スーパーカー列伝 アウディークワトロ

こんにちは

アウディは
ドイツの4つのメーカー
アウディ、DKW、ホルヒ、ヴァンダラーが共同して
車を製造することを目的として
戦前に結成された
アウトウニオンが母体となっています。

アウトウニオンとは英語で言えばオートユニオン
自動車製造の共同組合みたいなもんでしょうか

当時アメリカから安価な車がたくさん
入ってきて、危機感を覚えた中小メーカーが
作った組織でした。

アウディーの4つの輪はこれらの4つのメーカーを
表すとされています。

1970年代、戦後、一時期途絶えていた
アウディーブランドを再構築することに
なりました。

そこに、招聘されたのは
ポルシェを半ば追い出された形の
フェルディナンド ピエヒ
ポルシェ博士の孫ですね。

あのポルシェ917Kを設計した辣腕の技術者
にして、優秀な経営者であったピエヒは
同属経営の弊害を除くためポルシェ一族は経営から退くという
規定によって、ポルシェを退社したのでした。

さてこのピエヒが手がけたスポーツモデルが
このクワトロですね。

クワトロの特徴はなんといっても
フルタイム4WDですね。

当時4WDはパートタイム式が主流で
まあ悪路専用の特殊車両が
悪路に入ったときに初めて4輪駆動
に切り替えて、悪路での走破性を
高めるのが目的でした。
そのため、良路のグリップのよい道で
旋回したりするとエンストしたりする
(ブレーキング現象)のような欠点が
ありました。

クワトロでは、オンロード走行での
走行性能の向上を目的していましたから
4WDシステムをフルタイム化して
センターデフを装備。

この車が、後の4WD乗用車に
大きな影響を与えました。

エンジンはアウディ200から流用の
アウディー伝統の直列5気筒に
ターボを装着。
2.1リッターの排気量から
200馬力を発生しました。

そもそも良路での走行性能の向上と
操縦安定性を狙ってのクワトロシステム
でしたが、当然、悪路でもその性能は
発揮されるわけでして、

その活躍はラリーフィールドにありました。

1981年からWRCに投入され、
1982年には早くもメイクスタイトルを獲得。
1981年には、ミシェル・ムートンに
WRC史上初の女性の優勝者の栄冠を授けました。

その後のWRCは、このクワトロに端を発した
4WD+ターボのスーパースポーツで
参戦することが半ば常識化し、
市販車をベースとしたエボリューションモデル
全盛の時代になっていきます。

その後もホイールベースを縮め、
パワーをアップし300馬力を発生したモンスター
スポーツクワトロ

そしてその後継としてレースに投入された
スポーツクワトロS1など

次々にモンスター級のモデルが開発されました。

1991年にアウディークワトロは生産を中止しますが
その後もアウディーはクワトロシステムを投入した
各モデルを投入し、

4WD乗用車のパイオニアとしての
名声を得ていくのでした。

アウディーというと、1970年代までは
どちらかと言うと、フォルクスワーゲンと
似たような感じの大人しめな車を作るメーカーと
いうイメージがありましたが、

このクワトロがアウディーのブランドイメージを
向上させたことは疑いのない事実ではないかと思います。

そして、この功績を認められたピエヒは
後に親会社のフォルクスワーゲンのトップに
上り詰め、
その後、ランボルギーニ、ブガッティー、べントレー
といった超高級ブランドを傘下におさめ、
ドイツ自動社界の巨人として君臨するのでありました。

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スーパーカー列伝71 BMWZ1

こんにちは

本日はBMWがショーカーを量産してしまった話。

Z1はBMWの一連のオープンツーシーターの
初っ端を飾るモデルではあったのですが

実は、新技術を満載したショーカーとしての
意味合いが強いものでした。

BMWは
それまで長々と引っ張ってきた、
BMW伝統のセミトレーリングアーム式のリアサスペンション

これを新たにZアクスルと称する
マルチリンクサスペンションに切替えよう
と思っていました。

それが証拠に、当時の3シリーズ
E30はセミトレ
E36はマルチリンクのリアサスを採用しています。

またボディーは連続亜鉛・シーム溶接、複合材製アンダー
トレー型床構造という特殊なもので、
ボディーパネルは熱可塑性を持つプラスチック。
ボディーパネルは一切応力を受け持たないため
ボディーパネルをすべて外した状態でも
走行することができました。

なんとこのような特性を生かし、
BMWはオーナーに色違いの予備のボディーパネルを
購入することを推奨していたそうです。

またこのボディー構造により、一般の車
よりサイドシルが高くなったため、
画期的なドアを採用します。

なんと上下に昇降するのです。
しかもドアを下げたまま走行することも
法的に認められていました。

さて、BMWはショーカーのつもりだった
Z1をなぜ生産する決定をしたのでしょうか。

BMWは1986年にこのモデルをマスコミに公表。
そして1987年のフランクフルトモーターショーに
発表するや否や、
多くファンから実際に販売することを
求められなんと3500台の注文を受けて
しまったといいます。

その後も生産を求める声は高まり、
生産を開始する前になんと
35000台の注文をうけていたとのこと。

Z1は大人気だったのですね。

しかし、実際に生産を開始してみますと
ショーカーならではのいろいろな問題が
発生してきます。

まず、エアコンが付かない。

ショーカーであるためにインパネが
小さく、エアコンと、ヒーターの
両方を入れることができなかった
そうです。

一部にBMWの別の車両のエアコン機構
を流用してエアコンをつけたものがある
そうですが、その場合は暖房の機構は
取り除かれました。

また、特殊なボディーは
生産性が低く、
日産10台から30台がやっとだったと
言われています。

結局35000台ものバックオーダーを
抱えていたZ1も
最終的には8000台を生産するに
とどまりました。

その理由は値段が高かったこと、
(新車で83000マルクから89000マルク
90年ごろの円マルクレートは1マルク90円程度)

メルセデスベンツから競合となる
SLKが販売されたこと
オーダーのかなりの部分が
値上がりを見込んだ投機目的だったこと

等々挙げられますが、
結局のところ、ショーカーを
量産すること自体が無理な判断
だったのではないかと思われます。

しかしながら
この車のデザイナーのハーム・ラガーイ(本日も登場)
は、Z1の生産がBMWのディスチャージランプ、格納式ロールバー、
ドア開閉機構やアンダートレー型床構造の特許技術を生み出す
役に立ったと述べたそうです。

残念ながら日本には正規輸入されず
アルピナ版の「アルピナロードスター リミテッドエディション」
は正規輸入されたそうです。

わたくしはこの車
見たことも乗ったこともありませんが

ドアを下げて走る開放感は
いかなるオープンカーにも劣らぬ
開放感だそうですね。

エンジンは普通の3シリーズから流用の
2.5直6ですが、こいつをマニュアルで
操るのはなかなか楽しそうです。

見た目的には、ちょっと不気味な
テーストでもありますが、
将来稀少車として注目される
可能性大ではないでしょうか。

1988 BMW Z1 E30; top car design rating and specifications
1988 BMW Z1 E30; top car design rating and specifications
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スーパーカー列伝70 ポルシェ968

ご無沙汰しておりました。

とうとうネタ切れかと思っておられたかたも
いらっしゃるかと思いますが、
しばらくお休みして、
埼玉、千葉方面にグランドツーリングしておりました。
長距離走ると、車のいろんなことが解るもんですね。
この件はまた別の機会に。

さて、ついに70回をむかえました、本シリーズ。

だんだんメジャーじゃない車の登場も増えてまいりましたが
引き続きよろしくお願いします。

968です。
1974年に登場したこの廉価版FRポルシェもついに
最終章を迎えます。

1989年、ポルシェのチーフデザイナーに返り咲いた
ハーム・ラガーイ
924のデザインを手がけたかれは、
924の最終進化である968のデザインも
手がけることになったのでした。

968は924,944と進化してきたFRポルシェの
最終型ですが、かなりの部分は新設計となり
944と共通の部品は以外と少ないのだそうです。
これまでのリトラクタブル式のヘッドライトは
丸型ライトがポップアップする928にも共通
するようなデザインとなりました。

968と言えば4気筒の大排気量エンジンですが、
968では、多気筒エンジンの採用も検討して
いたそうで、BMWの6気筒か、ヴォルボの5気筒も
検討していたようです。
BMWの6気筒バージョンは試作車まで完成して
いたようですが、結局944で3リッターまで達した
4気筒エンジンがそのまま採用されました。

さすがに1気筒750CCに達するエンジンは
そのままでは滑らかに回転させることは
困難で、このエンジンには三菱のライセンス
を活用したランチェスターバランサー
いわゆる「サイレンとシャフト」の
技術が供与されてたのでした。

3リッター4気筒ながら、ポルシェが誇る
可変バルブタイミング機構
ヴァリオカムが採用され
240馬力を発生。
ゲトラク製の6速ミッションを介して
最高速度は250キロ超といわれました。

しかしながら、高性能化により、
車両価格も高くなってしまいました。

また、どうしても944のマイナーチェンジという
に見られてしまい、あまり市場からは
好意をもたれなかったようです

その後、軽量化して、装備も簡素にした
クラブスポーツや、カブリオレモデル
そして、高性能モデルのターボSや
ターボRSなどのスペシャルモデルも
投入されますが、人気のほどはもうひとつ
盛り上がりに欠けたようです。

これにはポルシェはやっぱり
RR、そして水平対向という
ポルシェファンの固定観念が
影響していたのだと思います。

結局新世代ポルシェとして生み出された
FRポルシェは、どんなに、メーカーが
理想とする性能を実現し、専門家筋からは
FR最高のスポーツカーと賞賛されても
ファンからはそっぽを向かれるという
状況を完全に打破しきることはできなかった
のだと思います。

968は登場してからわずか4年の1994年
後継車のボクスターに生産ラインを譲り
生産が中止されたのでした。

私、実は968とか944のポルシェ欲しくて
本気で買おうかと思ったことも
あったんですよね。

これならサラリーマンでも
中古なら買えるのではないかって。

その後結局大中古の911を購入するのですが
「968なら買えるかも」とあきらめなかったことが
ポルシェ購入の決め手だったと思うんです。

最近は中古も見かけなくなりました。
968元気でやっているのでしょうか?

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スーパーカー列伝69 いすゞピアッツァ

こんにちは

70年代末期
いすゞは長寿を誇った
117の後継を検討し始めます。

いかにデザインが優れているとはいえ
ベースは60年代のフローリアン。(当時まだ現役)
古さは隠せません。

いすゞの開発コンセプトは
以下の6点ようなものだったといいます

1.持つことに誇りを、使うことに満足感を覚える高品質でスタイルの良いロングライフなスペシャルティ・カーであること
2.一家4人で週末旅行が可能な実用性、 居住性を有すること
3.先進技術を積極的に取り入れ、実用燃費も高いこと
4.対米輸出を含む海外市場に対し、商品力、安全性等に十分なポテンシャルを有すること
5.いすゞ既存の装置、部品及び組立工程をできるだけ活用し、新規設備投資を極力少なくすること
6.最短期間で開発すること

1.3.5はいかにもいすゞらしいですね。
そして、2の点は明らかに
117の正統進化だったということが
伺えます。

5を達成するため、ジェミニ
(要するにオペルカデットですが)
をベースに新たなフラッグシップを作ろうとします。

お願いしたのは、またまた御大ジウジアーロ。

ジウジアーロは、この種のスポーツクーペの連作として

「アッソ」シリーズを世に出しておりました

アッソっていうのは
エースのことね。

アッソデ クワドリ (ダイヤのエース) BMW
アッソ デ ビッケ (スペードのエース) アウディ

そしていすゞに提供されたのが

アッソ デ フィオーり(クラブのエース)

です。

これはいすゞのジェミニの
もっともホットなモデル
ツインカムエンジンを搭載した
ZZをベースに開発したと言われています
80年のジュネーブショーには
突貫工事で出品され
インパネの一部などは
ダミーだったようですが

「1980年代のボディライン」
をテーマにジウジアーロが
出したスポーツクーペは
高い評価を得て

いすゞは市販化を検討し始めます。

前にも申し上げたように思いますが

ジウジアーロは、2座のス-パーカーより
4座のクーペーを作らせるほうが
うまいスタイリストだと思いますね。

ピアッツァも
マヨネーズと揶揄されるように
よく見るとかなりキャビンがデッカイ
クーペであることがわかります。

これはコンセプトの2を満たすために必要不可欠
だったのでしょうが、
ジウジアーロの手にかかると
まったくそのような感じを受けない。

むしろ、当時としては相当徹底されていた
フラッシュサーフェスの処理により
まったく新しい時代の車という
イメージをかもし出していました。

さて、市販化にあたって
アッソ デ フィオーりのデザインテースト
そして、インテリアデザインはほぼほぼ
そのまま生かされ、

レザーによる豪華な内装(最高級グレード)、
そして、手元ですべての操作が
できるサテライトスイッチ
デジパネ
ウインドウオッシャーノズルが
仕込まれた一本ブレードのワイパー
等々

きわめて革新的な車に仕上げっていました。

いすゞは
この車を
若者向けではなく
少しゆとりのある大人の車
「シニア感覚」
というキャッチフレーズで売り出しました。
CMソングも
当時ネクタイ族のアイドルと言われた
阿川泰子の「シニアドリーム」

べたな他の国産車のCMとは
一線を画した、都会的なCMで
われわれ子供らにはわからない
大人の世界を展開しておりました。

さて、当初ツインカムのNAエンジンで
スタートしたピアッツァでしたが
モアパワーを望む声から、
SOHCのターボエンジンを搭載

その後も、いすゞ+GMのネットワーク
を生かした、数々のチューナーの手が
はいります(イルムシャー、ロータス)

しかしベースはジェミニ
70年代のFRセダン、
りヤサスはコイルリジットアクスルでしたから

次第に古さは否めなくなり、
1990年代に入り
惜しまれつつ生産中止と相成りました。

それにしても、10年近いロングライフを全う
したのです。

惜しむらくは、もう少し最新のシャーシ
が与えられていればというところでしょうか

小規模メーカーの悲しさですね。

2代目のピアッツァは
FF化され
シニア向けのGTという感じとは
似ても似つかないような車
になっていきました。

そして、その命運が尽きるとき
いすゞは静かに乗用車生産から
撤退していったのでした。
参考
http://isuzupiazza.fc2web.com/history.htm

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スーパーカー列伝68 アストンマーティンブルドック

こんにちは

イギリスの自動車メーカーは
みんな大手や新興国のメーカの
傘下に入ってしまい、

いまやその独自性を確保しているのは
唯一
アストンマーティンだけと言っても過言では
ないでしょう。

アストンマーティンは1913年創業

ライオネルマーティン
とロバートバムフォードの二人が
共同で創業します。

両方の名前を取らないでマーティンだけ
生かし、レースで良い成績を上げた
英国バッキンガムシャーの村アストン・クリントンの
前だけもらって
アストン・マーティンと命名します。

アストン・マーティンは
いまだに手作りに近い生産を
取っていることからも解りますが

職人気質な会社で、
どちらかというと、
採算度外視で
良い車を作ることを
社是にしておりました。

いまだに生産車の9割が
現存しているということからも
その姿勢がうかがえます。

勢い会社は
経営が苦しい。

経営悪化にともない
創業者の手を離れ、
60年代にはトラクター製造で
財を成した実業家
デイビッド・ブラウンが
買収して実権を握ります。

一連のアストンマーティンの
DBシリーズはこの
ディビッド・ブラウンの
頭文字なのですね。

しかし、ディビッドブラウンも
おの採算を度外視してもいい車
を作るという姿勢は変えなかった
ようです。

ある友人が、デービッドに
「友人なんだから原価で車を売ってくれ」
と頼んだことがあったそうです。
それを聞いたデービッドは
「よーし。ただ定価より高くなるぞ」
と応えた逸話があるとか。

恐るべき会社です。

さて、本題
アストンマーティンブルドックは
1980年に開発された
アストンの新時代を切り開くという
意味合いのモデルでしょう。

ブルドックというとあの短足の
コミカルな犬ですが、
イギリス人にとっては思い入れのある
犬種

なんてったってイギリスの国犬なんですよ。

このネーミングをするということは
なみなみならぬ決意の現われ。

アストンマーティン製のV85.3リッターに
ギャレットエアリサーチ製のターボチャージャー
2機がドッキングされ

なんと出力650馬力。

最高速度は300キロを越えると言われました。

内装もいわゆる木と革のブリティッシュネス
は残しながらも、
なんともハイテクな眺め

当時のプレスフォトを眺めますと
どうやら、デジタル表示のようですね。

アストンマーチンは1974年に出した
当時のフラッグシップサルーン
ラゴンダで
世界初とも言われる
CRTディスプレーによる
インパネをやっておりますから
そのぐらいはやりそうです。

そしてデザイン。

これでもかというような直線基調。

そしてガルウィング。

さらにはハイライトは
角型の5連式ヘッドライト。

なんとボンネットの真ん中あたりがくぼみ
そこからヘッドライトが露出する
という機構でした。

なみなみならぬ熱意を持って開発された
ブルドックでしたが、

やはり、採算を無視したような
生産は経営を苦しくさせ、
当初本格生産も考えていた
ブルドックも計画は頓挫。

なんでも1台だけ生産されたモデルは
中東のさる王子に売却された
とのことです。

その強烈なデザインから
世界の醜い車ランキングにも
入っているようですが、

1980年に考えた車の未来形
だったのかもしれませんね。
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スーパーカー列伝67 トヨタセリカGT-FOUR

こんにちは

トヨタというのは
かつては80点主義とか
保守的な車作りがそのコーポレートアイデンティティ
と思われがちですが、

結構やるときはやりますよ。

ルマンだって、もう少しで
制覇できそうでしたし、

F1だってがんばって参戦
してましたし、

車でも、時々「アッ」と言わせるの
を出しますよね。

セリカってのは
初代から、トヨタのトレンドセッター
イメージリーダー的な役割
を担っていて、デザインは
かなり個性的だったと思います。

さて、4代目のセリカ
長年FRで通してきたセリカも
姉妹車のファミリーカー
コロナ、カリーナが主にスペース効率の
問題からFF化を図ったことから
セリカもついにFF化されます。

どちらかといえばスポーティーなイメージ
であったセリカにとってFF化は
あまり良いイメージではなかったでしょうね。

そこで思い切ったイメージチェンジ
キーワードは「流面形」

先代のセリカが直線基調だったの
に対して

滑らかな空気の流れをイメージ
できるような曲線貴重に、

そしてスペシャル感をかもし出す
リトラクタブル式ヘッドライト。

この革新的なデザインは受け入れられ
FFセリカは市場からは好意的に
評価されたのでした。

そして、この車の人気を決定付けた
のが、シリーズ最ホットモデル
GT-FOUR
CMのコピーは
「流面形四駆す」というものでした。

もともとはセリカのラリー参戦の
ために開発したモデルで
ツインカムの3S-GEに
ターボをドッキング
最高出力はリッター100馬力に迫る
185馬力を発生します。

そしてトヨタ初のベベルギア式
センターデフによる、フルタイム4駆に
より、悪路でも良路でも確実に
路面にパワーを伝えることができる

そんなスーパースポーツが
誕生したのでした。

この車をほっておかなかった
のがホイチョイプロダクション

あの大ヒット映画
「私をスキーに連れてって」
の劇中車として、その4WDの
走破力を存分に生かして
縦横無尽に走り回り、
映画のなかで重要な
役回りを果たしたのでした。

当時、4輪駆動といえば
いかついクロカン四駆しかなかった時代
(スバルはあったけど(笑))

こんなデザインがしゃれていて
絵になる、都会派四駆は少数派。

この映画の影響で、
スキーにはセリカGT-FOURで
という、トレンドが生まれました。

しかし、ノーマルのセリカより
100万近く高かったGT-FOURです。
おそらくバッチチューンのGT-FOURも
多くいたと推察いたします。

さて、そのような中、トヨタがもくろむ
ラリーでの活躍についても、百戦錬磨の
トヨタチームヨーロッパにより着々と
計画が実行され、1990年には天才ドライバー
カルロス・サインツの手に
セリカはドライバーズタイトルをもたらします。

その後もセリカのラリー活動は続き
ますが、次第に、スバル、三菱の
軽量なセダンベースのマシンに
破れるようになります。

どうしても重量がかさみがちなセリカの
ラリーへの投入はいつしか終わりを迎えます。

モータースポーツでの活躍がみられなく
なるのにあわせて、若者の関心は次第にこの種
のスポーティーモデルから
若者の車はもっとベーシックなもの
ミニバンや、省エネなスモールカー
に関心が向かうようになっていきます。
若者の車ばなれというやつですね。

そしてセリカGT-FOURの名が消えた
7代目をもって
セリカの名前は消えていったので
ありました。

雪国生まれの私、
学生時代、
都会の友人はみななぜこぞって
冬、わざわざ車でスキーに行くのかと
不思議に思っていましたが、

きっと、「私をスキーに連れてって」のような
世界が、(ほんの一部でしょうけど)
展開されていた(されるという妄想か?)のかもしれませんね。

そんな時代を彩った名車でございました。

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スーパーカー列伝66オーテックザガートステルビオ

こんにちは

震災から5年。

こんな馬鹿話が書けるようになるとは
夢のようです。
震災で命を落とされた方々に
改めてご冥福をお祈りいたします。

さて、オーテック。

オーテックは日産のいわゆる特装車を手がける企業
として、1986年に設立されます。

初代社長は、あの桜井 眞一郎

スカイラインの開発主査を長年努めた、
伝説の技術者。

オーテックは桜井さんの理解者であった
日産久米社長が、会社の名前まで考えて
用意したようです。

その由来は「大手食う」
からだというから、バブルですね。

さて桜井さん。

オーテックの事業として華々しいものを
考え付きます。

そうです。イタリアの名門
ザガートとの協業です。

オーテックザガートの名があらわすとおり、
オーテックが車のチューンを
ザガートが内装とエクステリアを担当します。

ステルビオの名はスイスとイタリアを妨げるアルプス越えの要衝
として有名な、綴れ折りの狭い道路の続く標高2757mの剣が峰
「ステルビオ峠」のことだそうでして。
なんとなくスカイラインを隠喩しているような
ネーミングです。

それにしても、このカブトガニのような
ボンネットはいかがでしょうか。

じつは、このボンネットのふくらみの
中にバックミラーが仕込まれております。

当時まだ、ドアミラーは禁止されていて
日本車はフェンダーミラーが標準。

桜井さんは、このミラーがインテグレート
された、ボンネットのデザインに
こだわっていたみたいです。

じつはザガートはこれと同じようなことを
アストンマーチンバンテージザガートで
やっておりまして、
桜井さんはこのイメージだったのだと
思われますが、

なんせ、アストンみたいな手作り車と
もともとは量産車がベース
(元はレパード)の車ではわけが違い
デカイV63リッターのエンジンが納まっている
ボンネットを美しく成形するのは
とても困難だったようです。

正直ザガートは、フェンダーミラーの
ことがわからなく、
「なんでこんなことすんだ」
状態だったようですね。

外装はアルミを手たたきして
仕上げる、塗装も磨き上げられました
フロントの驚愕のデザインに目をつぶれば

随所に、名門の仕事の痕跡も
みとめられないことはないのですが

内装は、イタリアンな雰囲気で
高級な素材を使って丁寧に
作られているのですが、
元の、レパードのインテリア
がベースなもんだから、

どうも和室に、イタリアンデザイン
のソファーを置いたような
ちぐはぐさ。

そして、その驚くなかれ
そのプライス。
約1800万円。

国内限定100台とも200台とも言われましたが
生産は遅遅として進まず
(そりゃそうだ手作りだもん)

1993年ごろまで生産されていたようです。

その後オーテックが懲りたのか
ザガートが懲りたのか解りませんが、
提携は解消。

それでも第2段として
オーテックの名前が取れた
ザガートカビア
と言う車も登場します。

こちらは、あのフェンダーカブトガニ
ではなく、割合まともです。
こっちで最初から出してればという
気もしなくはありません。

さて、バブルの申し子とも言うべき
この珍車。

その後価格は暴落し
新古でも400万円ぐらいになってしまった
そうですが、

いまでもたまに中古車市場で見かけます。
お値段200万円ぐらいのようですね。

イタリアンデザインと
日産のV6パワーの融合。

日本のアルファSZとも言うべき
オーテックザガートステルビオ

皆さん名前だけでも
覚えてやってください。

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スーパーカー列伝④ランボルギーニミウラ

またランボに戻ります。
ミウラです。
ミウラ
ランボルギーニは、
フェラーリを超える
ロードゴーイングGTを作ることを目的に、
もともとトラクターメーカーで成功した
フェルッチオ・ランボルギーニが設立した会社です。
ランボルギーニはただの夢追い人ではなく
以外と現実的な経営者でした。
もちろん車好きの親父ではあったのですが
車のビジネスには最後まで手を出さなかった。
しかし、自分が買ったフェラーリのできの悪さに
フェラーリに意見をしたと言うのは
どうも事実だったようですが、
世間で言われているようにそれで
相手にされなかったから意地で、
それより良い車を作ってやろう
というのはどうも作り話らしく、
クラッチ交換したら、自分とこの
トラクターと同じクラッチ(社外品)
を10倍の高値で供給しているのを見て
このビジネスに単純に可能性を見出したから
というのが事実らしいです。
それが証拠に、ランボルギーニはレースに出ません。
フェラーリはレース命、ロードカー副業
みたいな会社ですが、
ランボルギーニはロードカー命。
しかもどっちかと言うと
当初は地味なFRのV12搭載のスポーツカーを作っていました。
もしも意地でやっていたなら、
レースでフェラーリを打ち負かすことに
必死になっていたでしょう。
そんななか、ランボルギーニは1966年の
ジュネーブショーにまったく新しいスーパーカーを出品します。
車名はミウラ
これまでレーシングカーでしかありえなかった
ミッドシップのロードカーです。
ミッドシップにV12を搭載することは
レーシングカーならともかくも、
居住性や、快適性を確保しなければならない
ロードカーにとっては、かなり厳しい条件です。
ミウラは、長大なV12エンジンを
横置きに搭載することで、エンジンルームをコンパクト
にすることにチャレンジしました。
デザインは、ベルトーネに在籍していた
ジウジアーロが途中までやって、その後はガンディー二とか
いろいろいわれています。
全体のシルエットは非常に流麗なのですが、
ヘッドライトの睫毛など、かなりあくの強い
デザインになりました。
さて、このミウラ、その斬新なデザイン、
そしてロードカーでV12のミッドシップを
搭載したということもあり、
当のランボルギーニ親分は
「どうせそんな車は売れないからな」と
語っていたらしいですが、なかなの評判を確保、
商売敵のフェラーリがそれまでFRのロードカーしか
作っていなかったのが、本気になってミッドシップの
ロードカー(365BB)を作ったと言うぐらい、
センセーショナルなモデルだったのです。
ただし、そのできばえは、軟弱なシャーシ、
トリッキーなハンドリングなど、さまざまな問題を抱えており
最終型のSVにいたっても完璧な改善をすることは
できなかったようです。
当時のランボのチーフテスターのボブ ウォレスは
「ミウラはいろいろ問題があったが、カウンタックは最初から完璧だった」
との言葉を残しているようですが、ミウラがいろいろ問題を
抱えていたからこそ、カウンタックのような、一からつくり直したような
モデルが次期モデルとして発表されたのでしょう。
それにしても、ミウラ、365BB、ランチアストラトスと
フロントのカウル、リヤのエンジンフードの開き方が同じ
そして、ミウラと、ストラトスはエンジンが横置き。
(どっちもベルトーネ)
なんですよね。
お互いいろいろ意識があったのでしょうね。
ミウラはその後、その独創的なデザインが評価され
とりわけイラン国王パーレビが所有したミウラが
そのすばらしい仕上がりから
各国のコンクールで高い評価を得たりして
クラシックカーとして価値が認められる車になりました。
私は初期モデルのミウラSしか見たことありませんが、
古典的なサウンドを残して走るミウラはなかなk
かっこいいと思いました。
スーパーカーブームよりちょっと前に
登場したミウラですが。個性的ですばらしいスーパーカーですね。
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スーパーカー列伝③ランチアストラトス

ランチアストラトス

ランチアといえばあのアリタリアカラーのラリーバージョンを
思い浮かべる方が多いのでは?
あの4連フォグランプ、ヘッドライトが飛び出したのが
ストラトスのイメージですよね

ランチアストラトスは
実に小さな車です。

全長は4メーター足らず。
ショートホイールベースで抜群のハンドリング。
強固なボディー
そして1000キロを切る車重さ。

これはすべて、ラリーで勝つために生まれたためなのです。

ランチアストラトスは、イタリアの名門ランチアの車ですが

ランチアというメーカーはどちらかというとスーパーカー
のメーカーではありません。

独自の技術で、コンパクトながら、高性能なGTカーを
作っていたメーカーです。

狭角V4エンジンを搭載したランチアフルビアなど、
個性的なGTカーを作っていました。

それより以前は美しいボディーを持つ高級車。

ランチアはどっちかと言えば高級車のメーカーだったのです。

その独自路線が災いしたのか、ランチアはしだいに経営が傾きます。

そのとき救いの手を差し伸べたのが、大メーカーフィアットでした。
ランチアは、フルビアでラリーで大きな成果をあげていましたから
販売てこ入れのために、ラリーで勝つことが至上命題と
されたのでしょう。

何が何でも、ラリーで勝つためのスーパーカーが必要でした。

80年代後半から90年代にかけて、トヨタ、スバル、三菱
が、大いにラリーで活躍染ましたけれど、その時もラリー用の
スペシャルモデルが作られました。

いわばストラトスは、それと同じような目的で世に出たと言えましょう。

当時の、ラリー規則では、連続した12ヶ月間に5000台量産
されたGTかーはグループ3に公認されることになっていました。

加えてレース、ラリー用に改造された車も認められており、
グループ3に認められた車に改造を施し、連続された12ヶ月間に
400台生産された車はグループ4に公認されました。

しかし、この改造が曲者で、、改造に関する規則が相当ゆるいものだった
ので、グループ3に公認された車のパワートレインを使ってさえいれば
グループ4に公認されるというレベルのものだったようです。

そんな一つの目的のために生まれたストラトス
エンジンは実はフェラーリのエンジンを積んでいました。
当初はランチア製の4気筒を積む予定だったのですが

モアパワーを求めて、フェラーリからDINO246のエンジンの
供給を受けることになったのです。

しかしこの時点で、DINOはまもなく生産中止の予定で、
大フィアットの力をもってしても、フェラーリは
供給に消極的で、業を煮やしたフィアットは、
当時関係が良好だったマセラティーからV8エンジンの
提供も考えたほどだったと言います。

ラリーのために生まれた
ストラトス
強固なシャシーに、名門のエンジン、すばらしいハンドリングをもつ
超一級のスーパーカーで、ラリーでもすばらしい戦績を
残したスーパーカーでしたが、
当時販売の方は芳しくなく
生産されたのは公認を得るための400台足らず。

実際売れたのは、250台程度だったと言われています。

生産は1974年から74年代にかけて行われたのですが
78年でも新車が買えたといいますから
以下に人気がなかったのかわかります。
ランチアのスーパーカーという
新ジャンルに対してみな興味がなかったのでしょうね。

ストラトス、現代では大変高い人気を誇り、
レプリカモデルも結構出ています。
エンジンはさまざまなものがありますが
アルファのV6等を積んでいるものが多いですかね。
私は本物を眼にしたことはないのですが
レプリカモデルは見たことがあります。

本当に小さくて、ちょっとかわいらしいと思うような
レベルではあるのですが、
スーパーカーの迫力は兼ね備えています。

いつか所有してみたい車の一つですね。

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スーパーカー列伝②フェラーリ365BB

前回300キロ、302キロの出だしで書き始めましたら、
何のことかとお尋ねがありましたので、
今回は302キロの方です。

ちなみに、当時のイタリア製スーパーカーの性能ってのは、

なんと申しますか。

いわゆる、広報車チューンとかいうレベルではなく、
もはや設計上で「ひょっとしたらそうなるかも」
ぐらいのレベルであったことは、現代では公知のことでして。

前回のカウンタックでは車両重量がすでに5割超増しですので、
300キロはどうやっても出なくて、
ついでにエンジンパワーももっと出ていないでしょう。

この手の話しは、現代のスーパーカー検証の記事で
多々展開されておりますので、ご興味あればぜひ
紐解いてみてください。

さて、365BBです。ご案内の方もいらっしゃると思いますが、
かつてフェラーリは12気筒以外はフェラーリと呼ばない
というストイックな社是を掲げておりましたので、
フェラーリのネーミングは1気筒あたりの排気量で
ネーミングを決定しておりました。

ですんで365CCX12発で4380CC、約4400CCてのが
この車の排気量ですね。

ちょっとまて、512BBってのもあっただろ
と突っ込みの声が聞かれそうですね。
そんじゃこっちは6000CC越え?
と思いますよね。

この辺がフェラーリの融通無碍と申しますか

かつては一発の排気量でネーミングしていたんですが、
途中からいろいろポリシーが変わるんですね。

512の場合は5リッター12気筒で512

12気筒以外はフェラーリと呼ばない
の理屈から6発のフェラーリ製スポーツカーは
ディーノと呼ばれており、初期の2リッターは
206、後の2.4リッターは246と呼ばれており、
と言う時代もありました。

12気筒以外はフェラーリと呼ばないという
不文律もいつの間にか破られ、
3リッター8気筒の308なんていうフェラーリやフェラーリディーノ308GT4という
身も蓋もないようなネーミングも
登場したりして、まあ昔はともかく、いまは
そういう自由なネーミングがされているわけです。

たしかに、小規模メーカーですから、
そんなにいろいろな種類のエンジンがある訳
ありませんからね。

12発のモデルは下手すりゃみな同じ番号に
なりかねないわけで、今のフェラーリの多モデル
展開を見りゃ、現実的なのかもしれません。

また長くなりました。

365BB、BBは何の意味?

BBはベルリネッタボクサーの略です。
ベルリネッタはクーペの意味
ボクサーは水平対抗の意味。
すなわち、これは12気筒の水平対抗の
エンジンを積んだクーペって意味ですね。

まあ、水平対抗にはいろいろ定義があるみたいなんで、
365BBの場合は水平対抗というか、180度V12と言うのが
正しいみたいなんですが、その辺もおおらかなイタリアンな
ネーミングとしてご許容ください。

この車の特徴は何か。

その180度V12による低いエンジン高さを利用して、
ミッションとエンジンの2階建て構造を実現。
12気筒エンジンのミッドシップエンジンとしては
比較的コンパクトなパワートレインを実現しました。

前回紹介した、カウンタックは、車両前から
ギアボックスエンジン、デフの構成で
長大なパワートレーンを運転席側にめり込ませて、
車をコンパクトにする
と言うことを考えていたわけですが、

まったく別のアプローチで、車体をコンパクトにしようと
努力してみたわけです。

しかーし、しかしですよ。

この車、横から見てみると
エンジンのブロックがかなり高い位置にあるのが
わかると思います。

そりゃそうですよね。
ミッションと2階建てなわけですから
たとえば同じ水平対抗のポルシェなんてのは
地を這うような位置にエンジンのブロックが
あるんですが、

365ではかなり高い位置にあります
端的にいうと、後輪の上の辺りにシリンダーブロックが
ある感じ。

コンパクト化の弊害として、エンジンの重心はかなり高い
位置になってしまいました。

この12気筒ミッドシップフェラーリは1990年代の半ば過ぎまで
モデルチェンジを重ねて、製造を続けられましたが、
この重心の高さからは逃れられなかったようで、
ハンドリングは、腕に覚えがある人でないと
手に負えないレベルだったと聞きます。

しかし365BB、コンパクトで軽量に仕上げられ、
ピニンファリーナの伊達なエクステリアデザイン。
細部まで美しく丁寧に仕上げられたインテリア等
70年代のスーパーカーブームを、カウンタックとの2大巨頭として
支えました。

このような背景から、36BBは日本での評価が、世界での評価より
高いと言う状況が続いてきましたが、
昨今はどうなのでしょうね。

512は見たことがあるという方でも365は見たことがない
と言う方も多いのではないでしょうか
365と512の違い。
いろいろありますが、もっとも簡単なのはリヤの違いです。
横3連のリヤが365、2連が512です。

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