スーパーカー列伝92 フェラーリ360モデナ

こんにちは

新世代のアルミフレームフェラーリ360モデナです。

 

フェラーリはV8モデルの設計について

348を出す際にひとつの決断をします。

 

鋼管スペースフレームの主構造を

あきらめることです。

 

そして通常の量産車に近い

セミモノコック構造をとったボディーに変えるのです

348では評判はいまいちでしたが、

その後継モデルであり、フェラーリの品質を

一気に高めたF355では評価されるように

なっていきます。

 

さて、この種のスポーツカーですが、

顧客が、スポーツの刺激だけではなく、

豪華な装備、高い居住性をも求めているのは

これまで申し上げてきたとおりです。

事実、モデナでは、コックピットの後ろに

ゴルフバックがおけるぐらいのラゲッジスペース

を確保。

メーカーでも、フェラーリブランドのゴルフ

バックを用意していたぐらいです。

 

顧客の要望通りの居住性を確保しながら、

ぼんやりと設計すれば、

フェラーリの名にふさわしくない

駄馬が生まれることは間違いありません。

 

ここでフェラーリは考えました。

 

顧客の要望を満足しながら、

フェラーリにふさわしい、新世代のボディーを

つくるにはどうしたらいいか

 

要するに、でかくなる車を

どうやって軽量化するかってことですね。

 

そこで登場するのがアメリカの大企業

アルコアです。

 

アルコアはアルミニウムカンパニーオブアメリカ

というベタなネーミングを冠した

アメリカの企業です。

 

フェラーリはここと合弁の工場を建設。

フェラーリ用のアルミフレームを製造

するのです。

 

成果は現れました

 

F355(全長・全幅・車高・ホイールベース 単位mm)

4250・1900・1170・2450

360モデナ

4477・1925・1215・2600

 

F355より一回りも大きくなった360モデナですが

なんと重量は

F355が1440KGに対しモデナは1430KG

と10キロ軽量化をしているのです。

 

加えてエンジンはストロークアップして

3500CCの355に対し3600CC

です。

出力は20馬力ほども増えついに400馬力に達しました。

これらの運動性の向上に対し、

ホイールベースを延長して、

加えてトランスミッションを縦置きに改めて

重心高さを下げるなど、安定性を高める努力をしています。

 

さて、360のスペックを見ていきますと

妙なことに気がつきます。

 

トレッド前 1669

トレッド後 1617

 

あら、前のほうがトレッドが広い。

ミドシップのスーパーカーといえば

リヤは太いタイヤを履いて

幅広のオーバーフェンダーというイメージですが

モデナは前のタイヤ幅のほうが広いのです。

 

一般的に前のトレッドを広げると

コーナーリング性能が上がり、

 

リヤのトレッドを広げると、

安定性指向になるといわれております。

 

いくらミドシップとはいえロードカーですので

 

F355時代ではやはり後輪側のトレッドが広く

安定志向となっていましたが

 

モデナはホイールベース延長、重心高の低下など

の安定性向上を、

前トレッドを広げて

回頭性を高める方向に振ってあるのでした。

 

物の本によれば

このあたりはマクラーレンF1の登場に

相当影響されたということのようです。

 

確かにマクラーレンF1は

ロングホイールベース

フロントトレッドが、

リヤのトレッドより大きいなど

モデナがお手本にしたのでは

と思しき点があります。

 

加えて、マクラーレンF1という

ネーミングが示すとおり、

公道を走るF1という意味が

こめられていたと思います。

 

事実、BMWのエンジンが搭載されるまでは

本田F1用V10の供給を望んで

いたといわれています。

 

後に登場するフェラーリのF50、そしてエンゾは

フェラーリF1を積んだロードーゴーイングカー

というコンセプトでしたが、

このコンセプトそのものが

マクラーレンF1からいただいてきたもの

という感じもしなくはありません。

 

フェラーリもF1のライバルの

ロードカー進出に危機感を持っていた

表れかもしれません。

 

さて話が脱線しました。

 

私モデナ、助手席に乗っけてもらったことがあります。

オーナーいわく

「そんな早くないですよ」とのこと

 

確かに、

私も40年物のポルシェ乗りの端くれ。

最高出力は倍でも、

車両重量で300キロ重い

3.6リッターのフェラーリ。

 

最高速度が290でも

加速はそんなでもないのでは

と思って乗せていただきましたが

 

まったくの別世界でありました。

公道でしたので、速度は

それなりに抑え目だったと思いますが。

乗っていてちょっと気持ち悪くなるような

加速でした。

 

かつてはマラネロの民芸品とまで

いわれていたフェラーリですが、

ここモデナにいたって、本当のスーパースポーツに

なったのだと思いました。

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スーパーカー列伝91デトマソ・マングスタ

こんにちは

またあの人の話

 

デトマソの創始者

アレッサンドロデトマソはなんとも

破天荒な男でした。

故郷のアルゼンチンを追われ、

イタリアではレーサーとして活躍し、

大金持ちのアメリカ人女性レーサー エリザベス(イザベル)・ハスケス

と結婚。

イタリアに亡命してわずか2年のこと。

このハスケスの実家のバックアップの元

スーパーカービジネスに参入していくのです。

 

最初に出したロードカーは

ヴァレルンガ。

フォードの1500CCの4気筒OHVエンジンを

搭載したこの小型のミドシップカーはレーシングカー

並のメカニズムを備えていましたが、

いかんせん完成度はまだまだでした。

 

もっとパワーのあるエンジンをと考えた

デトマソは、また妻の実家の力を利用して

フォードに接近するのです。

 

そして、新しい車にはフォードのV8エンジンの

供給を受けることに成功。

 

となれば、最初の生産モデル

ヴァレルンガのシャーシーを改良して、

これを美しいスタイルで包む

スタイリストを調達すればよい。

 

うってつけの男が登場します。

鬼才、ジウジアーロ。

ベルトーネに在籍していた彼は

あのランボルギーニミウラの基本デザインを

置き土産に同社を退社。

 

 

今度はギアのチーフデザイナーとして

迎えられたのです。

当時のギアはチーフデザイナーの

ルイジ・セグレの死後不安定な

経営が続いていましたが

ジウジアーロは、、マセラティー・ギブリ、イソ・リフォルタ・フィディア

そして日本には、あの117クーペを送り出すなど

のりにのっていた時期でした。

 

デトマソマングスタは、ジウジアーロと

カロッツエリア・ギアの手によって

生産されることになったのです。

 

マングスタは、いわゆるスーパーカーの

定番とも言うべき、リトラクタブルライトは

採用されていませんが、丸目4灯ヘッドライトを備えた

フロントグリル周りはいかにもジウジアーロ

という雰囲気をかもし出します。

この雰囲気は、あの117クーペや

アルファロメオアルフェッタGTなどと

共通のものを感じます。

要するにフロントグリルの庇が長めで

どことなく不敵な表情を見せるのです。

 

また、なんといってもユニークなのは

エンジンフードが左右2分割になっている点でしょう

このリヤビューは、どの車にもない

斬新なものです。

 

エンジンはフォードの4700(289cui)で

最高出力は305馬力を発生

車両重量は1トン足らずで

ZFの5段ギアボックスを介して

最高速度は250キロと公表されていました。

 

デトマソはフォード製のエンジンを搭載することで

主たる市場であるアメリカで、エンジンのメンテナンス

などに手間のかからない車を目指していたようですが

実際は、小さなヴァレルンガのシャシーを流用して

大きく重いV8を搭載したことで、

重量配分が悪化。

また最低地上高さもこの種の車としては

非常に低いため、

町乗りには苦労する車であったようです。

しかしながら、このマングスタにより関係ができた

デトマソはフォードとのジョイントベンチャーを

企画。それが後のパンテーラープロジェクトに

つながっていくのです。

 

さて、この車のマングスタ、ご想像いただけるかも

しれませんが、「マングース」のことです。

なぜマングスタなのかと申しますと

コブラの天敵だからです。

 

コブラといえばあの名車

ACコブラ。

 

デトマソはACコブラを生産する

キャロルシェルビーとなんらかの

フォードエンジンの供給をめぐる

トラブルがあったとも言われています。

 

コブラを食うマングスタ。

 

そのイメージは、創業者

デトマソのイメージにもつながるところが

あるように思います。

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スーパーカー列伝90 ランボルギーニカウンタックLP500S

こんにちは

 

なんとかかんとか90回を迎えることができました。

思えば長い道のりでした。

 

本日は第1回に登場した

カウンタックが再びですが

ちょっとひねってLP500Sです。

 

カウンタックは当初4リッターエンジンの

LP400で登場いたしました。

 

その超絶低いスタイリング、ガルウイングで

スーパーカーマニアの心を鷲づかみに

したのですが、ひとつ問題がありました。

 

それはですね。

 

「重い」ことです。

 

第1回でも申し上げましたが、

カウンタックは鋼管を複雑怪奇に

組み合わされた、市販車としては

驚異的なスペースフレームを持っており、

ボディー剛性や駆動系剛性など

の基本的性能が恐ろしく高く、

古くなってもそれらは衰えない

きわめて堅牢な構造なのですが、

 

その代わりに重いのですよ。

一説によれば、カタログデーターは

まったくのうそで、

実際の重量は1.6トンほどあると

言われておりました。

 

まあ、いかに4リッターV12の高性能ユニット

とはいえ、1発あたり330CC程度の排気量では

さしたる低速トルクは期待できないでしょうから

カウンタックは、「言うほど速くない」

車であったと推察されます。

 

さて、そんな状況になんとかしろよと

メーカーに文句をつける御仁が登場いたします。

 

カナダの石油王

ウオルター・ウルフ氏

ウルフは生まれは、オーストリア。

父親がオーストリア人、母がスロバキア人だったそうですが

1950年代にカナダに移住。

石油業界で巨万の富を得ます。

根っからの車好きであったウルフ氏

ランボにLP400を発注したのでですが、

 

上記のようなパワー不足に不満を持ったのです。

 

そこでウルフはカウンタックを自分好みに改造させるのです。

極太のホイール(コンセプトカーブラーボから拝借した

といわれる)に当時世界最高の性能を誇ったP7

そして、リヤには巨大なスポイラーを装着した

いわゆる赤色のLP500Sを作らせ

1975年に手に入れます。

 

しかしこれでは飽き足らないウルフ氏

今度はエンジンに手を入れます。

4リッターのエンジンに分厚いスペーサーを

かませてストロークアップ(後の5リッターエンジンと

同様の手法のようです)

5リッターの排気量を得てパワーアップ

サスペンションも改良して

今度は青色に塗られた2号車をつくらせます。

 

それでも満足しないウルフ氏。今度は2号車のエンジンを

さらにチューン。最終的には500馬力に達したといわれております

その他クラッチやフレームブレーキに手を加えた

究極のネービーブルーの3号車を手に入れます。

 

エンジンを抜き取られた2号車には、オリジナルのLP400の

エンジンが搭載されたのでした。

 

以上がLP500sのストーリーです。

 

あら、スーパーカーブームの際、

雨後のたけのこのように、モデルカー

プラモデルがあった、LP500S、

カウンタックといえばLP500Sのあの

赤のLP500S。

 

あれは1台しかない。

ついでにLP500Sは3台しかない。

しかも、本当に5リッターのエンジンが

搭載されたのは1台しかない。

 

のですよ。

言ってみれば、酔狂な大金持ちが、

ランボにオーダーを出したスペシャルモデル

がLP500S(スーパーカーブームのころの)

の実態なのです。

(後にLP500Sというモデルは出ますが

それは80年代の話)

 

さて、このLP500Sですが、

なんとそのうちの2台が日本にあります。

 

まず赤の1号車、

これは、某僧侶の愛車だったとか

映画よみがえる金狼などにも登場した

もっとも有名な車かもしれません。

これが日本にある。

 

そしてもう一台

ネイビーの3号車

いわば5リッターの本物の

LP500Sも日本にあるのです。

長く幻の存在とされてたこの車ですが

現オーナーの情熱によって美しく

レストアされ、2015年の4月

日本国内でお披露目されています

 

オーナーはウルフ氏と

チーフエンジニア(当時)のダラーラにも

お会いして、この車を仕上げたのだとか

 

その財力と、情熱に脱帽ですね。

 

それにしてもこんな世界遺産級の

車が2台も現存するわが国は

まだまだ捨てたもんじゃないと

思うのですよ。

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スーパーカー列伝89 ポンティアックファイアーバード

こんにちは

かつてはGMには様々なブランドがあったものですが

このポンティアックはもはや消え去ったブランド

車のファイアーバードももはやなくなってしまいました。

 

それとあわせるかのように、

大排気量のアメリカンV8ももはや

風前の灯かもしれません。

 

世の中、ダウンサイジングターボの

時代で、日本の大ターボメーカー三菱重工、IHIは

ウハウハだってぐらい小排気量で高効率なエンジンが

主流ですから、

 

かつてはアメリカンV8が搭載されていたような

デッカイ車でも実情は4気筒2リッターターボ

ぐらいだったりするわけです。

 

さて、本日のお題のファイヤーバード

トランザムという名前でご記憶の方も

おられると思いますが

トランザムはファイアーバードの

最強バージョンがトランザムという

グレードなんですね。

ですからポンティアック・ファイヤーバード・トランザム

という長ったらしい名前になります。

 

さて、かつては455キュービックインチ

(1キュービックインチは16.44CC)

という7.4リッターエンジンを搭載して

最高出力はお役所おとの申しあわせで

300馬力以下としていたものの、本当は

370馬力以上出ていたという脅威の

モンスターSD-455というモデルもあった

ファイヤーバードも1982年に3代目になり

おとなしい305、350キュービックインチの

スモールブロック(ったて5リッターと5.4リッターですが)

エンジンがメインとなりました。

ファイヤーバードはシボレーカマロと兄弟車

なのですが、風洞実験の成果による

空力ボディーを導入しており、

CD値が0.323と、カマロの0.368を

大きくしのいでおりました。

 

 

70年代のパワーに物を言わせて走るアメリカ車

のイメージを改めるような、リトラクタブルライト

の採用など、都会的で洗練されたスタイリングを持っておりました。

 

この都会的で未来的な雰囲気が

功を奏したのか、

3代目ファイアーバードを一躍スターダムに

のしあげるのが、

あの「ナイトライダー」の劇中車への採用でしたね。

 

ナイト2000と呼ばれたファイヤーバードは

オリジナルからバンパー部分を改造して、

フロントのボンネットフードの下の部分に

LEDが左右に移動しながら点滅するという

仕掛けがなされておりました。

 

劇中のナイト2000はK.I.T.T.

(何のことはないKnight Industries Two Thousandの略だそうでございます)

という人工知能がその制御をつかさどる、

車というより、車型のロボットという代物

でしたので、赤いLEDが左右に動く様

はなんらかの意思を持った機械という

イメージをうまいことかもし出しておりました。

 

放映当時、このLEDのレプリカは大分

はやっていたようで、ファイアーバードに

取り付けたナイト2000仕様のものから

ホンダプレリュードに取り付けちゃった

なんちゃって仕様も目撃したことがあります。

 

中も大幅に改造されて、

「ダースベーターの風呂桶」と呼ばれるほどの

きらびやかなイルミネーションでもはや

車とはいえないインテリアとなっておりました。

 

いまだこのナイト2000は人気があるようで

個人で、忠実なレプリカを作り上げている

方もいらっしゃいますし、

ナイト2000仕様の中古を扱う業者も

なくはないようです。

 

様々なハイテク機器が装備された

ナイト2000ですが、劇中の走行シーンでは

アメリカンV8としか思えないような

ドロドロとしたサウンドをたてているのが

なんともいえないギャップでしたね。

 

さて、私はアメリカンV8は横置き

DOHCという、おきて破りの

キャデラックセビルしか経験

ないんですが、

大排気量の大パワーってのは

やめられないもんだと思いますよ。

絶滅危惧種のアメリカンV8スポーツ。

地球のガソリンが枯渇する前に

皆さんいかがでしょうか?

 

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スーパーカー列伝88 マセラティービトゥルボ

こんにちは

 

イタリアのスーパーカーメーカーにとって

1974年のオイルショックは

苛烈なものでありました。

 

ガソリンなんていくらでもある

という世界から、ガソリンは貴重なもの

省資源の世になってしまったのですから、

燃料をいくら使ってもいいから、高性能を

発揮するという、スーパーカーは

真っ先に抹殺されるわけですね。

 

さて、マセラティー。

イタリアの名門も、この影響を免れることは

できませんでした。

当時の親会社であった

シトロエンもプジョーによって救済合併されるというなか、

この名門をどさくさにまぎれて手中に収める男が

登場します。

 

アレッサンドロ・デトマソです。

 

デトマソはもともとイタリア生まれではなく

アルゼンチン出身です。

アルゼンチンの名門の生まれでしたが

父親が政治犯としてとらわれ、その後

イタリアに亡命。

 

彼は、親父さんの血なのか

きわめて野心的な男でした

 

イタリアでレーサーとして活躍するなか

大金持ちのアメリカ人の妻のハートを射止め

その実家の権威を利用して

大フォードとの合弁事業を実現

あのデトマソ・パンテーラを生み出したのは

本シリーズでも、ご紹介いたしました。

 

このドサクサに名門を手中にした、

デトマソは、マセラティーに

もっと数を見込める車の開発を命じます。

これまでのような大排気量のスーパーカーではなく

比較的小型で、そしてマセラティーのブランド

にふさわしいモデルです。

 

イタリアにも日本同様2リッター以上の車には

高い税金が課せられていました。

 

そこで、新モデルは2リッターとします

これはすでに発売されていたマセラティーメラクの

2リッター用エンジンをベースにしました。

 

ただ、これだけではマセラティーらしいパフォーマンス

に欠ける。

 

そこで、市販車発のメカニズムを導入するのです。

 

ツインターボですね。

 

ターボチャージャーはご承知のとおり、

排気ガスの排出エネルギーを使って

空気を圧縮するコンプレッサーなのですが、

当然排気ガスの排出エネルギーが小さい

低速時は、ターボが回らず、只の低圧縮

エンジンとなってしまいます。

 

このターボラグを解消するために

小さいターボを2機準備することで、

レスポンスを良くしようというのが

ツインターボの目的です。

 

ビトゥルボはこのメカニズムを

車名にすることで、メカニズムを強烈に

アピールするのでした。

ターボは日本が誇るIHI製を採用していました。

 

最高出力は2リッターから180馬力。

今でこそ2リッター300馬力など当たり前

になってしまいましたが、当時としては

リッターあたり90馬力ってのは

レーシングエンジン並みという

感覚ではなかったかと思います。

 

事実、ビトゥルボは、このパフォーマンスによって

強烈な走りをするモデルに仕上がっていました。

 

さて一方で、インテリア。

これが、いかにもという感じの革と木の世界。

イギリス風のお上品ではなく

イタリア流のきらびやかなもの、

華やかなウッドパネル

高級なソファーを思わせるようなシート。

暴力的な走りとは裏腹な

なんとも艶やかなインテリアでした。

 

さて、このビトゥルボですが、

これまでのマセラティーの車に比べて

はるかにお安い値段で市場に

投入されました。

 

マセラティーのブランド

暴力的な走り

きらびやかなインテリア

手の届きそうな価格。

 

という条件がそろったビトゥルボは

倒産寸前のマセラティーを救う救世主となりました。

 

その後スパイダー、そして4ドアモデルの430

スパイダーに屋根をつけたカリフ等

さまざまなバリエーションが生まれました。

はっきり言って、マセラティーはビトゥルボしかないんじゃない?

というような感じではなかったかと思います。

 

ある程度、数を売ることには成功した新生マセラティーでしたが

一方でビトゥルボの信頼性は、目を覆いたくなるような

ものであったといいます。

 

とくに初期モデルは、電子制御ではなくキャブのターボでしたので

とにかくぶっ壊れることで有名でした。

 

信頼性の回復は

1993年にマセラティーがデトマソ傘下からフィアット傘下

になるのを待たなければなりませんでした。

 

さて、私、この車かなり好きでした。

特に豪華な内装がすばらしく

某中古車店にあった4ドアモデル

(たぶん430かな)を見に行ったことがあります。

ガンメタみたいな色で、

内装もブラックレザーという渋めのカラーリングでした。

天井もダークグレーのアルカンタラ(人造スエード)

じゃなかったかな。

マニュアルのシフトノブもウッドで、きらびやかだったのを

覚えています。

左ハンドルで、お値段は200万ぐらいだったでしょうか。

例によってバッテリー上がっておりまして

エンジンは掛かりません。

 

初期費用だけは出せなくはなかったような気もしますが

それですむわけないでしょうね

あれ買ってたら、どうなっていたか

怖いような、面白いような。

そんな思い出があります。

 

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スーパーカー列伝87 イソ・リヴォルタ・グリフォ

 

こんにちは

もうひとつのランボルギーニ イソのお話。

イソは、1939年イタリアで創業した

冷蔵庫と暖房器具などを製造する企業でした。

これに目をつけたのが実業家のレンゾ・リヴォルタ。

すでに敗色濃厚だったイタリアにおいても、

食わなくてはならないのだから冷蔵庫ぐらいは

売れるだろうとの目算でこの企業を買収したといいます。

 

戦後は、庶民の足としてのバイク製造に精を出し、

世間をあっと言わせるようなマイクロカーを

発表します。イセッタです。

BMWイセッタといわれることが多いので

BMWが開発したと思われがちですが、

これはイソが1952年に発表したもので、

自社生産に頓着しなかったイソは、BMWに

ライセンスを供与し、BMWは自社ブランドで

製造・販売していたのです。

 

レンゾには、高性能なスポーツカー製造への

野望がありました。

いってみれば、トラクターとエアコンで成功した

ランボルギーニと同じような位置に戦後彼は居たのでしょう。

1962年には、自らの名前を冠した

イソ・リヴォルタGTというというGTカーを発表します。

スタイリストはベルトーネのチーフデザイナーに就任したばかりの

ジウジアーロ。

そして設計はフェラーリでその名声を高めた

ジオット・ピッザリーニによるものでした。

 

このGTの好評を受けて、

レンゾは新しいモデルを開発します。

それがこのイソ・リヴォルタ・グリフォです。

エンジンはGTに続いて、自社製ではない

シボレーのV8エンジンが選ばれました。

 

アメリカンV8を選ぶというと、

お手軽に、大馬力のエンジンを調達

する手法と思われがちですが、

一説によると、当時のイタリアの

熟練工の給料は驚くほど安く、

原価計算すると自社製エンジンを開発

するほうが安くつくという時代だったようです。

 

アメリカンV8を採用した理由には

小メーカー故の開発期間の

短縮の目的もあったと思いますが

V12エンジンより軽量コンパクトで

高出力を得たいという理由もあったのでは

ないでしょうか。

 

1963年のジュネーブショーに出品された

グリフォは1965年から生産が開始されました。

当初は5.4リッター350馬力というスペック

だったのですが、1965年には7リッター

バージョンが投入され、435馬力の出力で

最高速度300キロを誇ったといいます。

 

おそらく当時最速の車だったのではないでしょうか

デザインも、フロントはオーソドックスな

クーぺのようですが、リヤには曲面ガラスを

多用したジウジアーロらしい、美しさがあります。

このような、美しいボディーに

獰猛な7リッターエンジンを搭載した

グリフォはどんな走りを見せたのでしょうか。

 

その後70年にマイナーチェンジが施され

ヘッドライトはセミリトラクタブルに変更されます。

そして、7リッターに代わるシリーズ

最強バージョンとしてCan Amが投入されました。

このCan Amは生産台数が少なく、

シリーズ中最も洗練されていながら、

獰猛なモデルとして、高い評価が与えられているとのことです。

 

72年にグリフォはシボレーからフォードのエンジンへ切り替えを

図るのですが、そのパワーと魅力を失ってしまいます。

そして1974年オイルショックの影響を受け

イソが倒産するとともに、生産を中止したのでした。

実は、グリフォには、ロードバージョンのほかに

ピッザリーニが強く推した

レーシングバージョンのグリフォA3/Cというモデル

がありました。

 

こちらは1964年のルマンに出場14位に入賞します。

22台が生産されたましたが、結局イソと袂を

分かつことになったピッザリーニ自身が手がけることなり

ピッザリーニGTとして世に出ました。

こちらもジウジアーロデザイン。

わかりやすく カッコ良いスーパーカー然とした車です。

一説には、こういうコンペティティブなものは売れないだろう

という社内の判断があったと聞きますが、

かのランボルギーニでも、フェルッチオが

まったく興味を示さなかった「ミウラ」が

発表されたことで名声を高めたように、

ひょっとしてこっちを市販化していれば、

イソの命運は尽きなかったかもとおもうのですが

果たしてどうでしょう。

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スーパーカー列伝86 ポルシェ944

こんにちは

 

2000年の初頭ごろに読んだ本に

ポルシェ開発陣から聞いた話として

「セルシオの乗り味がわれわれが理想とする乗り味である」

と言ったとか言わないとかという記事を読んだことがあるのですが、

ポルシェってのはフェラーリみたいなエキセントリックな

車作りをしない企業です。

 

ですので、まんざら嘘でもないような気がします。

 

ポルシェは実用性とか、乗り心地、使い勝手等

実用に供する車として、スポーツカーを製造

してきたのです。

 

そして、そういう車をある程度安く作って、

数を売ろうとなると、例によって、

大メーカーであり関係性の深い

フォルクスワーゲンとの合弁というのが

ひとつの方策として浮かび上がってくるのです。

 

前にも申し上げましたとおり

356、914と行った車はまさにこれ、

そして944のベースとなった924も

この方法で作られようとしていました。

(実際にはエンジンだけアウディー製で

ポルシェ単独の事業となった)

言ってみれば、小メーカーポルシェの

ビジネスモデルはこれが本質であると

言っても過言ではないと思います。

 

しかし、いつものことですが、

これらの4気筒ポルシェは、いつも

RR+フラット6の911の亡霊に悩まされ、

エンジンが自社製でないことを取り上げて

「本物のポルシェではない」とポルシェファンに

揶揄される存在でもありました。

 

944はこんな中生まれます。

 

924は、ポルシェを支えるエントリーモデルと

して、ある程度の台数が見込める、そこそこの成功を

収めていました。

 

しかし、911の後継のつもりで開発した928は、

その大柄なボディーと豪華で快適なGTカー的性格が

災いしたのか、スパルタンな911の代替には程遠い状況でした。

 

一方の911といえば、元を正せば1964年

設計のシャーシを改良に改良を重ねてきたのですが、

いかに優れた空冷エンジンを搭載するとはいえ

その騒音や、短いホイールベースとテールヘビー

重量配分で、操縦特性は万人受けする

安全な車とはいいがたかったでしょう。

 

ポルシェ開発人が「セルシオ」を目指すの

であれば、我慢ならん車だったことは想像に難くありません。

 

ポルシェは、この911と928の間を埋めるモデルを作ろうとします。

 

924のトランスアクスルによる重量バランスの良いシャシー

そして、アウディー製ではない本物のポルシェ製エンジン。

 

924の良さを生かして、さらにその性能を向上させるべく

エンジンは928用の5リッターエンジンの片バンクを

流用した2.5リッターエンジンを新たに開発。

924より上級であることをアピールする

924カレラーGTばりのブリスターフェンダーを

まとったような迫力あるボディー。

 

重量配分は、トランスミッションをリヤに置き

限りなく50:50に近いものでした。

 

このようにポルシェが精魂をこめて開発した

このミドル級スポーツカーは

当時世界最高のハンドリングといわれるほど

優れた操縦性を有する車でした。

2.5リッターの自然吸気でスタートした944は

のちにターボを装着し220馬力をひねり出した

944ターボ。そして250馬力までパワーアップした

ターボS

ツインカムエンジンを搭載した944S

そして4気筒ながら3リッターの排気量となった

944S2などさまざまなバリエーションが生み出され、

一時期は911の販売台数を上回り、

80年代経営に苦しむポルシェのの屋台骨を

支えるモデルとなったのでした。

 

その後968にも引き継がれたこの

4気筒FRポルシェは、当時としては

実に洗練された実用的で高性能なスポーツカーでしたが、

ポルシェは89年に964を投入して

RR+フラット6のポルシェを延命

することを決断します。

 

次第に4気筒ポルシェはまた

エントリーモデルとしての位置付けされるようになり

その後継たるボクスターも

4気筒ではなくフラット6をミドシップにつむ

一連のFRモデルとは似ても似つかない

車となり、4気筒ポルシェの

系譜は途絶えてしまうのでした。

 

世界の自動車メーカーは、

高性能を図るとともに、省資源、低公害という

課題の解決を意識した車作りを続けています。

スポーツメーカーのポルシェもこのような

課題を避けて通ることはできないと思います。

 

そういう意味では、4気筒の高効率な

低排気量エンジンをフロントに積んだ

小型で、軽量なスポーツカーという

選択肢もあるのではないでしょうか。

ワーゲン製の小型ターボエンジンを

フロントに積んだ新型924,944の

登場もあるのかもしれませんね。

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スーパーカー列伝85 TVRタスカン

こんにちは

 

かつて栄華を誇った

イギリスの自動車業界は

あまり元気がありません。

あのミニとロールスはBMのもの

ベントレーはワーゲン

ジャガーとランドローバーはタタ

そしてローバーは名前すらない。

 

かつてイギリスにはバックヤード(裏庭)ビルダーと

いわれた、いわば、趣味で自分好みの車を作り上げる

ところから始めた、小メーカーが多数ございました。

 

その代表はロータスでありましたら

このTVRもその代表格でした。

1947年にトレバーウイルキンソンによって

興されたこの会社は、

小メーカーのご多聞に漏れず

次々オーナーを変えていくのですが、

なんといっても1980年代にこの会社を買収し

2000年代には世界有数のスポーツカー専業

メーカーにまで育て上げた

ビーター・ウィラーが中興の祖と

いえるでしょう。

 

油田の計測機器を作る会社を経営していた

ウィラーは、北海油田などの開発で財を成し、

経営危機に陥っていたTVRを手中に

収めます。

なんといっても彼は、車好きのエンスージアスト

だったのです。

 

加えて彼は身長が2メーター近くある

大男だったようです。

TVRを手中にして、自分がばっちり

ドラポジが決まる車を作りたかったのかもしれません。

ピーターウィラーが傾けた情熱に

比例するようにTVRの業績は向上し

一時は、ポルシェ、フェラーリに肩を並べるまで

になります。

 

そして、これまで、エンジンは他社製を

購入していたものを

V8,V12、直6の自社製エンジンまで開発するようになります。

 

これが1999年に発売された

タスカンにはこの直列6気筒エンジンが搭載されました。

タスカンは1967年に発売され70年代に生産が中止されていましたので

このモデルは2代目ということになります。

 

エンジンはフロントに搭載され、

リヤを駆動するオーソドックスなスポーツクーペでしたが

ドアはセンターコンソールのスイッチで

電気仕掛けで開閉するようなギミックや

丸目6灯のヘッドライト

オーナーの好みでマジョーラカラーのオプションもあるという

なかなか個性的な車でした。

特筆すべきはその軽量さです。

なんとわずあ1100キロしか重量がありません。

これに350馬力を誇る4リッターの直列6気筒DOHCエンジンを

搭載していましたから、パワーウェイトレシオは3.14kg/馬力を

誇り、当時高性能を誇ったフェラーリ360モデナを

上回ったというのですから普通ではありません。

 

なぜこのような高性能を誇ったかといいますと、

 

何にもついていないからです。(笑)

 

ありとあらゆるアシストやエアバック、ABSなどの安全装置は

この車にはまったくついていません。

まあ、70年代の車を現代の技術で作っていた

感じでしょうか。

 

それをこのパワーで運転するわけですから、

運転は難しいでしょうね。

 

当時日本市場にも期待を持っていたTVR。

あのマネーの虎でおなじみ

当時日の出の勢いの南原竜樹氏率いる、オートトレーディングに

ディーラーシップを与え、日本市場の開拓を始めていました。

南原氏は、

「お宅の会社は経営がうまくいっていない、当社で買収したい」

と持ちかけたらしいですが、

「自宅で鳥撃ちができるほど広大な庭を持っている

人に言うべきせりふではなかった」

と後に述べています。

大金持ちでエンスージアストのウィラーの下でいわば

古きよき英国のものづくりを再現していたような

会社でしたが、その栄華も長くは続きませんでした。

 

日本ではこのタスカンが西部警察の撮影中に事故を起こし、

そしてウィーラーも病を得たのか

2004年にはロシア人の新興実業家に買収されてしまいます。

このロシア人実業家は、

この会社にビジネスライクな文化をもたらしますが、

結局うまくいかず、会社をつぶしてしまいました。

 

しかし、TVRはいま、あのゴードンマレーと組んで

再建の動きがあるようです。

今後に期待したいですね。

 

 

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スーパーカー列伝84 オートザム AZ-1

ご無沙汰しております。

 

みなさん連休はいかがお過ごしでしたでしょうか

私は、長期の休みを取り、市役所に行って

臨時運行許可書(仮ナンですね)取得で、

職員と悶着するなど、有意義に過ごしておりました。(笑)

 

さて、本日は日本の誇るスモールスーパーカー

 

いまでこそ、すっかりクリーンディーゼルと、

おしゃれな内装、スタイリングで、国産プレミアムカーの

地位を確保したように見えるマツダですが

 

バブルのころはマツダの名前を消してしまえとばかり

前代未聞の5チャンネル体制を

構築しようとするわけです。

オートザムも、このひとつとして立ち上げたブランドです。

オートザムは、「あなたの身近なカーショップ」をコンセプトに

主として、中古車販売店、自動車整備工場などに

新車ディーラーシップを与えるという手法で

系列店を構築していきました。

スズキとのジョイントベンチャーによる

スズキ製エンジン、マツダ製車体による

軽自動車(キャロル)を主としながら、

なぜか、高級車路線として、

ランチア、フィアット、アウトビアンキ

シトロエンなども扱っておりました。

 

AZ-1は例によってスズキエンジン、

マツダ車体という分業体制で生み出されることになりました。

 

AZ-1のベースとなったのは

1989年コンセプトカーとして発表された

AZ550スポーツです。

これはなんと3種類のモデル(ABCタイプ)が発表され、

どれもエンジンをミドシップに横置きするモデル

だったのですが

Aタイプはリトラクタブルライトを備えるAZ-1に一番近い形

Bタイプは固定ライトのスパルタンなもでる(ドアは普通に開く)

CタイプはなんとグループCカーばりのデザインのレーシングカー

といういでたちででした。

 

Cタイプの反響が大きかったようですが、

結果的にもっとも現実的(とはいえかなり個性的ですが)

なAタイプをベースに、リトラクタブルライトを丸型の

格納式に、エンジンは新軽規格の660CC

スズキ製のF6A3気筒DOHCターボを搭載

したものがAZ-1といってもいいでしょう。

 

さすがに5チャンネル体制で、新型車の開発で

忙しかったマツダは、ボディーの製造は

関連会社に任せますが、なんと

スケルトンモノコックという、外板が一切

応力を受けないという、少量生産のスーパーカー

のような構造を持っていました。

これにより、AZ-1は外板を着せ替えることが

できるのですが、おそらく、その後、さまざまな

バリエーションを生むための布石だったのかも

しれませんね。

自慢のガルウイングは、強固な剛性を得るために

高いサイドシルを確保するための必然だった

とのことですが、このサイドシルのせいで

乗り降りはなかなか困難だったようです。

また、深いサイドシルは、低い車高に

よるところも大きかったようで

運転席から片手を伸ばせば、

タバコが消せるといわれました。

 

また超クイックなハンドリングも特徴で

ロックトゥロックがわずか

2.2回転というステアリングを備え

ジムカーナーでは相当な実力を

発揮しました。

 

一方で、ミドシップとはいえ、FF用ユニットを

流用した横置きレイアウトは、ミドシップより

リアエンジンに近く、

リヤサスペンションのアーム長があまり

長く取れなかった所為なのか

キャンバー変化が大きく、

トリッキーなハンドリングを見せ

横転することもあったようです。

 

AZ-1にはさまざまなバリエーションがあり

マツダスピードバージョン

関連会社がエアロパーツを仮想した

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そして他社がボディーパーツとセットで

販売した

スコルピオーネというモデルもありました。

これは、ピニンファリナに関係する人物がデザイン

したという説があります。

 

これだけ個性的なAZ-1ではありましたが

軽自動車スポーツABC(AZ-1、ビート、カプチーノ)

のなかではもっとも売れない車でした。

最後発で、登場が1992年ということもあり

バブルの崩壊に直面してしまったこと、

乗用車として使うにはあまりに

用途を割り切ったようなトリッキーな

ハンドリング等、原因はいろいろ言われております。

結局のところ、5チャンネル化のため

やたらめったら車をつくって煮詰め

が甘かったのではないでしょうか。

 

前にも申し上げましたが、当時のマツダは、どこぞのコンサルタント

に吹き込まれたのかわかりませんが、

自分のところの車が売れないのは「マツダ」

というブランドネームのせいだと思っていました。

 

でも良く考えてみてください。

このオートザムのあまり売れそうにないラインナップの中で

一人屋台骨を支えていたのはほかならぬ

「キャロル」でした。

キャロルってのは昔のマツダの車の名前です。

要は名前がどうこうでなくて車が良ければいいんですよ。

 

現在のマツダの隆盛を見るにつけ

オートザムとAZ-1のストーリーは

そんなことを示唆しているような気が

してならないのです。

 

 

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スーパーカー列伝83 イタルデザイン AZTEC

こんにちは

 

イタルデザインは、イタリアはトリノに

本拠を置く企業。

かのジョルジュ・ジウジアーロが興した企業です。

 

1960年代から、1980年代にかけて

天才的手腕を発揮した同氏のこの会社も、

その後息子に代替わりしたりして

とうとう今はフォルクスワーゲンの軍門に下って

しまいました。

その1988年の問題作

AZTEC(アステカと読む)です。

イタルデザインには

BMWに提供した似たようなモチーフの

ナスカというのもありますので、

このころは南米系ネーミングだったのでしょうか。

 

ジウジアーロは生涯を通じて、

航空機のような「キャノピー」

のようなコックピットをデザインテーマとしてまいりました。

古くはマセラティーブーメラン。

そして日本においては

ご存知SVXです。

 

このAZTECでは、キャノピーのような屋根を持った

ツインコックピットをテーマとしております。

 

実際にはツインコックピットで

両側から操作をすることはできませんが、

片側の座席にも、

あたかもステアリングのようなデザインの

ような物体が鎮座しています。

 

キャノピーがかぶさりますと

当然、それぞれ、個別の空間になりますので、

会話はインカムを介してということになります。

このキャノピーは屋根はなく、常時オープンエアです。

そして車体後半部分。

空力を意識してか、

すっぽりとタイヤがカバーされ、

そのカバーにはなにやら

車とは思えぬような、デザインが施されています。

このボディーはカーボンケブラーや、アルミなど

当時の新素材が惜しげもなく投入されていました。

 

まったく未来を目指したような外観なのですが、

一方で車としてのパフォーマンスは割合

平凡でして、

アウディークワトロの直列5気筒エンジンに

ターボを装着。ミッションはランチアインテグラーレを

流用。

最高出力は250馬力というものでした。

空力的には優れているように思えますが

あくまでオープンエアですので、

パワーはこの程度で十分と判断されたのでしょう。

 

このAZTECは1988年にイタルデザインの

ショーカーとして発表されたのですが、

イタルデザインの創業メンバーである

宮川 英之氏が、量産化(ったってそんなたいした台数ではないのですが)

を検討。ドイツで生産を委託します。

当時景気絶好調だった日本を中心に

50台を売りさばこうという

プロジェクトだったようです。

実際に生産されたのは1990年代に

入ってからだったようですが、

 

なんとそのお値段1億円ですからね。

いくらスタイリングが斬新だとはいえ

アウディークワトロの直5を積んだ

パフォーマンスが強烈でもない

スーパーカーはなかなか売れなかったようで

 

実際には25台が売れた(それでも25億ですが)

に過ぎなかったようです。

 

しかしこのAZTEC

ツインコックピット、キャノピーという革新的モチーフと

後半の未来を感じさせるつくりには非凡なところ

を感じさせるのですが、

かつての折り紙細工といわれた

ジウジアーロの煌きはあまりないような気がします。

1990年代に入って

ガラス加工や、ボディーパネルの整形も

高度な加工が容易になり局面を多用した

思い切ったデザインができるようになったのですが、

かならずしも、そのような技術が

美しいスタイリングを生み出すとは限らないのですね。

 

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