボの愛車として登場するあの

グレーのポンコツ車はなんなのか、ご記憶

の方は少ないかもしれません。

 

およそスマートとは言えない、あの鈍重な車はなんと

プジョーです。

 

しかもかの名門ピニンファリナがデザインを

手掛けたといわれています。

 

戦後のプジョーは203という、昔ながらのフェンダーを

備えたモデルを生産しておりましたが、

この403では初めてフラッシュサイドスタイルという

フェンダーとボディーが一体化されたスタイルを

取ったモデルでした。

 

現代のプジョーのイメージとは違いプジョーは

もともとが、歯車やペッパーミル、自転車など様々な

金属を使った製品を作る企業であり、

フランスの他の自動車メーカー(シトロエン、ルノー)

等に比べ、デザインやメカニズムは、保守的なメーカー

でありました。

 

そんなプジョーが生み出した戦後の屋台骨を支える403

いかに、フラッシュサイドスタイルという最新デザインを

取っていたとはいえ、その中身は極めて保守的かつ、

経済性に優れた車であることが評価されていました。

エンジンは1500CC OHV58馬力。

また1800CCのディーゼルが用意されておりました。

 

ボディーバリエーションは4ドアのベルリーヌ

2ドアクーペ

そして、カブリオレの3種類がありました。

 

1960年には後継モデルの404が登場。

クーペとカブリオレは廃止され、ベルリーヌだけ

が404の下位モデルとして1966年まで生産されたということです。

 

さて、コロンボの愛車は、なぜからしからぬカブリオレです。

ということは一番新しくても1960年式ということになりますから

コロンボシリーズが製作された1970年代には10年以上が経過した

大古車だったわけです。映画で見てますと

シートはベージュのレザー、幌の色はブラック、ボディーはグレーと

いうなかなかシックなカラーリングなのですが

 

何分年数が経過しているため、もはやコロンボのレインコート

のようなヨレヨレ感が出ています。

 

なんでも、コロンボの車が映像上どうしても必要に

なった際に、多くの劇中用車の中から

片方のタイヤがパンクしていたこの車を

コロンボ役のピーターフォークが選んだ

という話です。

 

あまりにもコロンボのイメージが定着した

このぼろ車。

80年代の新シリーズが製作される際には

当初の車は当然廃棄されていたため、

なんとか、この403カブリオレのオーナーを

見つけて、この車を借りて映画を製作

したとのこと。(幌の色が白になっています)

 

私は、1990年代、ロサンゼルスのユニバーサルスタジオで

このコロンボの車(レプリカと思われますが)を見てから

この車の大ファンです。

 

 

 

 

 

 

カーライフ小話17 ランボフィリアのご案内

皆さまこんばんわ。
8/13に誕生日を迎えましてとうとう45になっちまいました。40にして惑わずと申しますが、いまだやりたいことtと、自分の実力とがバランスせず
煩悩の塊のようなわたくし。まだまだ惑いまくりなのです。

ついでに言えば、体力、知力もちーと若い頃より衰えもあるんですが
このへんも惑う理由の一つなのかもしれません。

50ぐらいになれば諦めもつくんでしょうか。

それにしても、本当に多くの皆さまから応援メッセージを賜りまして
感謝感激です。

この応援が、継続の原動力ですので、今後とも応援よろしくお願い申し上げます。

さて、毎年恒例、ランボルギーニマニアの、ランボルギーニマニアによる、ランボルギーニマニアのためのイベント
ランボフィリア2016のご案内です。

このランボフィーリアですが。なんと本家ランボルギーニにも認められた
公式なランボイベントでございまして、今年も9月17日から18日にかけて、福島県にて開催されます。

こちらのイベントの案内ビデオが完成したとのことで、アナウンスがございましたので、リンクをお知らせいたします。

本年はフィルチョランボルギーニ生誕100年ということで大々的にイベントが開催されるようです。

毎年恒例のご案内ビデオですが、今年も(フェラーリファンの方以外には)
大変傑作な内容となってございますので是非ご覧いただければと思います。なお参加に際しては、ランボルギーニでなくても参加できる心の広いイベントだとは思うのですが、主催者と調整はしてませんので(無責任)本気で参加したいという方は、ご相談いただければと思います
(ちなみに私はポルシェでも、ワーゲンでも出たことがありますが)

主催者としてはランボ菌保菌者の増加を目指しているものと思われますので、どしどしご応募ください。

スーパーカー列伝100?列伝統計

こんばんは

皆さまのご支援により、とうとうスーパーカー列伝も第100回を迎える
事ができました。

本日は100回目を記念して、これまでご紹介した車たちを振り返って
見ることにいたしました。

そして、いきなり訂正で(笑)

じつは本日が101回目だということが判明したのです。

かつての投稿を整理しましたところ

なんと、

15がダブっていました

ということで全部訂正するのが本筋かもしれませんけど、

そんなことしても非生産的なので、15回が2つある
ということで整理したいと思います(手抜き)

で、これまでご紹介した車たちの国、メーカー、いいねの数
ということで整理し、これまでもっとも登場回数が多いメーカー
いいね獲得の平均が高いメーカー
そして登場が多い国などで集計してみました。

それではまず、
スーパーカー列伝 コンストラクターズポイント
(単純に登場回数の多いメーカーの集計とさせていただきます)

第3位は

フェラーリ 堂々の10回です。

つづいて第2位は

ランボルギーニ なんと12回

そして第1位は

ポルシェ  ランボと僅差ではありましたが 13回
(著者がポルシェオーナーという、偏見はご勘弁のほど)

続いては、
スーパーカ∸列伝いいねアベレージポイント
(メーカー別いいねの集計/登場回数、登場3回以上のメーカーを対象にします。
こちらでは日本勢の検討が光っています

第3位

フェラーリ

平均108いいね。(1088いいね/10)

第2位

日産

平均121いいね。(486いいね/4)

そして第一位は

トヨタ

平均129いいね(645いいね/5)

前半に比べて、後半はみなさんの応援をより多くいただける
ようになりまして、後半登場の車のほうが、成績が良い
という傾向があるのですが、意外に日本車勢の健闘が光りました。
ランボ、ポルシェは4位5位でした。

日産は、オーテックザガートがなければ1位だったんですが(笑)

さてそれではお楽しみの
スーパーカー列伝
いいね大賞

これは最もいいねを頂戴しました車です。
ここでも日本車の健闘が光っています。

第3位

ランボルギーニカウンタックLP500S
164いいね

まあ順当ですよね(笑)

第2位

トヨタ ソアラ
僅差 165いいね

そして堂々の第一位

日産フェアレディー240Z

195いいねでした。

まあ、やはりイタリアの2大巨頭の存在は大きいですが

日本勢の健闘がひかった集計結果となりました。

皆さんはどう思われますか。

さて、リスト下記に示しますので皆さんご覧ください。

そして登場していない車がありましたら
どうかリクエストをいただければと思っています。

100回を迎えて、一応ひと段落として、

今度は新たに、日本名車列伝というのをやっていこうかと
思っています。

もちろんスーパーカー列伝も不定期に継続
させていただきますね。

皆さんのリクエストをお待ちしてます。

今後ともよろしくお願いします。

1 イタリア ランボルギーニ カウンタック 68
2 イタリア フェラーリ 365BB 64
3 イタリア ランチア ストラトス 77
4 イタリア ランボルギーニ ミウラ 71
5 イタリア ランボルギーニ イオタ 84
6 イタリア ランボルギーニ LM002 57
7 イタリア ロータス ヨーロッパ 77
8 フランス タルボ ムレーナ 63
9 ドイツ ポルシェ 73,74カレラ 94
10 日本 トヨタ 2000GT 100
11 日本 夢童 零 114
12 イタリア マセラティー メラク 57
13 イタリア アルファロメオ モントリオール 54
14 アメリカ DMC デロリアン 78
15 イタリア デトマソ パンテーラ 61
15 ドイツ ポルシェ 959 72
16 ドイツ BMW M1 58
17 イタリア フェラーリ 308 83
18 イタリア ブガッティー EB110 81
19 イタリア ランボルギーニ ウラッコ 55
20 ドイツ ポルシェ 917K 97
21 アメリカ フォード GT40 81
22 日本 マツダ 787B 66
23 イギリス ティレル P34 110
24 ドイツ ポルシェ 928 103
25 イギリス ロータス エスプリ 91
26 イギリス マクラーレン F1 84
27 ドイツ ブガッティー ヴェイロン 77
28 イタリア ランボルギーニ ムルシエラゴ 72
29 イタリア フェラーリ テスタロッサ 35
30 フランス シトロエン SM 94
31 日本 ホンダ NSX 98
32 日本 日産 MID4 92
33 イタリア フェラーリ 288GTO 99
34 イタリア ランボルギーニ エスパーダー 88
35 日本 いすゞ 117クーペ 93
36 イタリア マセラティー ギブリ 64
37 ドイツ BMW 2002TURBO 121
38 日本 スズキ フロンテクーペ 93
39 ドイツ メルセデスベンツ 300SL 126
40 ドイツ ポルシェ 911カレラ3.0 129
41 イギリス ジャガー XJ-S 60
42 日本 マツダ RX7 127
43 ドイツ ポルシェ 904GTS 97
44 ドイツ BMW 635CSI 85
45 フランス アルピーヌ V6ターボ 95
46 日本 トヨタ スポーツ800 144
47 ドイツ ポルシェ 996 88
48 イギリス ローバー RV8 75
49 イタリア フェラーリ DINO206,246 102
50 ドイツ ポルシェ 930turbo 144
51 イタリア ランボルギーニ フィルッチョランボルギーニ 84
52 日本 トヨタ セリカXX 120
53 日本 マツダ コスモ 123
54 イタリア フェラーリ F40 136
55 日本 三菱 GTO 106
56 アメリカ GM コルベットC4 100
57 イタリア ランボルギーニ ガヤルド 104
58 イタリア ランボルギーニ ディアブロ 115
59 ドイツ RUF CTR 133
60 日本 ジオット キャスピタ 103
61 ドイツ ポルシェ 911S 92
62 日本 スバル アルシオーネ 105
63 ドイツ ダウアー 962LM 101
64 日本 日産 スカイラインGT-R 127
65 チゼータ V16T 126
66 日本 日産 オーテックザガートステルビオ 72
67 日本 トヨタ セリカGT4 116
68 イギリス アストンマーチン ブルドック 91
69 日本 いすゞ ピアッツア 117
70 ドイツ ポルシェ 968 103
71 ドイツ BMW Z1 80
72 ドイツ アウディー クワトロ 95
73 アメリカ ブルックリン 68
74 イタリア フェラーリ DINO308 118
75 イタリア マセラティー カムシン 104
76 イタリア アルファロメオ スパイダー 103
77 ドイツ ポルシェ 914 125
78 イタリア フェラーリ 400 90
79 イタリア ランボルギーニ シルエット・ジャルパ 104
80 日本 ホンダ シティーターボⅡ 144
81 ドイツ ポルシェ 912 128
82 日本 日産 フェアレディー240Z 195
83 イタリア イタルデザイン AZTEC 98
84 イタリア イソ リボルタ・グリフォ 99
85 イギリス TVR タスカン 115
86 ドイツ ポルシェ 944 123
87 イタリア イソ リヴォルタグリフォ 99
88 イタリア マセラティ- ビトウルボ 114
89 アメリカ GM ポンティアックファイアーバード 111
90 イタリア ランボルギーニ カウンタックlP500S 164
91 イタリア デトマソ マングスタ 118
92 イタリア フェラーリ 360モデナ 145
93 イタリア フェラーリ 512BB 146
94 ドイツ メルセデスベンツ C111 93
95 ドイツ RUF BTR 142
96 日本 トヨタ ソアラ 165
97 イタリア ランチア デルタインテグラーレ 132
98 イギリス ロータス エクセル 124
99 日本 いすゞ べレット1600MX 116

 

13063073_1042625989126272_5810288387383064647_op11img_20

スーパーカー列伝99 いすゞべレットMX1600

1969年

前年あのいすゞ117を発売し、

ジウジアーロの理想のスタイリングを

手作りという形でコツコツ具現化していた

いすゞから、また新しいショーモデルが

発表されました。

 

いすゞべレットMX1600

 

1967年にべレットにGTを追加して

べレットにはスポーティーなセダンというイメージが

定着していましたが、このMX1600はベレットとは似ても

に似付かない車でありました。

 

ベースとなったのはいすゞが初めて製作した

レーシングカーべレットR6

 

エンジンは117に搭載された、1600DOHCエンジンを強化して

ミドシップに搭載。

シャーシは鋼板製のモノコック、カウルは当初アルミでしたが

後半はFRPに改められました。

 

この車をベースとして、

117開発で関係を深めた、カロッェリアギアが

手がけ、日本車とは思えぬようなウエッジシェープの流麗なFRP製ボディーを

架装しました。

 

1969年の東京モーターショーに出品したところ

大変な反響を得たMX1600。

いすゞも当初はショーモデルとして、モーターショーの

賑やかしぐらいに考えていたのか、

このMX1600は実際に走らせるには

大きな問題を抱えていました。

 

全く冷却のことを考えていなかったのです。

 

確かに当時の写真を見ると冷却のための空気

取り入れ口のようなものが見当たりません。

 

次第に量産という方向に変わってきたMX1600

翌年の1970年の東京モーターショーには

改良されたMX1600Ⅱが発表されます。

 

流麗なフロントのリトラクタブルライトは廃され

ヘッドライトは117クーペのような丸目4灯に変更され、

フロントグリルが装備されます。

またボンネットにもエア抜きのグリルが設けられました。

ミラーも当時の法規に沿ったフェンダーミラーに

MX1600よりも現実的なデザインに改められました。

 

どう見ても数が見込めるモデルとは考えにくいものでしたが

いすゞは117クーペで少量生産のノウハウの

蓄積も十分だったと思います。

いよいよ量産化に向けて秒読みかと

思われていた1600MXⅡでしたが結局のところ

量産されることはなく、ショーモデルとして、数台が

製作されただけで終わりました。

 

量産化がキャンセルされた理由としては、

営業サイドの反対が大きかったと言われています。

 

当時117クーペは手作りに近い生産体制をとり

日産僅か50台。

 

いすゞには高性能エンジンの手持ちは1600のG160 DOHCしか

手持ちがなく、117も1600で出さざるを得なかったのですが

 

この手作りに近い生産体制が災いしてか、

なんと172万円のプライスタグを掲げておりました。

 

クラウンが90万円台、あの名車ハコスカのGT-Rですら

高いといわれても150万円だった時代です。

 

これに加えてもっと日産台数は少なく、

価格も高い車をラインナップに加えたところで

営業的にはさっぱり貢献しないだろう

という判断だったのかと推察いたします。

 

MX1600を諦めた、いすゞはその後117の生産性を向上させ

手作りに近い生産体制を改め、

エンジンを1800に拡大して、価格も下げ

他の量産メーカーに伍して拡販を図ろうとします。

 

しかし、いすゞがいかに頑張ろうとも

トヨタ、日産、ホンダ、三菱などとの

経営体力の差は明らかでした。

 

いすゞは一部に熱狂的なファンを抱えながら、

経営体力の差から、モデルチェンジ時期が

長くなり、やや陳腐化した車を長く生産する

というメーカーになっていきました。

 

そしてバブル崩壊後の1993年には

乗用車の生産、開発をストップするのです。

 

当時MX1600の量産を断念した経営の判断が

正しかったのか正しくなかったのは私もよく

わかりませんが、小メーカーが生き残るために

いすゞ117で培った「少量生産のノウハウを

生かしていたら、いすゞももっと長く残り

日本唯一のプレミアムブランドになっていたかも

知れないと思うのです。

img_0 img_3 1c5d84aa86d9edfc2da2a4230ce5ca750740ba92_m

 

 

 

 

 

スーパーカー列伝98 ロータス・エリート・エクセル

70年代

ロータスの屋台骨を支えた、エスプリ。

しかしそれ以外の車はぱっとしませんでした。

ポルシェ911がある程度実用性を兼ね備えた

スポーツカーという独自のジャンルを確立して、

スポーツカーがビジネスマンズエクスプレス的に使われる

という、想定外の事態が起こり、

スーパーカー専業メーカーは盛んに2+2モデルを

出したのですが、ロータスもそれに追従し

4シーターモデルを投入しました。

 

かつての名車エリートの名前を復活させた

エリートⅡです。

 

エリートは初代モデルとは全く違う、どちらかといえば、

実用性を高めた2+2のイギリス伝統のシューティングブレーク

のような形の車でした。

(実際はワゴンのように中が貫通しておらず、仕切られていたため

ガラスハッチ付きの2ドアセダンという形式だったようです

4座のシートは意外なほど居住性が良かったのですが

70年代イギリスの自動車業界はストライキの嵐が吹き荒れ

車のクオリティーが低く、高い評価を得られなかったようです。

 

また、このカッコもあまり評判がよくありませんでした。

写真を見ていただけるとわかると思いますが、

スポーツカーというより、バンという感じの、

リヤデザインでした。

ロータスもこれを受けてエリートⅡの発売の1年後に

リヤデザインをやり直してファーストバックにした

エクラを発表します。エリートとエクラは兄弟だったのですが

リヤデザインの関係で、エクラのリヤシートはやや狭く+2の

レベルではありましたが、エリートよりはスタイリッシュで

受けが良かったのでしょう。

エリート、エクラは1980年にシリーズ2に移行、エンジンは2.2リッターに

改められます。

 

その後1982年に創業者コーリンチャップマンが死去

ロータスは一気に経営難に陥ります。

 

そんななか、なぜか当時同社と蜜月であった日本のメーカーが

救いの手を差し伸べます。

 

トヨタです。

 

本シリーズでも取り上げましたが

トヨタセリカXXのCMにコーリンチャップマンを起用。

XXのサスはロータスチューンという話がまことしやかに

語られるなど(どうも本当のようです。トヨタHPにロータスに開発委託と書いてあります)

関係を深めていたのです。

 

ロータスはエリート、エクラの2モデルをエクラのみに絞り

トヨタ製ミッションなどのパーツ供給を受けて

エクラをマイナーチェンジ、エクラ・エクセルと名付けて

販売します。

1983年にはいつの間にかエクラが取れて単にエクセルと

呼ばれるようになります。

その後1992年までロータスのエントリーモデルとして

長く生産されました。

 

さてこのエクセル。

バブルのころは結構流通していたのですが、最近は全く

と言っていいほど見かけません。

当時の写真を見ますと、外装はやや古臭いもの

内装は、イギリスの伝統とも言うべきウッドとレザーを

多様した高級感のあるもので、

スポーツカーは欲しいけど、4座じゃなきゃだめ

でもポルシェはいやという向きには結構

受けたのではと思いますが、いかにトヨタ製パーツ

が一部使用されているとはいえ、その信頼性には

疑問符が付くような状況でした、勢い

中古車価格もかなり低迷していましたから、

その後壊れても直して乗る、というふうには

ならなかったのかもしれません。

 

エクセル。どこにいるのでしょうか?

 

lotus_excel_1982-92_1 ダウンロード (1) ダウンロード (2)

 

スーパーカー列伝 97 ランチアデルタインテグラーレ

70年代、あのストラトスでラリー界でその名をほしいままにした

ランチアですが、ストラトスとは似ても似つかない

割と実用的で先進的なサルーンを作るメーカでした。

デルタをさかのぼること、ベータ、フルビアなどで

すでに前輪駆動を導入。

フルビアでは特徴的な狭角V4で

カムシャフト2本なのに実質DOHCという

凝ったメカニズムを採用していました。

 

さて、デルタは、当時画期的なFF大衆車であった

あのゴルフを意識したモデルと言われました。

 

なんせ、スタイリストはあのジウジアーロ

ゴルフと同じです。

 

レイアウトもベータの時代から採用した、

ジアコーザ式(エンジンとミッションが平行に並べられるレイアウト)

をとり、現代の標準的なFFパワートレーンを採用します。

内装には、人造スエードで、ランチアの代名詞ともいえる

アルカンタラを採用するなど、小型でありながら

高級な雰囲気を兼ね備えていた、デルタは

きわめてランチアらしい車でありました。

 

しかし、フィアットグループ傘下となっていた

ランチアは、またあのラリーでの活躍を

義務付けられた、スペシャルモデルの開発

が必要となりました。

 

当初はWRCはグループBという、

見た目は市販車に似ているが、中身は似ても似つかない

専用設計のスーパースポーツで争われました

デルタもこのレギュレーションに沿った

ホモロゲもでるデルタS4を投入したのですが

軽量なボディーにラリーモデルでは600馬力を

発生するミドシップモデルは、いかに4輪駆動であるとは

いえ、常人には扱いかねる、モンスターとなってしまいました

86年には、このデルタS4はドライバーとコドライバーの二人

とともに谷底に落ち、二人とも帰らぬ人となる

大事故を起こしてしまいます。

その他の車も観客を巻き込むなどの事故が相次ぎ

86年限りでグループBによるラリーは終了となってしまいます。

 

そうした中、今度は市販車をベースとしたエボリューションモデル

によるラリーが開催されるようになります。グループA時代の幕開けです。

デルタはこのレギュレーションに合わせ、エンジンの排気量を

拡大、ターボをドッキングして出力を向上。

駆動方式は4輪駆動に改める。

ヘッドライトも角形から丸型4灯に改められました。

HF4WDと名づけられました。

そのごブリスターフェンダーを備えてトレッドを拡大した

HFインテグレーレ

エンジンを16Vにした

HFインテグラーレ16V

さらにボディーを強化した

HFインテグラーレ16Vエボルツィオーネ

そして、最後の記念モデルともいうべき

HFインテグラーレ16VエボルツィオーネⅡ

と毎年のように、進化したモデルが投入されて

行きました。

ランチアが天下を取っていたのは

80年代後半から90年代諸島まで、

その後、この手があったとばかりに参戦してきた

トヨタ、スバル、三菱の4WDスポーツ群に

次第にその座を明け渡していくようになっていきます。

 

そもそも4WDの高性能スポーツなんて、そんなに

売れるもんではなかったのですが、バブル弾けたとはいえ

いまだ世界に冠たる経済大国であった日本では

この手の4WDスポーツが結構売れるという

世界にも稀な市場であったことも幸いしました。

 

このデルタ、当時はハイパワーなスーパーカーと

いうイメージがありましたが、実際のところは

2リッターで200馬力と、現代の感覚でいえば

極常識的なパワーであることも事実ではありますが

どちらかといえば地味な2ボックスカーであった

デルタを改造して、ブリスターフェンダーや

エンジン冷却や、ターボチャージのための

あちこちに開けられたエアスクープなど

そのエヴォリューション感が何とも言えない

スーパーな雰囲気を醸し出し、

それが車の魅力となっていたように思います。

 

90年代半ばごろまでは結構見かけたランチアでしたが

最近はあまり見なくなりました、パワフルなターボプラス

4WDのイタリア車維持はなかなか大変なのかも

しれませんね。

 

 

スーパーカー列伝 96 トヨタソアラ

こんにちは

セリカXXの回でも申し上げましたが、

80年代、オイルショックや、排気ガス規制という

悪夢のような、社会的事象を、何とか乗り越えた

日本の自動車業界は、新たな道を模索していました。

 

この二つの嵐をのり超えた日本車は、いままでのような

安くてお買い得な車ではなく、

アメリカの自動車業界にとっても脅威になってきたのです。

日本に対して、さまざまな圧力をかけてくるようになって

来たのです。

 

こんな空気を感じたのか、日本の業界リーダートヨタも

これまでのバリューを追及した車ではなく、

高級感と、これまでにない新しい価値を付加した

車を開発しようとしていたのかもしれません。

 

1980年に大阪モーターショーに地味なショーカーを

出品します。

EX-8

初代トヨタセリカのショーモデルとして出されたEX-1の続き番号で

出されたこの車は、かつての若者にアピールするようなモデルでは

ありませんでした。

 

その前に登場した、日産のレパードの革新的なデザインと

比較して、コンサバなデザインだった、EX-8は

玄人筋からはあまり高い評価を得られなかったと

言います。

 

このモデルが、しかし市販化されるや否や、

大変な人気モデルに化けるのです。

 

エンジンは、2.8リッターという大排気量のツインカム。

しかし、そのツインカムはかつて高性能エンジンとは

全く違う世界を醸し出す、実用性を高めた

エンジン。油圧ラッシュアジャスターなど、メンテナンスについても

まったく気難しいところがないこのエンジンは

トヨタがめざす、高性能と高級の要求を満たすものでした。

 

80年代のトヨタではデジタルスピードメーター

そして、エンジンのトルクカーブを表すような

デジタルタコメーターが装備される車がありましたが

この嚆矢はこのソアラだったのです。

 

また80年代はありとあらゆる車で白が流行った時代

でした。これもソアラに採用された

従来の白から大幅に明度を上げた、当初は

ソアラ専用色の「スーパーホワイト」が

関西ペイントの提案を生かして採用されたものでした。

 

その後エンジンは3000CCに拡大、

ブラウン管を活用したエレクトロマルチヴィジョンは

今でこそ、カーナビをメインとしながら

ありとあらゆる情報を映像として、

表示するという、現代では当たり前になって

しまった機能ではありますが、当時これを

ある程度実現していたことは驚くべきことでした

 

いわば車のハイテク化を前倒しにして実現していた

ソアラですが、車そのものも、当時としては

大変先進的なものでした。

最高速度は200キロに届こうとしていましたが、

 

排ガス規制前の 200キロカーといえば

スパルタンそのものでしたが、

ソアラはエアコンの効いた室内で、

オートマ、パワステ、というイージードライブ

を駆使しながらいわば易々と200キロを

出せるという、ヨーロッパの高級GTに

大幅に迫る性能を発揮したのでした。

 

80年代、ソアラの登場は、90年代のバブル期に

多くの優れた車を登場させた日本の自動車業界の

ベースとなるものであり、また、90年代には

かのセルシオを出して、大いにヨーロッパ、アメリカの

高級車業界を驚かせる起点となるものであったのでは

ないかと思うのです。

 

しかしながら

このソアラも3代目登場するころには日本の景気が後退

4代目はレクサスとして、生きながらえますが、残念ながら

生産中止、後継モデルらしいものは

登場していません。

80年代、憧れを抱くような国産車のなかでも

もっとも注目を集めたソアラ

こういう車はもう登場しないのでしょうか

ty_soarer01b

ty_soarer01k

p11

 

スーパーカー列伝95RUF BTR

こんにちは

情報発信を続けているといろんなことがあるもんで

先日、英語のメッセージをいただきました。

お前英語は解るのか?

多少は解るとお答えすると。

 

ポルシェを持っているのか

 

とお尋ねがあり。

持ってると伝えると。

 

私はBTRを持っていると。

 

そりゃすごい。

 

とお伝えしますと。

お前はRUFを知ってるのか。

 

とのお返事がありました。

 

BTRのどのモデルなのかまではお伺いできませんでしたが

せっかくの機会なのでBTRの話をひとつ

本シリーズ2回目の登場のRUFですが、

ポルシェをベースにしたスーパーカーを

作り続けています。

チューナーではなく、ドイツではれっきとした

自動車メーカーとして

認められている企業です。

 

BTRは、CTRに先立って、ポルシェターボを

ベースとして、開発が進められました

BTRはビッグ ターボ ルーフを表すもので

ポルシェターボよりも大きいタービンを

装備してパワーアップを図るというコンセプト

 

エンジンは若干ボアアップして、

3366CC,

加給は0.92barというスペックから、

最高出力374馬力、最大トルク49kgmを誇りました。

ポルシェターボは、オリジナルモデルでは

ミッションがパワーに耐え切れないため

4速しか用意されておりませんでしたが、

RUFは専用の5速を開発。

最高速度は時速280kmとの触れ込みでしたが、

実際欧米有名誌が行った1986年のテストでは

300kmをオーバーしたということです。

 

クーペーモデルは世界限定で30台あまり

が生産されたといわれます。カブリオレモデルも

あるようですが、その数はごくわずかのようです。

 

当時のお値段3000万円也!

 

このBTRですが、その先行試作車とも

いうべき車がありまして、そのつや消しオリーブグリーン

のカラーリングから

BTR NATOと呼ばれています。

 

このカラーリングが選ばれたのは

開発中なんでテスト走行などで写真を撮られたとき

などに目立たないように、ということで

このカラーリングとなったようですが、

今でこそ、つや消しの車ってのは

一部に見られるものの、

私が最初に見たとき、この全面つや消しの

ロードカーってのはこれが始めてって

感じでしたね。

(まあボンネットつや消しとか、ツートンで

下周りつや消しってのはありますけどね)

 

このNATOですが、ディーラーである

石田エンジニアリング(現RTC)の手によって

日本に引き取られ、今でも日本にあるようです。

当初、RUFの激しいテストに供されたため

あちこちクラッシュの後があり

塗装もむらがあったりしたようですが、

現在はその雰囲気を残したまま

丁寧なレストアが施されています。

 

しかし、そのリヤフェンダーには

荒々しい、リベット止めの修復の

跡が残されているようです。

 

さて、このBTRは、その後964バージョン

993バージョンも作られました。

RTCさんではこれらのモデルの

コンバージョンキットも販売しており、

993を持ち込めは改造もしていたようですが

現在は販売は行っていないようです。

 

それにしても、昨今のオールドポルシェ

高騰のなか、BTRはどのぐらい

するんでしょうかね。

 

854ff93b2a7d8c6eaf3b570d5b33d3fe

blog_import_53ec201ea023e

p1

548925373_m

 

スーパーカー列伝94 メルセデスベンツC111

こんにちは

 

完全か無か。Das Beste oder nichts

 

メルセデスベンツのスローガンです。

 

最近はドイツ語でなくて、英語で書かれること

が多くなって、ちょっとやさしくなった気もしますけど、

 

90年代の前半ぐらいまでは

ドイツ語のこの語感がぴったりの車作りを

続けていました。

 

そのメルセデスベンツ、どちらかといえば

安全かつ高品質なサルーンカーメーカーという感じですが、

 

この「完全か無か」の精神で車を開発しているのですから

その精神が「高性能」に向かえばこんなものができる

ということでしょうか。

 

C111は1960年代から1970年代にかけて

メルセデスベンツの技術のショールーム、

そして、新技術の開発のために作られた車

だったといえるでしょう。

 

おそらく、そのコンセプトは、

メルセデスベンツ300SLを現代によみがえらせる

というようなところであったのではと思います。

 

300SLは本シリーズでもご紹介いたしましたが

1950年代に未来から持ってきたような、

先進的スーパーカーでした。

300SLにも採用されていたガルウイングが

採用されたあたりも、そのことをあらわしていると

思います。

1969年に登場した初代C111は

エンジンはなんとロータリーでした。

ロータリーといえばマツダという

感じがしますけれども、実は

ヴァンケルエンジンと言われるように

もとものはドイツNSU社(現代はアウディに吸収)

の発明でありました。

 

当時ローターリーは波状磨耗という

耐久性に対する課題を抱えていて、

半ばだまし討ちに近い形で、

マツダにライセンス供与、

(どうせ解決できるわけないだろと思っていたらしい)

がマツダは脅威的な努力で

これを実用化したのですが、

NSUは解決できなくてクレームの嵐。

とうとう会社も潰れるという憂き目をみたのです。

 

そんなロータリーですから、

ドイツの意地にかけても、ロータリーを

採用したのかもしれませんね。

 

1969年のフランクフルトモーターショーに出品されたC111

当初3ローターで最高出力は280馬力と

いうもので、これをミッドにレイアウト。

ボディーはFRP製で軽量で、

最高速度は時速260キロというものでした。

 

さて、ここからが、「完全か無か」の面目躍如。

 

徹底的に性能アップを図っていきます。

 

1970年のジュネーブショーには、

なんと前代未聞の4ローター。

最高出力は350馬力と発表され

最高速度は300キロ。

0→100km/h加速は4.8秒というものです。

 

その後、オイルショックがあり、燃料を馬鹿食いする

ロータリーは断念されますが

メルセデスベンツはあきらめません。

 

今度はターボディーゼルを搭載した経済モデル

を発表。

1976年に登場したC111-IIDはボディーは2代目を

踏襲していましたが、エンジンは3リッター直列5気筒

ターボディーゼルエンジンを搭載。

最高出力はなんと190馬力とガソリン車並でした。

 

これにも飽き足らず

1978年には

C111-IIIが登場。

こちらはボディーに大幅な変更を加えられ、

4輪はカバーで覆われ

なんと、リヤには垂直尾翼のような安定板を

付け、Cd値は0.191(!)

エンジンは同じ直5ターボディーゼルで230馬力にパワーアップ

イタリアのノルドサーキットで322キロを記録します。

 

ディーゼルはもういいかと1979年には

C111-Ⅳが登場。

Ⅲでついていた垂直尾翼は2本に増え

4.8リッターにKKK製のターボを

くくりつけてなんと最高出力500馬力。

最高速は時速400キロに達しました。

 

 

10年近くにわたって研究開発が進められたC111は

完成度の高いショーモデルのできばえなどから

話題になり、幾度となく市販化のうわさ

(後半のほうはあまり市販化する気はなかったような

開発をしてますが)

が出ましたが、結局市販化はされませんでした。

 

しかし時代は流れて1990年代。

ポルシェ959あたりに刺激されたのか

メルセデスベンツはC111の発展版ともいうべき

C112を世に送り出します。

C111を現代によみがえらせたような

ショーモデル。ここにも

「完全か無か」の精神が生かされたのか

完成度が高く、市販化がアナウンスされていました。

 

しかし、結局、予約金まで集めたにもかかわらず、

市販化はされませんでした。

 

結局のところ

C111は完全ではなく

無であったということなのかもしれませんね

2123Concept_Car_Mercedes_C111_2

mercedes-benz-c112-2ダウンロード (1)

 

 

 

 

 

スーパーカー列伝93 フェラーリ512BB

こんにちは

 

リクエストにお応えすることにして

(あんまり褒めてないけどご容赦)

 

フェラーリは1966年登場のライバルの車に

あせりを感じていました。

 

ランボルギーニミウラ。

 

なんと長く大きなV12エンジンを横置きに搭載して

搭載するという方法を用いて

車がやたら大きくならないようにして

V12のミドシップロードカーを

成立させてしまったのです。

ミウラの評判は登場以来

うなぎのぼり

 

当時のフェラーリのフラッグシップは

365GTB4 いわゆるデイトナ。

FRのロングノーズのスポーツカーでした。

 

フェラーリもミドシップV12のロードカーを

作る必要に迫られたのです。

 

そこで出した回答が365GT4BB

でした。

この365GT4BBは、どうも、大量生産を

考えないで設計されたと思しき点が

多々あります。

当初は25台の限定であった

という話もあるぐらいで、

製造に恐ろしく手間がかかる車でした。

 

それが証拠に、デイトナでは

スチールプレスによりボディーを

製造していたにもかかわらず、

365では手たたきのアルミ成型という

昔ながらの製造に戻ってしまったのです。

 

ボディーの構造もそれまでのフェラーリ

の鋼管を組み合わせたフレームも単純化

 

それに組み合わされるシャシーの構造も

FRPのパネルを用いる。

エンジンのパーツの一部に

マグネシウム合金を用いる等

恐ろしく軽量化に力を入れていました。

 

結局のところ、360台あまりが生産されるのですが

その後もフェラーリのフラッグシップとして、

生産が続けれられることになりました。

 

フェラーリは生産性改善のため、

365の理想を捨て、合理化を図りました。

 

マグネシウムやFRPなど、軽量化のために用いられた

パーツをアルミやスチールに切り替え

コストダウンと生産性の向上を図ったのです。

 

365GTBは、この種のV12気筒のロードカーとして

は望外に軽い(実測でも1300キロ程度といわれる)のですが

 

この理想を捨てた、512BBは、これより120キロ以上の

重量が加わったといわれています。

 

そのためエンジンの排気量は5リッターに拡大

されているのですが、

 

アメリカの排気ガス規制に対応したモデルでは

出力もそれなりに落ちており、

 

365の剃刀のような走りは失われて

しまったといわれています。

 

また、長大なV12エンジンを短縮して搭載

するために、エンジンをトランスミッションの

上に搭載する2階建て構造を取っていますが、

いくら180度V12ににして

低い重心化を図ろうとも、

いかんせん2階建て構造のパワートレーンは

重心が高く、コーナーでは油断すると

容易にテールがブレークするという

車でもありました。

 

その後時代が進むにつれて、インジェクション化

などが図られて、80年代半ばまで

BBは生きながらえ、そしてこのパワートレーンは

テスタロッサシリーズに受け継がれていくのです。

 

話は変わりますが

現代のフェラーリのラインナップ

を見ますと。

V12の超絶ハイテクMRモデル(たいてい限定で億単位)

V12のFRのフラッグシップモデル(通常モデルで5000万ぐらい)

V8のMRモデル

というのが基本となっていることが

お分かりいただけますでしょうか。

テスタロッサ系が生産が中止されて

からのラインナップはずっとこれが基本です。

 

このBBとテスタロッサは

本来の成り立ちは

V12の超絶ハイテクモデル

に位置すべきものであり

365は、確かにそういう成り立ち

であったのですが、

 

その評判の高さから

FRのフラッグシップモデルの

代替にしようという考えが

働いたときから、ポジショニングがおかしく

なってしまったのです。

 

フェラーリはおそらく

V12ミッドシップのロードカーなんて

(うちの客のいうことなんか聞いていたら)

まともな車になんかなりようがない

ということを知っていたのかもしれません。

ですからBBを当初は超絶手間がかかる

設計の限定モデルにして、軽量化を

図ろうとしたのでしょう。

 

一方で

(客の声などものともせず)

設計されたミウラ後継のカウンタックは

その理想にこだわって小さな車として設計され

およそロードカーとしては成立しないような

低い居住性のスポーツカーとして生み出されました。

まあ、こちらも重さと重心の高さから

免れてはいないのですが

 

V12のミッドシップのロードカーが本当に

成立するのは、後のマクラーレンF1

の登場を待たねばならないのでした。

 

5155 Ferrari-512BB-IN

DSC02039DSC02033