スーパーカー列伝82 日産フェアディ240Z

こんにちは

 

そろそろ自動車税の季節になりました。

私のような古い車を持つ人間には憂鬱な時期です。

しかも今年度から、13年超の車齢の車は

自動車税15パーセント付加ですからね。

13年経った車なんて今日、まだまだ使えるんですから、

何とかしてもらいたいもんです。

 

さて、本日のお題の240Zです。

日本車のなかでも、とりわけ海外を

意識して作られた、フェアレディーですが、

それはその生い立ちが影響しています。

 

当時アメリカ日産社長の

片山豊

彼は本国に,アメリカ人のライフスタイルに合った

スポーツカーを作ってくれと依頼するのです。

片山は「ジャガーEタイプ」のような車を

作ってほしいと依頼したそうですが、

当時の国産車としては高度な前後ストラットに

よる4輪独立のサスペンション。

ハッチゲートを備えた

スポーツカーとしては望外に広いラゲッジなど

きわめて進歩的な設計が施されました。

 

一方で、エンジンは日産の実用エンジンである

L型をチョイス。

パワーはそこそこですが、そのタフネスさは

定評があるところで、ともすれば繊細な

メンテナンスが必要となるヨーロッパのライバルたちに

明確なアドバンテージを持っていました。

アメリカでは、この種のスポーツカーは

セカンドカーとして、若者や、ご夫人たち

に使われるというアメリカの事情を考慮したものでした。

 

さて、海外では、L24エンジン、2.4リッターが基本となった

フェアレディーZでしたが、国内ではやはり

2リッターモデルが基本となりました。

L20を搭載したモデルはその本格的な内容にもかかわらず

80万円台の安価な価格で販売され、人気を博します。

またスカイラインGT-R譲りのS20エンジンを搭載した

432Z(4バルブ、3キャブ、2カムシャフト)は

160馬力という国内最高峰のパワーを発生しました。

一方で価格も最高峰で180万円台でしたが。

 

さて、1969年の登場から2年後

ついにアメリカ仕様の里帰りとも言うべき

240Zが日本で発売されます。

240は最高出力は150馬力と、432より控えめでしたが

価格は432より安く150万円と抑えられました。

 

じつは、当時のフェアレディーのイメージリーダーは

432ではあったのですが、最速なのは

この240でした。何せパワーは150馬力と10馬力

劣るもの、最大トルクが21キロと太っていました。

いちおうカタログデーターでは、

432のほうが若干早いことになっているのですが

なにせS20はレーシングエンジンで低速トルクがなくて

その上気難しく、

また、調子のいいエンジンはGT-Rに

優先して搭載されたとの逸話もあるほどで

調子の良い432は少なかったようです。

 

まあ、買う側からすれば、240のほうが30万近く安く

そして、気楽に高性能が享受できるのですが

これで良いと思うところですが、

 

1つ問題があるんですね。

 

冒頭の自動車税ですよ。

 

当時の税制は

2リッター超の車には禁止的な額の高額税

を課しておりました。

 

1.5リッター超は

39500円

2リッター超は

81500円!

現行では

4.5リッター超で88000円ですからね。

しかも40数年前の話ですから、

物価も違うでしょう。

ということで、いくら安くて高性能でも

アメリカと同じ仕様の240はなかなか売りにくかったのでは

ないかと思います。

ともあれ、240はシリーズ最高ではないけど

影の実力者というようなポジションで

若者の憧れの的となるのです。

 

私はどうもこのフェアレディーは

240Z-Gのイメージが強いですね。

鼻先をストレッチしていかにも空力が

よさそうなグランドノーズ(通称Gノーズ)

そしてオーバーフェンダー。

 

色はマルーンですね。マルーン

それにつけても、もともとファンが多く

コレクターが多いとはいえ、

最近の高値高騰は、もはや

手の届かない存在になりつつありますね。

 

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スーパーカー列伝81 ポルシェ912

こんにちは

ポルシェ912という存在を知ったのは

大学生ぐらいのころだったでしょうか

中古車情報誌を紐解いておりますと

 

200万円ぐらいで古いポルシェが

売られております。

ポルシェ912と書いてあります。

 

912ってなんだ、そんな車あったのか

 

と当時の私は思っておりました。

 

ポルシェ912はポルシェ911のボディーに

先代のポルシェ356のエンジンを

搭載したものでした。

こちらもフォルクスワーゲンのエンジンを

ベースとした空冷水平対抗OHV

1600CCでした。

 

前にも申し上げましたが、

ポルシェ356から911にモデルチェンジする際に

4気筒の小ぶりなスポーツカーであった

356から、水平対向6気筒の本格的な

スポーツカーとなった911は

価格が高くなりました。

356は16000マルクあまりだったのに対し

911は22000マルクもしたのです。

日本での価格は356か200万円台だったのに対し

911はなんと400万円台でした。

1964年ごろの話ですからね。

1967年デビューのトヨタ2000GTが

238万円で販売されて「高嶺の花」といわれていた時代です。

 

ポルシェもさすがにこれじゃまずかろうと

思ったのでしょう。

4気筒の「廉価版」として912を3販売することにしたのです。

なんとそのお値段は315万円だったそうです。

ポルシェってのは本当に高級車だったんですね。

現在の価格で換算すると3000万ぐらいに

なるのではとのことです。

この912ですが、日本への輸入台数が100台あまり

とのことで、亜流のように思われておりますが

実のところ、911の登場から、914が登場する

1969年までなんと3万台あまりが生産され

当初は911を凌ぐ販売台数が売れたのだそうです。

ナローボディーだけと思われている912ですが
じつは914が生産中止をされた一時期
アメリカ市場だけで930のビックバンパーの
ボディーで復活したことがあります。
924登場までのつなぎだったのですが
こちらのモデルは912Eと呼ばれています。

 

小さなエンジンで、パワーも限られたものではあったものの

新開発の6気筒エンジンよりずっと軽量で、

どうしてもリヤヘビーになりがちなRRのポルシェとしては

かなり重量配分も良好で、

むしろ操縦性は優れていたとも言われています。

 

この912は、日本国内でパトロールカーとして

使用されたことが知られております。

なかでも神奈川県警に配備された車は

なんと当時のディーラーであった

三和自動車が寄付したもので、

何度か三和自動車も広告に登場させていました。

当時は、主に高速道路のパトロールに

使われており、開通したばかりの

東名高速では、追いつけない車は

なかったという話です。

 

大分昔の話になりますが

私この912を買おうと思いまして

遠路はるばる東京の車屋まだ出向いて

912に乗せていただいたことがあります。

わたくしの初めてのポルシェ体験は912

だったのですが、

濃紺のきれいなモデルで、リヤのライトが

911Rのような丸型に改造されている

車だったと記憶しています。

当然空冷4気筒なんで、

バタバタという長閑な音を奏でるのですが

あのビートルのような音ではなく

もう少し心地よいエクゾーストだったと思います。

運転席のダッシュボードの下には

後年のポルシェのようにコンソールボックスも

なにも装備されていませんでしたから

足元が以外に広いことも驚いた記憶があります。

 

たしかお値段230万ぐらいではなかったかと

値引きをおねがいしてみましたが、応じてはいただけず

結局断念したのです。

 

その後現在まで乗り継ぐカレラ3.0に出会うのですが、

あの時買っていたらいま、どうしているかな

とたまに思うことがあります。

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スーパーカー列伝80 ホンダシティーターボⅡ

こんにちは

ついに80回を数えました本シリーズ

なんとか100本ぐらいは書けるのではと

思いつつ始めましたが、だんだん近づいてまいりました。

 

さて、本日は、わが国のコンパクトスーパーカーをご紹介

 

ホンダシティーターボⅡです。

 

ホンダシティは、かの有名な

マッドネスの奇抜なCMにより、一躍人気を得ました。

なにせ、今でこそ当たり前ですが

居住性確保のために、めちゃくちゃ車高を

上げたのです。

その高さなんと1470mm

当時としては考えられない高さ。

全長は3.4メーター足らずと

軽自動車なみですから、

なんとも漫画チックなスタイリングな

車が出来上がったのですが、これを

逆手にとってこれまでにないユニークな

車として売り出したのです。

トランクルームに折りたたんで搭載される

ゼロハンバイク「モトコンポ」もその

ユニークさを強調するのに一役買いました。

車そのものは、シビックが上級移行したことによる

穴をうめる「まじめな」ベーシックカーで、

1.2リッターの高圧縮エンジンを搭載して

良好な燃費を得ることに成功していました。

漫画チックな外観は、あくまでまじめに

居住性を追及した結果だったのだと思います。

 

さて、若者にも人気を得たシティーは

登場から1年もたたぬうち早くもスポーツモデルを

発表します。シティーターボの登場です。

1.2リッターからなんと100馬力(当時のグロスでの出力表示ですが)

を発生したターボは、走りはどっちかというと眠かった、

シティーに新たな魅力を加えたのですが、

その1年後には、なんともびっくりの車が用意

されていました。

 

これがターボⅡ 通称ブルドックです。

シティーのボディーに、なんと、ブリスターフェンダーを

着せ横幅をアップ。

そしてターボエンジンにはインタークーラーを装着し、

ターボから10馬力アップの

110馬力を発生させました。

ターボⅡの車両重量は735キロと

かなり軽量でしたので

パワーウエィトレシオは6.7kg/psと

スポーツカー並みの値を示したのでありました。

さらにこれをなんとレギュラーガソリンで達成し、

加えてターボでもリッター17.6km/L(10モード)

を達成していました。

当時高性能車として名をはせていた

トヨタソアラ2800GT(1305kg、170PS)ですらパワーウエィトレシオは

7.6kg/psぐらいでしたので

いかに驚異的だったかお分かりいただけるかと

思います。

加えてこの車にはホンダらしいギミックがあり

4000回転以下でアクセル前回にすると

10秒間ターボの加給圧を10パーセントアップ

するという心憎い装備(スクランブルブースト)

がありました。

 

ヨーロッパでは、この種のハッチバック車の

高性能モデルをホットハッチと呼びましたが

シテイターボⅡはそれを超え、一種のホモロゲ

モデルのような雰囲気をかもし出していました。

 

 

その後シティーには、ターボⅡのワイドボディーから

屋根を取ったカブリオレや、

超低燃費仕様のEⅢなどさまざまなモデルが投入

されるのですが、

日本が次第にバブルに向かっていくにつれ、

人々が、ベーシックカーからより

上級の車への憧れが強くなるにつれて、

シティーは次第に人気を失い。

次期モデルは、トールボーイスタイルを捨て去った

お安いパーソナルカーのようなペッタンコもでるに

なってしまうのでした。

 

それにしても、

こんな面白い車が当時新車でわずか

120万円代で購入できたのです。

財布の軽い若者にとっては、

手の届く夢だったでしょうね。

 

シティーターボⅡは、カブリオレなどと

ともに、たまに中古車も流通することが

あるようですが、新しいモデルでも

車齢30年を数えますから

程度の良い個体を見つけるのは

至難の業でしょうね。

日本がいまより元気だったころの

魅力あふれるコンパクトカーでした

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スーパーカー列伝79 ランボルギーニシルエット・ジャルパ

こんにちは

私の知る限り、
スーパーカーを買うという人には、いろんな
種類の方がおられまして、

ランボルギーニ命といったように
特定のメイクス(場合によっては車種まで)
にこだわって選ぶ(あるいはそれに乗り続ける)

という方と。

ランボもいいけど、フェラーリもポルシェもいいよね。

と次々乗り換える。(あるいは増車する9

というタイプの方がいらっしゃるように
思います。

前者の方は、車に大変お詳しい傾向があり、レストアとか
整備も自分でやる、という方が多いでしょうか

後者の方はめちゃくちゃ詳しくはないけど
ドライビングがお上手で、サーキットなどにも繰り出し
車を走らせるのがお好きという感じでしょうか
整備も信頼あるお店に任せてるから
と、じぶんでは手は下さない
という感じでしょうか。

前者の方にとっては、どうでもいいことかもしれませんけど
後者の方にとっては
メイクス間のライバル関係ってのは
重要かもしれませんね。

たとえば、ポルシェの911とフェラーリのV8とどっちにするかとか。
(うらやましい悩みですが)

まあ、そういうかたがたのために、この、
シルエット、ジャルパも生まれてきたというところでしょうか。

シルエットは、ランボルギーニのV8、4座の
ウラッコをベースとしています。

ウラッコは本シリーズでも取り上げましたが
V8横置きミドシップというレイアウトで
4座を実現し、ポルシェ911の市場を狙った
車でありました。ランボとしては量産して
市場拡大を図ろうとしたのですが、

ランボの生産技術の問題か、
トラブルが続出。
市場にはあまり受け入れられませんでした。

一方フェラーリはディーノ308GT4で同じようなことを
狙いましたが、いまいち成功しませんでしたが、
これをベースに308GTB/Sを発表
V12でなくてもフェラーリという
掟破りの方法で、
フェラーリの拡販に成功したのでした。

ランボルギーニも。
「その手があったか」
とこのシルエットを出したのでしょう。

ウラッコのどことなく抑制的で
洗練されたたたずまいを一変。
当時はやった「シルエットフォーミュラー」ばりの
レーシングカー風デザインを着せ

エンジンもチューンして、

ウラッコベースの2座スポーツ
を仕立て上げたのでした。

ところが、
当時のランボルギーニはオイルショックやらなにやらで
倒産寸前。

もともと信頼性が高くなかったウラッコベースですし
ウラッコは4座を確保するためにかなり
構造的に無理をしていましたから、
整備性が極めて低かったようです。

そして1978年にランボルギーニは
あのBMW M1の委託生産をキャンセル
され(作れないんだからしょうがない)

とうとう命運がつき、イタリア政府
管理下となります。
シルエットも1979年には生産を中止します。

そして1981年パトリックミムラン率いる投資
グループに売り飛ばされ、新体制となります。

そのとき、このシルエットのエンジンの
排気量を拡大(ストロークアップ)
概観をちょいと手直し。
そしてカウンタック風のエアロパーツを
引っ付けて、

ジャルパが登場するのです。

とりあえず、数が見込める
価格の安いモデルを手っ取り早く
出すというのが当時の新体制の
考えだったのではないでしょうか。

このジャルパですが、なんと排気量は500CCアップ
(3500CC)しているのですが、最高出力は3000CCの
シルエットより低下しているという前代未聞のスペックです。
車両重量も1200キロ台のシルエットから
ジャルパでは300キロほど増加しています。

まあ、おそらく
新体制のほうが正直だったのかと思われますが(笑)

増産を目指した、ジャルパでしたが
またもやオーナーが変わってクライスラー体制化となっても
1989年まで生産が続けられましたが、
50台あまりしか生産されなかった
シルエットの3倍ほどの生産台数
を数えることしかできませんでした。

いくらなんでも、元の信頼性が低すぎたのでしょう。

初代のシルエットは、多くが故障し
力尽きたものも大く
現在では、30台ほどが残っている
に過ぎないといわれています。

 

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スーパーカー列伝78 フェラーリ400シリーズ

こんにちは

いまでこそ、スーパーカーメーカーが
セダンタイプと申しますか
実用的な後席をもつスーパーカーを
つくることはそうめずらしいことではなくなってきました

(例、マセのクワトロポルテ、ポルシェのパナメーラ等)

しかし、そのパイオニアはこのフェラーリ400だと思うのです。

フェラーリは、この400シリーズを出す前にフェラーリデイトナ
(365GTB)のシャシーを流用して365GTC/4を発表しました。

このGTC/4ですが、デイトナ的曲線と
その後のBBのようなテイストを混ぜ合わせたような
フロントマスクでなかなかかっこ良いのですが、
デイトナベースということで、後席が物置に
しか使えないと不評でした。

そこで、もう少しまともな後席がついた
クーペのような車として、400が改めて発表
されたのです(デビュー当時の名称は365GT4/2+2)

その後エンジンが拡大されて、
400となり、その後インジェクション化されて
400i,さらにエンジンを拡大されて
5リッターエンジンを搭載された際には
412と呼ばれるようになりました。

私が子供のころの記憶をたどりますと
本車は400ATと呼ばれていたように思います。

この車にはなんと、フェラーリとしては初の
採用となるGM製の3段オートマチック
トランスミッションが用意されていたのです。
日本仕様にはこのオートマチック仕様のみ
正規輸入されていたので、
400ATと呼んでいたのだと思います。

さて、フェラーリの最高峰
4,4リッター12気筒を搭載した
400は最高出力は340馬力と
公称されておりましたが、
フェラーリ一流の理想的
条件に基づく
希望的出力だと思われますので
ここまでは出ていないと
おもわれますが、最高速度は
時速250キロとアナウンスされておりました。

クリーンでシャープなイメージの
400シリーズは、
その美しさとも相まって、長寿モデルとなり
1972年から1989年まで
17年の長きにわたって生産されました。
スーパーカー的要素を持つ実用的
スポーツカーとして長く唯一無二の存在だった
400はその後も456というニューモデルに
引き継がれたのです。

さて、この車、
子供のころは、スーパーカーの中では
地味な存在で、
スピードも大して速くはなかったので
あまり興味のない存在だったのですが
いま、改めて見直してみると
実に魅力的だと思います。

いわゆるスーパーカーファンのみなさんも
いつもシャカリキになって飛ばすのではなく
ゆったりと流してみたいという
気分になることがあるのでは
ないでしょうか

そんなとき、その相棒が
フェラーリのエンジンを積んだ
エレガントなクーペだったら
というのは
だれでも夢想することなのでは
ないでしょうか。

それから、私が思っているだけかもしれませんが
日本車でこのイメージを拝借
した車も結構あったのではと思います。
後ろから眺めるとN社のS(通称日本というやつ)
前の方から眺めると一連のH社のリトラクタブルセダンシリーズ

皆さんどう思われますか?

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スーパーカー列伝77 ポルシェ914

ワーゲンとポルシェの話
続きます。

ポルシェってのは正式な社名を和訳すると

フェルディナンドポルシェ名誉工学博士 株式会社

となるんですが、

いってみれば、この会社はナチスにうまいこと利用された
ポルシェ博士の名誉を回復し、その知的財産を
活用していこうというような存在意義を
あらわした社名ですね。

当初はベンチャー企業のようなもんで、

一番最初に出したポルシェ356だって

ポルシェが手を加えるものの、
基本的にはワーゲン(ビートル)のコンポーネンツを
うまいこと利用して、
軽量コンパクトなスポーツカーを生み出そう
というコンセプトでした。

手持ちのコンポーネンツがRRの
ビートルだったので、356もいきおい
RR(本当はミドシップにしたかったみたいですが)
だったのでポルシェはRRになったわけですが
356が名声を得たため、
次のポルシェ911もRRにする
というのは規定路線となり、
この911が名声を得たため、
ポルシェ=RRという図式ができてしまいました。

まあ、昨日のエピソードでもお話したとおり
ポルシェのワーゲンはなんとも関係が深い
企業でして、この両者が組んだプロジェクト
がこの914だったわけです。

914はその昔の356と同じような
成り立ちです。

エンジンはビートルのエンジンをベースとして
ワーゲンが製造

そしてボディーの設計、製造は
ポルシェが受け持つ。

そしてブランドはワーゲンとポルシェの
ダブルネームでした。

これには両者の思惑がありました。
ワーゲンにはビートルのコンポーネンツ
を利用した新しい車の製造。

そしてポルシェは356に比べて豪華
で本格的になった911が結果的に
価格が高くなってしまったため、
もっと安価で量産が見込める車の開発です。

この両者が組んでできたのがこの914です。

356、911が4座にこだわったため
実現できなかったMRレイアウトを
この914では初めて採用。

そして、商品力を高めるデダッチャブルトップ
でオープンエアードライブも可能としました。

そして、ポルシェらしいのが居住性の確保

2座のスポーツカーですが
914はキャビンスペースもかなり
広く取っており、ラゲッジスペースも
かなり実用的でした。

もちろんMRですから走りも妥協していません。
また重心の低い水平対向エンジンですからね
素性はかなりいいでしょう。

このワーゲン・ポルシェのジョイントプロジェクトは
一定の成果を上げ、
914が登場した1970年には16000台
その後は20000台以上を生産して
ポルシェの「増産」という目標は達成します。

一方で、「本物のポルシェではない」という
評判もありました。
その後、それらの批判をかわすためか
ポルシェ製のフラット6を搭載した914/6も併売
されたのですが、そのワ-ゲンのマークを
忌々しく思っているエンスージアストも少なく
なかったでしょう。

またポルシェがまじめに設計した弊害か
スタイリングがあまりエキサイティングで
なかったことも批判の的となりました。

スポーツカーってのはイタリアンスポーツのように
「居住性なんか知るか。かっこいいんだから我慢せい」(例カウンタック)
のような気合でスタイリングせねばならんのですが、
なまじまじめなワーゲンとポルシェが組むと
「走行性能と居住性の高度な妥協点」
を見出そうとして、あまり面白みのない
スタイリングになってしまうのかもしれません。
そのせいか、おせっかいな社外デザイナーが
914をベースとしたデザインスタディーを
種々発表します。(写真はジウジアーロ先生作)

ともあれ、914ポルシェとワーゲンという
会社の成り立ちを考えれば、914というのは
ポルシェの祖となる356と同様な
成り立ちであるわけで、

オープン、水平対向、ミドシップという
コンセプトは後にボクスターという
ヒットにつながるわけですから
このワーゲンポルシェプロジェクトは
もう少し評価されるべきではないかと
思うのです。

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スーパーカー列伝76 アルファロメオスパイダー

こんにちは

私の勝手な説かもしれませんが、

ポルシェ911的スタイル変遷というのがありまして。

ようするに長くデザインが変わらない車
のスタイリング変遷(変遷してないのかも)
の一例です。

たとえば、この手の変遷は
ジャガーXJ-6とか
MG-Bとかでしょうか

ジャガーXJですと
シリーズⅠあたりが911のナロー
シリーズⅢあたりがビッグバンパー
XJ-40が964
X-300が993

とかね。

その一例として、このアルファスパイダーもこの好例です。

まずナロー

1966年にスパイダーデュエット1600として登場します。
スタイリストはピンニファリーナを率いるバチスタ・ファリーナ
彼が手がけた最後のプロジェクトです。

このデュエットですが、
じつに美しい車ですね。

バンパーをインテグレートされた
グリル。

そして空力の良さをアピールするような
アクリル製のヘッドライトカバー。

そして、恐るべき長さのリヤオーバハングと
なだらかな曲線を描くボートテール。

サイドには、彫刻のように、掘り込まれた
ラインがフロントからリヤを貫いています。

60年代の古典的なラインと、
フロントからの眺めはなにやら
モダンな雰囲気もあります。

このデュエットは
なんと1300CCのジュニアと言う廉価版
がありまして。

ダスティン・ホフマン主演のあの名作
「卒業」では、彼の劇中の愛車として
登場します。

しっかし、いかに廉価版とはいえ
大学出たばっかの若造にアルファの
スパイダー購入してやんのかよ。

と突っ込みたくなりますが、
60年代のアメリカは豊かな国だったのでしょうね。

さて続いて930

1983年、スパイダーは大きなマイナーチェンジを
受けます。

あの優雅なボートテールはどーんと切り落とされ、
(1970年にすでに切り落とされていたのですが)
大型のリヤコンビネーションランプを装着
フロントの美しいバンパーは
一体化された、普通ーの横一文字のものに
なります。

たぶんにアメリカ市場を意識した変更でしょう。
その後も、当時流行したエアロパーツ
(樹脂製の真っ黒い無粋なやつ)
が取り付けられ、エンジンを2リッター
に拡大したクワドリフォリオヴェルデなど
のモデルが追加されます。

そんでもって最後964(993かな)

90年代に最後の大変更。

統一感のないバンパーエアロパーツなどは
とっぱらって、ボディーと同色で美しく仕上げ、
レザーとアルカンタラの豪華な内装
をしつらえ、念願のパワステ採用。
インパネも豪華になりました。

そして、ついにオートマ(3速だけど)
も選択できるようになりました。

このころになりますと、
1960年代からほとんど進歩していない
足回り、そして古典的なエンジン

などとあいまって、
スポーツカーというよりは
1960年代を現代でも味わえる
タイムマシーン

に近い存在になってましたから、
この変更は妥当なものだったでしょう。

さて今をさかのぼること20ウン年前

中古外車を本気で購入しようと思っていた
私。

このスパイダー欲しいなあと
思いました。

お値段もがんばれば何とか
と言うレベルだったと思います。

見に行きましたよ仙台某所の
K自動車。

ぽつねんとおかれていた
アルファスパイダーはなんとなく
生気を失ったような感じで
そんなに古いモデルではなかったと
思うのですが、どうもあまり
程度も良くなかったように思います。

バッテリーも「上がってて当然」
見たいなお店の方の対応で

エンジンをかけさせてももらえませんでした。
期待はずれ感をもった私は断念しました。
当時露天保管の駐車場しか
なかった私にはたぶん、購入しなかった
ことは正しい判断だったでしょうね。

10年ぐらい前はたまーに80年代の
無粋なエアロがついたモデルとか
こぎれいな最終型とかみかけたもんですが、

今はマジなクラシックカーイベントとかで
デュエットにしか会えなくなりつつ
あるような気がします。

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スーパーカー列伝75 マセラティーカムシン

こんにちは

70年代中盤のマセラティーのフラッグシップ
であった<カムシンのお話です。 マセラティーカムシンは 以前このシリーズでも取り上げました ギブリの後継という位置づけでも あった車です。 エンジンはマセラティーが誇る V8 5リッター。 こちらもギブリSSからのキャリーオーバでした。 ギブリがの利やサスはリジットでしたが、 カムシンは、ダブルウイッシュボーン。 サスペンションも改められていました。 そして、2座だったギブリから カムシンは小さいながらも後部座席を 備える2+2. スーパースポーツはボーラという存在も ありましたから、 どちらかといえば、豪華なGTという 位置づけだったのでしょう。 デザインは、ギブリでは、カロッツエリアギアの チーフスタイリストであった ジウジアーロでしたが、 今度はベルトーネに託されました。 ということはまたしてもガンディーニですね。 ガンディーニは、カムシンに シャープなウエッジシェープの直線的な デザインを与えました。 ボンネットには、左右非対称のルーバーが 切られています。 そして、特筆すべきは、ガラスをはめ込まれた リヤパネル。 これにより、スーパーカーとしては望外に 後方視界が良い車になりました。 たしかにかっこいいのですが、ラゲッジ スペースが丸見えですので 生活臭あふれるものとかは トランクに積めませんね。 マセラティーの定評あるエンジンを搭載し、 新進気鋭のスタイリストが アバンギャルドなボディーを与え、 名スーパーカーの条件を満たしている と思われるカムシンでしたが、 ここに思わぬ敵が現れます。 親会社だ。 当時のマセラティーは シトロエンと提携しておりました。 そのため、シトロエンが誇る ハイドロシステムが カムシンにも組み込まれていたのでした。 ブレーキはシトロエンを思わせるような パワーブレーキ。 加えて、お得意のパワーセンタリング ステアリング。 ハンドルを切ればあとは放せば もとにもどるというやつ。 そのほか、シートの前後 ウインドーの上下 リトラクタブルの上下 などにもハイドロのパワーが 生かされていたのでありました。 まあ、新世代のスーパーカーとして まあ、これらの機構は新鮮味を 与えていたのかもしれませんが これらの油圧を維持するために コンプレッサーをエンジンパワーで 回していたため、 かなりのパワーロスがあり 5リッター320馬力という パワーが額面どおりに受け取れない という代物になってしまいました。 加えてハイドロの高圧によって 経年変化によって、オイル漏れが 発生。 これらの修理には大変な費用を 要したといいます。 またセルフセンタリング、パワーブレーキなども 走りに悪影響を及ぼしていましたし、 かなり重い車両重量 (1.5トン超)というのも利いていました。 なんせ、手で板金したパネルの表面に ポリパテを分厚く塗って それを磨いて平滑にする というのが当時のスーパーカーの セオリーでしたので、 当然重くなるのです。 まあ、重量に関しては他のメーカーより マセラティーが正直だっただけ かもしれませんが。 結局のところカムシンは 1974年のデビューから、 デトマソに経営権が移っても 細々と1982年まで生産が継続されましたが オイルショックや、ハイドロシステムの 信頼性の低さからわずか420台あまり が生産されたに過ぎません。 国内にも何台か残っているようですが、 ハイドロや、ミッションの整備は コストがかかり、修理できずに 不動車となっているケースも 多々あるようです。 お値段も安いのですが、 それ以上に高くつく 危険なスーパーカーなのです。 それにしてもこのスタイリング かっこいいですよね。 ハイドロなしで出してくれれば どんなにか良かったかと 思うのですが。 khamsin_1

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スーパーカー列伝74 フェラーリディーノ 308GT4

フェラーリとDINOのダブルネームだった
4座フェラーリ。

308GT4です。

この308GT4はフェラーリにとって
異例ずくめの車でありました。

まず。

初のミッドシップ4座

初のV8エンジンを搭載。

そして、なんと、

デザインをベルトーネに依頼

そうなんです。
この車はピニンファリナではなく

かのマルチェロガンディーニが
デザインした車なのですね。

以前にも申し上げましたが

フェラーリはV12エンジン搭載車以外は
フェラーリと呼ばない。

と言う社是を掲げておりましたから、
V6エンジンを搭載していた、206,246は
DINOというブランドで販売しておりました。

この308GT4もその先例にしたがい

この車も当初はDINO308GT4とネーミングされていました。

しかしどうした理由か、登場から2年後の1975年には
フェラーリディーノ308GT4となり、
その後DINOもどこかへ消えてしまったようです。

異例ずくめのこのベイビーフェラーリは
基本的には、246GTのホイールベースは2550に
延長したもので、
3リッターのV8エンジンをもってしても
運動性の低下は免れることはできませんでした。

2座のベイビーフェラーリのポジションは
1975年の308GTB/Sの登場を待たねば
なりませんでした。

この車の登場には、他社の4座ミドシップ
マセラティーメラク、そしてランボルギーニウラッコ。
加えてポルシェ911の存在が大きな影響を与えていたもの
と想像できます。

このV8エンジンは、後にフェラーリの308に
移植され、V8フェラーリを登場させ、
フェラーリの生産台数を
大いに増大させることになるのですが、

どうも308GT4そのものの売り上げは
ぱっとしなかったようです。

やはりそれは、運動性能の低下と
ベルトーネの直線基調のスタイリングが
どうもフェラーリらしくないと
市場から受け止められたからのようです。

1973年から1980年まで
とうとう、またピニンファリーナにデザイン
を依頼した4座ミドシップ
モンディアルがとうじょうするまで
2700台あまりが生産されたといいますが

リーマンショックの前ごろまでは
中古車の人気も低く、
「最も安く買えるフェラーリ」
だったのですが、

車そのものが、最も新しくても
40年近く経過していることから
次第に玉数も少なくなり、

マルチェロガンディーニの
直線基調のデザインが
70年代のスーパーカーらしい
と見直され、

近年はコレクターズアイテムとみなされるように
なってきているようです。

V8でもフェラーリとよばれるようになる
いわば過渡期にうまれた
この308GT4ですが、
私はなかなかカッコ良いと思います。

実用性と運動性を両立させた
スーパーカーは
70年代の過去に考えられた
未来の車だったのかもしれません。

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スーパーカー列伝73 ブルックリンSV-1

こんにちは

個人的な話で恐縮ですが
私が幼少のころ
スーパーカーに興味をわかせてくれた本のひとつに
世界のスーパーカーだったかスポーツカーだったか
という本がありました。

著者は「サニー梅木」なる怪しいお名前でしたが、
中身は結構まともで編集もきちんと
した本だったように思います。

当時石油ショック真っ只中
そして日本は、排ガス規制で
日本とアメリカの車事情は
イタリア、ドイツの華々しさ
に比べて記載もあっさりしていましたが
そのなかになんとも変わった
成り立ちの車がございました。

それがこの
ブルックリンSV-1です。

当時のその本の記載には
車好きの億万長者マルコム・ブルックリンが
開発したスポーツカー
経営的にかなり苦しいようだが
まだがんばって生産を続けているようだ。

こんな記載だったともいます。

当時小学生ぐらいだった私

億万長者で車を生産するって

どんだけ金もってんだろうというのと
このブルックリンと言ういう車の
なかなかかっこいい外観が印象
深かったのを覚えています。

さて、このマルコムブルックリンは
なんでも25歳にして100万ドルを
稼いだ実業家だったそうで、
なんと、スバルのスクーター
(ラビットのことでしょうか)
を販売したり、あのスバル360の
開発にも関わっていた人物との
ことです。

スバル3660もアメリカに輸出して
販売していたようですが、
重量が軽いためアメリカの
安全規制を免除されたため
全米でもっとも危険な車との
レッテルを貼られてしまいます。

ブルックリン氏
これには腹が立ったのか、いかなる
意思が働いたのかは不明ですが、
今度はとびきり安全な車をつくってやれ
ということで開発したのがこのブルックリンSV-1
なのです。

SV-1はSafety Vehicle の頭文字
大きなバンパーを備えるなど
安全を追求したブルックリンは当時の
アメリカの安全基準を大きく凌いでいました。

ボディーはグラスファイバー製で
表面はアクリル酸という樹脂をコーティング
したもので、カラーは5種類ほどあったようです。

安全を考慮していたため灰皿もライターも装備
されませんでした。

特徴的なガルウイングドアは
なんと電動で開閉することができました。

エンジンは当初はAMCのV8を搭載していましたが
モデル後半はフォードのV8 5.7リッターを
搭載最高出力は、当時のアメリカの
規制を受けてか220馬力程度。

しかしながら、少量生産の悲しさ
リトラクタブルのトラブルや
アクリル酸という特殊素材を使ったボディーの
ひび割れ、

さらには40キロもあるガルウイングドアが
ゆがんで開かなくなるなど
トラブルも多い車だったようですね。

安全をテーマにしていたことで
メディアからも注目を受け
アメリカ政府からも支援を受けていたブルックリンですが
1975年についに倒産。
2800台あまりが世に送り出されました。

ブルックリンの走りは
バニッシングin60
で有名なHBハリッキーの
第2作「ジャンクマン」でいまでも
見ることができます。

最後はガルウイングを開いたまま、海に落ちてしまう
らしいですが。

それにしても、このブルックリンといい、
あのデロリアンといい、
アメリカ人が理想とする夢の車は
なぜガルウイングなのでしょうかね。

参考
http://www47.tok2.com/home/clearblue2/3dcg/bricklin/bricklin.htm

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